稲刈り終了

 稲刈りが終わった。何だか一年が終わったような、人生も終わったような気がする。今時の稲刈り、自ら鎌を持つことはなく全てを営農組合に任せているとはいえ、籾摺りまで終わって玄米が家にやって来ると、一区切り付いたなと感じてしまう。私にも農耕民族の血が流れているのかもしれない。後は畑に残っているサツマイモとサトイモを掘り、少し残っているトウガラシを収獲すれば春作は終了となるが、その頃にはダイコン菜と丸葉山東菜、そしてコールラビが取り頃になっているだろう。百姓には暇がない。この暇のなさは、過去を振り返って反省を繰り返すような日々の送り方を許さないようだ。

 今日は朝から、博多まで恒例の病院通いである。ラッシュの終わりの方に引っかかって、都市高速の上で30分以上ノロノロ運転を強いられた。それ故にイライラしたとは感じていないが血圧が 150mm Hg 近くあったのには驚いた。私は低血圧で、50歳ころまで 100 mmHg を超えることはなかったのである。年をとると血圧が上がる、当たり前のことが起こっているのかもしれない。日本高血圧学会は 1301mmHg 以上を高血圧と決め、降圧剤を与えるのを標準的な治療法としているらしい。とすれば私は、立派な高血圧患者として分類されるに違いない。薬を出そうかと言われたが、いやいやこの程度ならまだ大丈夫でしょう。血圧が下がり脳の血流量が減ると、軽いボケが強度のボケになるかもしれないので、もうちょっと待ちます。あと少しボケるとボケたかどうかの判断も付かなくなりますから、その時にお願いします。そう言って帰ってきた。

 帰った後、ライスセンターへ行き、昨日刈り取った分の玄米を受け取った。30Kg入りの袋で35袋、1トンを超える。米の保管庫に詰め込み、入りきれない分は玄関と座敷においた。床が抜けたら高く付きそうだが、置き場がないのだから仕方ない。例年であれば保管庫に入りきれない分は売りに行くのだが、来年は食糧の供給が逼迫しそうな予感がしている。いつも買ってくれる人達への供給が支障なくできるようにと考え、在庫量を増やした。何もなければ、古米として売りに行けば良い。ほんの少し安くなるだけである。それにしても、30Kg入りの袋は重い。パワースーツの価格が手の届く範囲になってきた。ガンダムのような格好で米袋を運ぶ日が来るかもしれない。

 昔はピアノの音が好きではなかった。理由は判らない。何かトラウマのような記憶があったのかもしれないが、そうした記憶があったという記憶はない。多分だが、小難しいクラッシックのピアノ曲を、これは素晴らしい音楽だという能書き付きで聞かされたのが原因ではないかと考えている。私の世代はまだ戦後の混乱期を引きずっている。ピアノなんて、高校の同級生400人のなかでほんの数人しか弾けなかった。すべて医者の子供であったと記憶している。ピアノの音の魅力が分かるようになったのはかなり年を食ってからである。性格が行き当たりばったりだから、端正なクラシックではなくブルースやジャズで使われるピアノでその面白さに気付いた。

https://www.youtube.com/watch?v=qHXwB29VjVo     https://www.youtube.com/watch?v=LvWVX5nJ9RY 

 近頃はもう少しイージーなジャズを聴くことが多い。こんな文を書きながらBGMとして聞くにはその方が都合が良い。音楽30%、物書き70%程度の割合で頭を使っている。演歌が悪いというわけではないが、音と歌詞があまりにも濃厚すぎてBGMには好ましくない。

https://www.youtube.com/watch?v=WabwoiLH-Bc    https://www.youtube.com/watch?v=28DUUt_cw_E

もう少し音楽の割合を増やしてリラックスする場合、この人の曲を流している事が多い。

https://www.youtube.com/watch?v=N0bXQ6DuIBE    https://www.youtube.com/watch?v=V38OrWI1t6U

