今朝、いつもより早く起きたのだが外気の冷たさに驚いた。季節は思った以上に早く進んでいる。栗のイガの焼却のためにクリ畑まで出かけたのだが、燃やし始めは暖かくて気持ちが良い程度だったのが、焼却が進むにつれて外気温が上がり、昼過ぎには暑くて近寄れなくなってしまった。一日の中に晩秋と晩夏が同居している。9時過ぎ頃から蝶が飛び始めるのだが、思いがけなくセンダングサでの吸蜜が頻繁に起こっていることを知った。畑の入り口にセンダングサの群落がある。切っても切っても新枝が出てくる植物で、季節が進むと衣服に種子がくっついて面倒なことになるため、除草剤でも撒こうかと思っていた。ところが、この草の花にヒョウモン蝶が集まって吸蜜している。ヒョウモン蝶の仲間は、よく似た斑紋を持つ種が多い上に、雌雄で全く違う斑紋を持つ種もいるため、いつも通りこの蝶が何ヒョウモンであるかは分からない。そしてヒョウモンだけではなく秋型で少し小ぶりのナミアゲハやモンシロチョウまで吸蜜している。
そう言えば先日、山の入り口のコナラの木にルリタテハが止まっていた。タテハチョウの仲間では珍しい色彩を持つ種であるため、これは識別可能である。季節がら、タテハチョウの姿もよく見かけるのだが、野外ではアカタテハ、ヒメアカタテハ、ヒオドシチョウの区別は難しいしシータテハとキタテハも分からない。今の時期、これらのチョウと近縁のミスジチョウも何種類か飛んでいるが、書いている本人に識別能力が欠けている。遠くからアカゲラのドラミングが聞こえてくる。上の柿園からは園内で放し飼いになっている、イノシシ狩りで使う猟犬の鳴き声が聞こえる。長閑なものである。
さてセンダングサだが、花は派手ではないが色々なチョウが吸蜜に来る、確かに触るとベタベタする。ではなぜ、センダングサは蜜をだすのか。もちろん、NHKの夏休み子供相談には模範解答が用意されていると思う。「受粉を効率的に達成するために植物は蜜を出して虫を集めているのです。だから、ヤブガラシ、ママコノシリヌグイ、ノウゼンカズラなどを含む多くの植物は蜜を出しているのです。○○君、分かりましたか?はーい」という想定問答が用意されているようだ。問題は子供ではなく大の大人でさえ、この枠組みに疑問を持つことなく騙されていることにある。この説明は、二つの重大な事実を無視したところでしか成立しない。
一つは、発蜜が花だけで行われるわけではないという事実を無視している事にある。アカメガシワや桜などでは葉っぱの基部から蜜の分泌が行われているし、マメ科植物であるカラスノエンドウやスズメノエンドウなども花外蜜腺を持つ。もちろんこの現象に対してはアリ植物というトンデモ説明が行われており、子供相談の終わりにこんな役目もあるんですと付け加えられるかもしれない。
もう一つは、効率的な受粉を達成するために虫を集めるという決めつけである。人が主食としているイネ、麦、トウモロコシは風媒花である。アワもヒエもそうだろう。これらの植物は非効率的な受粉様式を採っているのか。マツもスギも非効率的な受粉様式を採っているのか。NHKは決してこうした例外を言わない。要するに説明するストーリーに都合の悪いことをないものとして説明するわけである。
この問題に対しては、以下のサイトにまとめた反論を書いておいた。参照してください。http://noisyminority.jugem.jp/?search=%B2%D6%B3%B0%CC%AA%C1%A3 いや、主要部分を転載しよう。
転載開始
化学生態学(Chemical ecology)という学問がある。生物と生物、生物と環境の間で起こる現象を化学的に理解しようとする学問である。使われる頻度はいくぶん低いとはいえ生態化学(Ecological chemistry)という学問も存在する。用語的に云えばこちらの学問のほうが化学的側面が強い。学生だった頃、ハルボーン著「化学生態学」、高橋信孝著「生理活性天然物化学」、さらにJ. A. Bailey & J. Mansfield (著) 「Phytoalexins」などを読み、複雑怪奇な生物間の相互作用と多岐にわたる化合物群に魅惑・幻惑されながらも、矛盾と混乱にみちたその場しのぎの説明に違和感を感じていた。
