清々しい初詣で

 年が明けて2日間、家から殆ど出なかった。年賀状を書いていたのと寒かったのが原因である。引き籠もるのが3日目ともなると、少々運動不足気味になるだけでなく、精神衛生上よろしくない。しかしながら、外で働くのはまだいくぶん気が引ける。お屠蘇気分のなかで、チェンソーの音を響かせるのは無粋であろう。近所には走る車は少なく、ほぼ無音である。とすれば、初詣でに行くしかない。

 まず、地元の氏神である賀茂神社に行った。歩いても30分くらいだから車で行く必要はなかったのだが、3社参りを考えていたので、車で出かけた。この神社はとても格式の高い神社で、ここの宮司さんから紹介状をもらって伊勢神宮に行くと、通常は入れない内部にまで入れると聞く。祭神は、神日本磐余彦尊つまり神武天皇と、賀茂建角身命、賀茂別雷命、玉依姫命で、京都の上賀茂神社と下賀茂神社の祭神に神武天皇が加わるという構成になっている。一度書いたことがあるのだが、この神社の行直大宮司が慶安4年(1651年)に誌した旧記には、「賀茂大神は最初にこの地に天降り鎮座された。神武天皇が日向から大和へ御東遷に際して、宇佐から山北へ来られた時、賀茂大神は八咫烏(やたがらす)と姿を変え御東幸を助け奉られた。今も神武天皇と賀茂大神を奉祀する」と書いている。つまり神武東征における道案内をしたと云う八咫烏の飛び立った地である。日本サッカー協会は挨拶に来たのだろうか?

 すごく由緒のある神社であるが、残念なことに少々寂れている。参拝したときも誰もいなかった。まあ私は雑踏が嫌いだから閑散とした雰囲気は好きなのだが、余りにも参詣者が少ないのは少々寂しい。

 次に出かけたのが高御霊神、社別名を的(いくは)物部の宮である。これも殆ど知られていない神社で、うきは市の合所ダムの東岸を遡上して、姫治郵便局のすぐ上、新川派出所の向かい側にある古社で、ここも由緒深い神社である。祭神は高皇産霊神、天御中主神 、神皇産霊神 の三神で、古事記の始めの頃に出てくる神々である。全く知らなかったのだが、旧姫治村のこの神社の社家は、物部の本家であることを10年ほど前まで隠し通してきたと云う。確かにうきは市から久留米市にかけて物部という性を持つ人が多数存在する。先に書いた合所ダムに沈んだ多くの集落には物部姓の人がたくさん済んでいたそうだ。もっと興味深いのは、この合所ダムのすぐ西側にある藤波ダムというダムがあるのだが、その藤波ダム下流の公園の隅に「物部本家ここにあり」という意味の石碑がポツンと立っているそうだ。これは先日探しに行ったのだが、まだ見つけきれていない。少し暖かくなったら、再度探しに行くつもりである。

 物部氏の総本家の神社であるとすれば、少し参詣者がいてもおかしくないと思うのだが、この神社にも誰一人いなかった。神社の佇まいは良いし、境内の御神木はかなり大きなイチイの木(多分)で、私好みの神社である。偶々だが、母方の祖母がこの辺りの物部さんであったというごくか細い縁で見つけた神社だが、年に数回は参詣している。

 最後の神社は、極々日本的な神社で祭神は人である。江戸時代(1663年)に筑後川から潅漑用水路開削工事を行った山下助左衛門をはじめとする五人の庄屋さんたちを祭っている。水の神である罔象女神(ミズハノメの神)が祭神であるかどうかは見落とした。時々通るところだから、次に通った時に確認しよう。うきは市は筑後川のすぐ横にあるとは云え、その水を使うのは地形的に難しかった。そこで大石地区に堰を作りここから潅漑用水を流す水路を作ったわけである。かなりの難工事であったようだが、この用水のおかげで川の南岸での米の生産が安定したと云う。このため、五人の庄屋さんの偉業を伝える8社の水神社が存在する。

 私の田はここの用水から水を得ているわけではないが、まあ正月と云うことで参詣した。人は少なかった。私以外には一組の夫婦が来られただけであった。3日の午後だったし、コロナの件もあり皆さん外出を控えていたのも原因だったかもしれない。ほとんど人に会わない清々しい初詣でであった。

 蛇足だが、筑後川の対岸にも2社の水神社が存在する。筑後川の北岸でも水が不足する干ばつを防ぐために、享保7年(1722年)に堀川下流の農民による開削工事が行われ、作られたのが堀川用水と呼ばれる水路である。この工事の安全と水難消除のために建立されたのが、国道386号線沿い恵蘇八幡宮の南隣りにある水神社が建立されている。この社殿の地下に堀川用水の切貫水門が掘られているのだが、この水門に水を導くために作られたのが山田堰である。この堰は、アフガニスタンで潅漑事業を続け、一昨年凶弾に倒れた中村哲さんが、現地で取水堰を作るときに参考にしたと云うことで有名になった。ここから取り込まれた水は、筑後川の北岸に沿って流れ、現在でも三連水車、二連水車によって水位を上げられた後近隣の農地を潤している。