 何でこんなことを書くか?稲刈りが終わり、何となく気が緩んでいるということで、夕方からずっと音楽三昧である。こんな日があっても良いだろう。

カテゴリー: 未分類 | 稲刈り終了 はコメントを受け付けていません

ちょっとした妄想です 2

 グリホサートは芳香族アミノ酸の生合成を阻害して雑草だけではなく作物を無差別かつ強烈に枯らす。非農耕地で使うのであれば最高の除草剤である。現在売られているグリホサートを主成分とする除草剤には幾つかの種類がある。イソプロピルアミン塩であるかアンモニウム塩であるかカリウム塩であるかという違いとともに、用途の違いーすなわち農耕地用であるのか非農耕地用であるのかの違いである。農薬としての登録が取れている農耕地用のものは高価であるが、非農耕地用のものは値崩れが起こり安価で流通している。我々農家は、農耕地で使うこともあるため、農薬としての登録が取れている結構高い農耕地用のものを使わざるを得ない。

 それはそうとして、実に効果の高いこの除草剤をより効果的に使うために、モンサントの研究者達はグリホサートに選択性を持たせるのではなく作物側にグリホサート耐性を持たせようと考えたのである。この頃までに、分子生物学が発展し、植物への遺伝子の導入が可能になっていたのである。繰り返すが、グリホサートはシキミ酸経路中の 5-エノールピルビルシキミ酸-3-リン酸合成酵素(EPSPS)を標的酵素として特異的に結合し、その活性を阻害する。そこでグリホサートの影響を受けないEPSPSの探索が行われ、細菌であるアグロバクテリウム・ツメファシエンス (Agrobacterium tumefaciens)CP4株がグリホサートで阻害されないEPSPSを持つことが見いだされた。このバクテリアのEPSPS遺伝子を大豆に導入してグリホサート耐性を持たせることに成功したのである。一旦成功すれば、類似の手法でいろいろな耐性機構をもつ作物が作出されている。それにしても耐性遺伝資源である Agrobacterium tumefaciensが根頭癌腫病菌などと云われるといくぶん引いてしまいそうだ。

 こうしてグリホサート作成されたグリホサート耐性大豆の生えた畑にグリホサートをまくと、雑草は枯れてしまい、耐性を持つ大豆は影響を受けずに生育する。一見すると実に理想的な畑を実現できるのである。人間を含む動物や昆虫は、もともと芳香族アミノ酸は食物から摂取するため、グリホサートには影響されず、グリホサートの毒性は発現しない。また、グリホサートは土壌中で微生物によって水と炭酸ガスに分解・不活性化されるため、残留性も低い。従って、除草剤耐性大豆を栽培した畑では、除草剤の散布回数を減らせるだけでなく、土壌の浸食を抑え、動物や昆虫に対する直接的な影響もないというストーリーが成立する。されど、そんな都合の良い話がそのまま実現することはなく、種々の問題が起こっているのが現実である。例えば、

https://www.environmental-neuroscience.info/pesticides/herbicides/entry47.html   

もちろん、問題はないとする報告もある。

http://pssj2.jp/2006/gakkaisi/tec_info/glyphosa.pdf     https://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-11121000-Iyakushokuhinkyoku-Soumuka/0000168500.pdf

 その辺りは、最早かなり政治的な話になっているので、真実がどの辺りにあるのかは部外者では判断が難しい。とにかく、抵抗性作物と対応する除草剤をセット販売できるというのは企業にとって魅力だろう。それはそうとしてちょっと気になるのはこうした抵抗性作物に特許が成立しているという事実である。新しい発想と技術で作られたものであるから、特許が成立して当然だと考える人が大部分であると考える。まあ確かに、特許とはそういうものである。