アリ植物(Ant plants)という概念がある。一般的な理解のためには、ウィキペディアで「アリ植物」の項を見てもらえばよいだろう。但し、ウィキペディアでは論点が少しばらついているし、分かり難いと感じる方もいるだろう。http://www.biol.tsukuba.ac.jp/~algae/BotanyWEB/ant.html のサイトには、もう少し簡潔にまとめた説明がある。その中から引用するが、
「最も単純な例は、アリに餌を与えてガードマンとして雇っている例である。葉柄などにある花外蜜腺から分泌される蜜を目当てにアリが集まる現象はさまざまな植物で見られる。」という記述や、「より親密度が高い例として、アリ植物 (ant plants, myrmecophytes) とよばれるものがある。トウサンゴヤシ属 (ヤシ科) やオオバギ類 (トウダイグサ科)、アカシア属 (マメ科) の中には、茎の一部が変形し、そこにアリが巣をつくっているものがある。これらの植物も花外蜜腺や脂肪体をつくってアリに食物を供給しており、ガードマンとしてのアリの利用がより進んだものだと思われる。またアリは食植性の昆虫を排除するだけではなく、そのアリ植物にとって不利益になる (光の奪い合いなど) つる植物や隣接する植物の葉や枝を切り落としてしまうことまでするらしい。」という書いてある。
続いて「ただし植物にとってアリがガードマンとなっているという説は疑問視されることもある。もともと食植性昆虫はそれほど多くないという報告もあり、アリのガードマンとしての有効性はそれほど高くないのかも知れない。」とも記載してある。
後半の疑問は、少し現場を観察していれば当然起こってくる疑問であろう。結局、どちらの意見を採用するのかと思うのだが、現象自体が面白いため前半の立場に立った説明が多く、後半の部分はエクスキューズとしての叙述だと思われる。
しかし、大事な問題はそこにはない。アリ植物という概念形成における根本的な誤りは、アリを集めるために植物が蜜を出していると決めつけている部分にある。アリ植物という概念は、蜜線から分泌される蜜をただ舐めに来ているに過ぎないアリと、同じく舐めに来たその他の生物間での餌の取り合いを、寄主植物保護行動であると強引に読み替えることでのみ成立する概念にすぎない。
このアリ植物という定義は、いつ読んでも何度読んでもどこか胡散臭い。実に自然に、花にある蜜腺の話は除外されている。アリは、花の蜜腺には行かないのだろうか? 花の蜜線に集まるアリを見る場合があるが、この場合は花粉を運ぶかどうかで虫媒(entomophily)とか盗蜜(nectar robbing)という別の概念で説明するのであろう。この変幻自在な立ち位置の変更が気にくわないのである。
確かに、あるアリとある植物に視野を狭めてしまえば、アリ植物として語られた見方ができる場合があるかもしれない。しかし、この定義の構造を少し他の生物に拡張しようとすると、とんでもないことが起こってくる。例えば、人がイヌに残飯をやる。イヌは人をホストであると捉え、他の生物からの攻撃からヒトを防御する。そういう場合、この人をどう呼ぶか。アリ植物という命名法に従えば、イヌ人間と呼ぶことになる。あるいは、アブラムシ(ゴキブリではない)は吸汁した篩管液中の過剰な水分と糖分を「甘露」として排泄するのだが、これがアリの好物であることからアリは外敵からアブラムシを保護すると云われている。いわゆる、アリとアブラムシの共生といわれる現象である。ではこのような行動をとるアブラムシを、アリアブラムシと表現するか。どこかおかしい。アリはアブラムシが増えすぎると、これを間引いて食べるという。そうなると、まるでヒトとウシの関係と同じになる。共生という概念さえ揺らいでしまい、家畜という概念に当てはまりそうだ。
ある現象に関与する生物の行動を、一つの概念—例えば共生—で説明することを試みる。それは悪いことではない。科学における仮説とはそういうものだ。次に、その仮説が成立するかどうか、多くの実例を観察する。ここまでは良いのだが、次のフェーズにおいて仮説と実例の主客転倒が起こってしまう場合が見受けられる。仮説が美しく魅惑的であればあるほど、仮説に合わない例の切り捨てが起こるのである。そして、恣意性におかされた集合間の偽相関に基づく間違った概念が構築されるのである。
