頑迷固陋なおじさん方へ

 仕事を辞めた後、人とのつながりが少なく、かつ薄くなって悩む人が多いと聞く。中高年の、それも多くは男性が、淋しくなったあげくぶつぶつと嫌みと苦情をいうようになり地域社会の中で浮き上がってしまう例には事欠かないようだ。こうした場合、件の人が退職前の事業所における役職や文化を引きずっている場合が多い。どんな職場にもその職場独特の文化があり、スラングがあり、空気がある。しかし、辞めた後の生活において、そうしたものは役に立たないだけでなく、むしろ有害である。辞めた時点で、全てを捨てる。人に聞かれない限り過去の話をしない。役職など辞めた後では少々以上に邪魔になると思った方が良い。知識、人格、識見、判断力など個人として持っているものを捨てろというのではない。過去に座っていた職業や椅子に付随していたもろもろのモノを捨てよと言っているだけである。

 若い人だけでなく年寄りにも多いのだが、自己評価を優先してしまう人が多い。私はこんな人ですとか私的にはこう思うと、自説だけをただ主張する。私的という表現は若い人がよく使うようになってきたが、余り好きな表現ではない。とにかく、自分探しで漂流するなど無駄なことで、他人の評価した私こそが、世間に通用する私である。いやいやこれは、単なる私の意見であり、人に押しつけるつもりはない。ただ、そう考えておけば気が楽だ。万事、やりたいようにやる。その結果生じてくる他人の評価を素直に受け容れる。評価が余りにも低ければ反省するし、余りにも高ければそれは誤解だろうと思うだけで済む。とにかく過去を引きずることなく現実に向かう。私はそうすることで今のところうまく行っている。

 断捨離という言葉が流行っているらしい。断捨離と言う名前の本もすごく売れている。断捨離の語源は、ヨガの「断行・捨行・離行」から生まれた言葉で、「断」は入ってくる要らないモノを断つこと、「捨」は家にあるガラクタを捨てること、「離」はモノへの執着から離れることを表すという。ひたすら簡素な生活を実現できれば、確かに身軽にあの世にいけそうな気がしないでもないが,そこまで力まずにモノを増やさない程度の生活で良いと思っている。不要不急のモノは要らないと厳しく縛ってしまうと、生活の潤いまで失ってしまいそうだ。極端は何でも良くない。断捨離が必要なのは、むしろ精神についてだと思う。「断」は不要な情報を経つこと、「捨」は有害な過去の記憶やプライドを捨てること、「離」は利害や損得から離れることだ。もっともこれが完璧に実行できれば、もうすでに仏である。だから、まだ生きている人にとってこの精神的断捨離もある程度で良い。

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