 さて、いま流行中のコロナウイルス感染症、ワクチンの開発が拙速に行なわれているのだが、この中に従来のワクチンと違うメカニズムを持つワクチンが存在する。もう、DNAワクチンやウイルスベクターワクチンなどであるが、すでに幾つかが治験に入っている。少し説明する、例えばアストラジェネカ社が開発中のアデノウイルスベクターワクチンについてだが、まず新型コロナウイルス表面にある突起(スパイク)のタンパク質をコードする遺伝子を採取する。次にチンパンジーが罹る風邪のウイルス(アデノウイルス)の遺伝子を採取して、人の体内では増殖しないようにウイルスの増殖に必要なE1領域を除去して無害化する。先に採取しておいた新型コロナウイルスのスパイクタンパク質をコードする遺伝子を、このアデノウイルスの遺伝子に組み込むことで、ワクチンができあがるわけだ。

 このワクチンを注射すると、新型コロナウイルスの遺伝子を持つアデノウイルスは人の細胞に侵入して、新型コロナウイルスのスパイクタンパク質を作らせるのである。この新型コロナウイルスのスパイクタンパク質は人にとって異物であるため、これを抗原とする抗体が作られる事になる。この抗体が、新型コロナウイルスに感染したときウイルス粒子に結合することで感染を防ぐことになる。完全に正確ではないが、そういう形で働くと考えて良い。つまり、我々の身体が新型コロナスパイクタンパク質の生産を始めることになるわけだ。

 アデノウイルスはレトロウイルスではないため、人の遺伝子に新型コロナウイルスのスパイクタンパク質をコードする遺伝子が組み込まれる可能性はないとされている。また、アストラジェネカ社は「新型コロナウイルスの遺伝子を持つアデノウイルスが生殖細胞に侵入する懸念はないと考えている」とコメントしている。この辺りの危険性、言い換えれば安全性については、慎重に治験を繰り返すしかないだろう。ウイルスが生物であるかどうかの議論は別にして、何となくジュラシックパークのジョン・ハモンドとイアン・マルコムの台詞を聞いているような気がする。「ジュラシック・パークへようこそ」、「金に糸目はつけない」by ジョン・ハモンド、「生命に不可能はない」vs「科学者たちは、何ができるかに夢中になって、それをするべきかどうかは考えない」by イアン・マルコム

 以上の話は妄想ではない。以下が妄想である。グリホサート耐性の植物はそれを作った会社のものである。では、同じく遺伝子操作を用いて新型コロナ耐性を付与された人間は、ワクチン会社のものだろうか。レトロウイルスと同時感染して、ゲノム上に新型コロナスパイクタンパク質遺伝子を持ってしまった人の立ち位置は、ラウンドアップレディ大豆や菜種などとほぼ同じように思えるのだが。いやいや馬鹿馬鹿しい妄想でした。

 

 

 

カテゴリー: 歴史生物学 | タグ: , , , , , , , , , , , , | ちょっとした妄想です 2 はコメントを受け付けていません

足が痛い

 頭痛とか歯痛とか胃痛とかいう言葉はあるのに、足痛とか手痛とかいう言葉はない。前者は痛い場所の範囲が狭いのでそうした言葉が成立するが、後者はそういうわけには行かないのだろうか。でも腹痛は少々範囲が広そうだ。ああ、また始まったと無視してもらって良い。ボケ防止の一環で、何にでも興味を持つことを心がけているだけである。と云うことで、足が痛い。理由は判っているし、痛みの発生が思ったより早かったので気分は良い。

 昨日、荒起していたジャンボニンニクの畑にペレット堆肥をまき、化成肥料も少し入れた。トラクターで再度耕運した後、管理機でもう一度耕し畝立て機で畝を作った。トラクターの使用技術が高ければ、こんなに色々としなくて済むのだろうが、腕が悪いから仕方ない。とにかく畑が凸凹になるのである。最後はトンボを持ち出して人力で均平化する。これがきつい。作った畝の上に植え溝を切り、ニンニクの種球を植え付けていく。例えば200本植えるとすれば、この時200回しゃがむことになる。200回のスクワットである。老朽化した足の筋肉が痛くなるのは当然のことである。昨日は200個以上植えたと思う。