要するに理由付けの時系列が間違っている。植物が、アリを呼び寄せるために蜜を出すのではなく、蜜を分泌したからアリが来たに過ぎない。アブラムシは単なる排泄をしただけである。その後、アリが来たのである。ここでの時系列を無視した理由付けの錯誤が、その後の議論が錯綜する原因となっている。
ヒトの行動には、多くの場合目的を意識した意図が存在する。従って、意図を考慮に入れた解析・評価が可能である。人は飛行機を飛ばすために翼を作った。翼の機能を解析すれば作った人の意図が解析できる。リヴァースエンジニアリングと呼ばれる解析方法である。しかし、鳥は飛ぶために翼を作ったという考えは成立しない。翼ができたから飛んだのであろう。翼の機能を解析したとしても、作った理由には到達できない。同じく、植物が蜜を分泌するという行動に、リバースエンジニアリング的解釈はそぐわないだろう。それにしても、なぜ植物は蜜を分泌するのか。ここに真の問題がある。ある理由で分泌された蜜が、次なる生態学的連鎖をもたらす事は否定しないが、次なる生態学的連鎖を意図して、植物が蜜を分泌するとする常識には断固反対する。ロジカルに考えればそうならざるを得ない。
何はともあれ、私が提唱している歴史生物学においては、生起する現象の時系列を重視する。時系列を重視する視座からみると、今まで行われてきた生物間の相互作用に対する説明が崩壊してしまう場合が少なくない。これらの全てについて、生起する現象の時系列を基礎に再構築する作業は、私一人の手に負えるとは思えないが、行けるところまでいってみたい。
それはそうと、植物が分泌する蜜をこのロジックの中で捉えるとどうなるのだろう。植物はどこから蜜を分泌するのか。花だけではなく花外蜜腺と総称される器官からも蜜を出す。この命名の根底には花から出すのが当然で、それ以外の蜜腺といった響きがある。しかし、花以外の部分から蜜を出す植物は少なくない。ソメイヨシノ、オクラ、スズメノエンドウ、カラスノエンドウ、ホウセンカ、フヨウ、モッコウバラ、イタドリ、アカメガシワなどなど、花以外から蜜を分泌する植物には事欠かない。花から分泌する蜜に花粉を媒介する昆虫が集まると虫媒花という概念が成立し、鳥がやってくると鳥媒花という概念が成立する。花を横から食い破って蜜を吸うと盗蜜という概念も出現する。アリが集まり他の“害虫”を排除するとアリ植物という概念も成立する。先にそんなあやふやな定義があるものかと批判したが、定義をする上でその基本となる現象を認識する視座がふらついているのである。
要するに、植物が何らかの“植物側の理由”で蜜を分泌するようになった。その蜜に対して、動物が、昆虫が、微生物がそれぞれの行動を起こしたのである。その行動に伴う副作用として、いくつかの現象の連鎖(植物との相互作用)が起こる。その現象が共進化という概念で表される過程を経て、現在の洗練された形になっていると理解したほうが、論理的不整合を招かないと主張しているのである。
転載終わり
あれはこれのため、これはあれのためと、現象と機能の時系列を無視したアドホックな説明を止めましょう。これは生物学の話だけではない。現在起こっている社会的現象についても、底流にある大きな流れを意識して判断しましょうという呼びかけである。そう言えばアストラゼネカ社が日本国内の支店・営業所(計67拠点)を2021年4月を目途に全て閉鎖することを決めたそうだ。この中には東京支店、関西支店、九州支店といった規模の大きい拠点が含まれる。同社広報部は本誌取材に、ワーク・ライフ・バランスを推進する働き方改革の一環として拠点閉鎖を行うと説明したそうだが、そうだろうか。我が国の政府はアストラゼネカ社のワクチンの購入を決めている。但し、ワクチン接種に伴う副作用など問題が起こったときはアストラゼネカ社は責任を負わず、我が国の政府が対応するという条件付きで、約6700億円での契約だった。https://www.mixonline.jp/tabid55.html?artid=69714
今からワクチン接種が始まろうとする時期に、支店と営業所をまとめて閉める?常識では理解不能です。ワクチンが不良品であると知っているのであれば理解可能ですが。