今日はジャンボニンニクの植え付けをしようと張り切って畑に行ったのだが、まだ荒起の畑には堆肥も石灰も入れていない。5アールほどの畑にペレット堆肥40Kgと粒状消石灰40Kgを撒いたらもう昼である。思ったより気温が上がっているらしく、ブヨがつきまとってくる。仕方なくネット付きの帽子をかぶりその下にサングラスをかけ、エンボスタイプのビニル手袋の上から農作業用の手袋をつけての作業になった。見かけは怪しい。都会であれば通報されても仕方がない格好である。本人は極めて暑い。ブヨさえいなければと思うがこればかりはどうしようもない。奴等には奴等なりの生きる論理があるのだから、人の立場からだけであれこれ言ってもそれは我々の我が侭だろう。
午後はトラクターを通そうと思っていたのだが、稲刈りの予定を思い出した。一方の田んぼが10日、もう一方の田んぼが14日である。今年の稲刈りは営農組合に頼んでいるので何もしなくて良い。雨が降らないように神頼みをしていれば自動的に玄米となるので、稲刈りの次の日に受け取りに行けば良い。とても楽なのだが少し淋しい。ということで、田の水を落としに行った。水源となる川に作っておいた堰を壊して水口につながる水路への流れ込みを止めた後、排水用のパイプの栓を抜く。もちろん表層水は止水板を外して水路へと流す後10日、上手く乾いてくれることを願うだけである。気にかかるのはトビイロウンカ、近隣の田んぼにウンカによる坪がれがではじめている。毎日見回っていたとしても一晩で褐色に枯れたサークルができる。そうなると取れた米も美味しくないそうだ。
昨日書かなかったが、歴史的に見れば水媒花が先行し、風媒花が遅れて出現し、その後虫媒花が現れたのは間違いないだろう。しかしながら、イネ科植物をはじめとして一旦虫媒花というシステムを持ったにも拘わらず、多数の植物が、再び風媒花へと進化した歴史を持つという事実を、虫媒花の方が受粉効率が高いという証明できそうにない単純な理由で説明できるのだろうか。 植物が光合成で生産した糖とATPをどう使う(消費する)かというシステムの構築が、先に在ったように感じている。