 この労働はあと数日続くだろう。と昨夜書いていたのだが、予定は変わるものである。田んぼの稲に坪枯れが起こり始めた。トビイロウンカとヒメトビウンカによる被害に対する警報が出されているのだが、私の田んぼにもついに侵入していたようだ。坪枯れが起こるとくず米が多くなり収量のみならず味も落ちると聞く。と云うわけで、明日と明後日で全部の稲を刈ることにした。営農組合にお願いしているので取り立ててすることはないが、朝早くイノシシ除けの電柵を片付けなければならない。もう寝よう。

カテゴリー: 未分類 | タグ: , , , | 足が痛い はコメントを受け付けていません

法事

 この歳になって親の世代の葬式はほとんどなくなり、法事を行う機会が増えてきた。今日は父親の25回忌の法事であった。しかしながら、世の中はコロナが原因で、とても親戚が集まる場を持てるような雰囲気ではない。仕方なく、12時からお寺で法要を行ってもらい、その様子をユーチューブ配信で見ると云う方式をとった。iPadを仏壇の前に置き、読経を聞く形でつつがなく法要が始まったのだが、5分ほど経ったところでどうしたわけかSONYハンディカムデモサイトに切り替わった。近頃ユーチューブにも五月蠅いほどコマーシャルが入るようになったので、少し待てば元に戻るかと待っていたが、最後までSONYハンディカムの宣伝が続いた。

 法要自体は間違いなく執り行われていたので取り立てて文句があったわけではない。しかし、他の人々への法要でも同じ事が頻発していたらまずいと思ったので、起こった現象を説明し、配信機器設定を見直されて方が良いとメールを出した。折り返し、丁重なお詫びの電話とメールが送られてきた。3時頃から法要をやり直します。再度、ユーチューブのアドレスを送りますと言うことで、完全版の法事を視聴することができた。

 PCにしろネット関連の機器にしろ、まだその程度のものだと思っている。絶対的な信頼が置けるとは思っていない。それより、1回目の法要は配信がおかしかっただけで、ちゃんと行われていたのだからそれで良かったのだが、再度の法要をとり行っていただいたというわけである。つまり私の父親は、本日2回も同じお寺で25回忌の法要をしてもらったことになる。これはかなり珍しいことのように思う。いやいや、日々の私の供養が足りないということかもしれない。

カテゴリー: 未分類 | 法事 はコメントを受け付けていません

ちょっとした妄想です 1

  私は誰のものだろう。地球上での長い進化の産物であるとしたら地球のもの、神が作ったものであるから神のもの、私は私であり当然私のもの、まあ色々とあるだろう。私は地球が作った地球のものだと思っている。ここで、多くの人と摩擦とまでは言わないが齟齬が生じる。多くの人は私たちの地球と思っているようだが、私は地球の私たちと思っているからだ。私がもっとも嫌いな言葉は、「地球に優しい」、「環境に優しい」、「自然に優しい」などという言葉なのだが、それらはよく考えれば皆あんた自身に優しい事を意味しているだけじゃないか。本音は私に優しくあれと思っているにも拘わらず、地球に環境に自然に優しいと口当たりの良い言葉で誤魔化しているのが気にくわない。「凄まじい環境の破壊が行われている。このままでは地球とか、環境とか、自然とか言ってはおれない。私に被害が及びそうだ。しかし、私にはどうして良いか分からない。取り敢えず、ちょっと止まって考えようよ。そうしないと私の将来が、いや私と私の子孫の将来がどうなるか分からない。」と云うのであれば理解できるし賛同できる。

 近代文明は私を確立したとする錯覚から生まれた。デカルトの言葉、我思う故に我あり、Ich denke also bin ich を最初に聞いたとき、すごい言葉だなと思った。後にデカルトがフランス人だと知り、フランス語では何というのだろうと調べてみたら Je pense, donc je suis だったのだが、困ったことにどう発音して良いか全く分からない。大学に入って、軽い気持ちでドイツ語だけではなくフランス語も受講したのだが、あまりの複雑さに尻尾を巻いて逃げ出してしまった。そのうち、ラテン語の Cogito ergo sum を覚えてしまってこちらを使うようになっていたのだが、ルネ・デカルトは17世紀の人、ラテン語はローマ帝国の公用語、西ローマ帝国であっても5世紀には滅んでいたのにと疑問を持った。大学2年の頃である。考えてみれば国が滅びたとしても、そこで使われていた言語が消滅する必然性はない。要するに、ラテン語は、自然科学・人文科学・哲学のための知識階級の言語として、またバチカン市国の公用語として生き延びてきたわけだ。

 何を書こうとしていたのか忘れそうだ。妄想であるから忘れた方が健康的なのだが、思い出してしまった。ラウンドアップの話の演繹版だった。ラウンドアップはとても人気のない、いや人気は最悪の除草剤である。さて、ラウンドアップはモンサント社(現在はバイエルの傘下にはいっている)の商品名であり、一般の人はラウンドアップだけに問題があると誤解しやすいので、商品名ではなく化合物名であるグリホサートという用語を用いることにする。

 このグリホサートはもっとも単純なアミノ酸であるグリシンとよく似た構造を持っており、シキミ酸経路中の 5-エノールピルビルシキミ酸-3-リン酸合成酵素 (EPSPS) を阻害して生存に必須は芳香族アミノ酸(フェニルアラニン、チロシン、トリプトファン)の生合成を止め、作物も雑草も無差別に枯らしてしまう。実に良く効く、合成は容易で原価が安い。と云うわけで、世界中で売られることになったわけだ。

 さて、世界でNo1の売り上げを誇っていた除草剤「グリホサート」なのだが、近年発がん性があるのではないかという疑いが強まり、欧米やアジア諸国で使用禁止や規制強化に踏み切る動きが広がってきた。この流れに反して、日本では規制を大幅に緩和しており、どちらの判断が妥当であるのかは第三者には分かり難い。ある程度まとめたニュースがあるので、この観点からの話については以下のサイトを読んで欲しい。       https://news.yahoo.co.jp/byline/inosehijiri/20190725-00135499/         https://agrifact.dga.jp/faq_detail.html?id=104   

 さて、グリホサートは植物のシキミ酸経路にある 5-エノールピルビルシキミ酸-3-リン酸合成酵素(EPSPS) を阻害し芳香族アミノ酸の生合成を止める。従って、独立栄養生物である植物は作物であろうとその他の雑草であろうと無差別に枯らしてしまう。(雑草という言い方は雑草と呼ばれる植物群に対して極めて失礼だと思うが、今のところ他に適切な表現方法がない。名もなき花はない、名も知らぬ花があるだけだ、という牧野富太郎博士の言葉を思い出しながら、良い表現法を考えてはいるのだが・・・)問題はこの無差別に枯らす能力の高さにある。散布時に作物にかかると作物も枯れてしまう。効果が高いからなおのこと問題である。この問題に果敢に挑戦したのがモンサントの研究者達である。

 従来の研究者達であれば、グリホサートという化合物の構造を基礎にして、少しずつ構造を変えながら作物と雑草間の感受性の違いをさがして選択毒性を持つ化合物を見つけるという方法をとったと思う。実際にそうした方法論に基づく研究例はいくつもあった。しかしモンサント社のグループは全く違った切り口からこの問題にアプローチしたのである。このアプローチの方法が後に問題を引き起こすことになるのだが、その是非は別にして、発想自体は画期的なのであったと認めざるを得ないだろう。

 長くなりすぎそうなので、一旦ここで切ることにする。判断に迷う事件が連続していて、落ち着いて話を続ける気になれない。とはいえ骨子はできているので、変な妄想を期待して下さい。

カテゴリー: 歴史生物学 | タグ: , , , , , , | ちょっとした妄想です 1 はコメントを受け付けていません