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いやな時代だな

 しばらく前にアメリカの大統領選について少しだけ書いたことがある。何とか云いながらも、世界の大国であるアメリカ合衆国、我が国も安全保障条約を結んでいるこの国の大統領が、売田になるか都灯になるかは大きな問題である。1月6日以来、毎晩というか毎朝3時から5時頃まで、情報が欲しくてネット上を彷徨っていた。寝不足である。朝と夜が入れ替わってしまった。

 1月6日の議事堂乱入事件が論外の事件であることは当然として、あの事件以来アメリカの民主党も発狂したように見える。あの日のトランプの演説会場にアーミッシュの人たちが参加していたのは驚きだったが、ペロシ下院議長がジェンダーフリー思想を強制する法案を提出予定だと聞いて納得した。今まで、ほとんど何も書かなかったのだが(一度だけトランプの方が less worst であると書いた記憶がある)、なかなか書きがたいことが多く困っていた。書いてしまえば陰謀論者と認定されてしまい、後の話を聞いてもらえなくなるからである。どちらかと云えば less worst であるトランプを支持する立場に立つ理由にはいくつかの理由がある。でもそれは書かない。困っているのは、世のトランプ支持者の中に私が余り評価していない宗教団体の人がかなり多く、そういう人々が数多くの記事を発信している。何処までが本当でどの部分が彼らの希望であるのかを読み解くのが非常に難しい。これは彼らが嘘を言っていると云うのではない。人は皆、自分の主義主張と云う色眼鏡を付けていると云うだけである。同じことが、アンチ中共を旗印とする報道機関の報道を読むときにも存在する。アメリカに限らず日本のマスコミはバイデンで決まったと云う前提の記事しか掲載せず、トランプに関しては不利な記事しか載せない。

 一寸だけ言い訳だが、私はグローバリズムの流れには危惧を抱いている。いつも云うように温和なローカリズムを好み、各民族の習慣や風習を尊重した国際社会を願っている。そういう意味ではGAFAが支配する世界には強い違和感を持っているわけだ。今回の大統領選に関してGAFAを始めとするSNSとマスコミのトランプ側の人々に対する処置には驚くを通り越して嫌悪感さえ感じているわけだ。SNS全体主義とでも言えるかもしれない。この選挙、日本的価値観からトランプの負け際が汚いなどとする批判はいろんなところで目にするのだが、反面判官びいきの論が述べられることはほとんどない。原点に戻るとすれば、不正選挙があったかどうかが判断の基礎であるべきだと考えるのだが、そこから説き起こす報道は日本にはなさそうだ。などと云っても、他国のことである。弾劾案が下院を通ったとしても、19日までは上院は閉会している。もちろん19日以前であっても、上院議員全員の合意があれば開会可能なのだが、共和党議員全員の合意がとれるとは思えない。つまり、そこまではトランプが法に則った大統領である、と書いた新聞はないような気がしている。これからどうなるのか、まだ全く分からない。

 昨年の11月3日以来、寝不足が続き視力がかなり落ちている。この選挙に決着がつかない限り、眼鏡が必要になりそうで免許更新にも行けないわけだ。でも、世界の金融史、アメリカ史、スイス、イギリスの凄さと強欲さなど、私はほとんど知らなかった。現代史を学習するには良い機会であったと云える。あと数日、早朝まで頑張ることにしよう。

 それはそうとコロナの問題なのだが、世界中の政府の対応はすべて優先順位の置き方が間違っている。と思うのではなく断定だ。コレラも、赤痢も、ペストも、結核も、チフスも怖い伝染病である。そうであるのに、なぜあなたは怖く感じないのか。治療薬があるからである。コロナウイルス感染症に対して、罹ったら飲めば効く薬があれば、ここまでの社会不安をもたらすことはなかったはずである。しかし、各国政府は治療薬を探すことに力を入れることなく、まだ成功したことのない抗RNAウイルスワクチンへの誘導を続けてきた。コロナウイルス感染症に効果がありそうな既存薬がいろいろリストアップされているのだが、これらが話題に上ることはほとんどない。ご老体の政治家は論外として、マスコミのサイエンスに対するリテラシーの低さに唖然とせざるを得ない。先日書いた20グラムの春菊の記事も無知の極みの報道であったが、それと同じことがはるかに大きなスケールで進行しているのである。まあ田舎の爺がいくらぼやいてもしょうのない話だが、何とかしないともっと悲惨な状況に陥ってしまいそうだ。

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年賀状、ようやく書いた

 新しく購入したマックに昔のデータが残してあった。そこで、昔使っていた古い宛名書きソフトのDVDを引っ張り出してインストールした。そこまでは良かったのだが、いざ宛て名面を編集しようとしたら、フレームがダウンロードできない。悪戦苦闘したにもかかわらず、どうしようもない。調べてみたら何でもない、サポート期間が過ぎていた。現在売られているバージョンのものを買えばいいかと安易に考えていたら、現在のバージョンには私のマックのOSが古すぎて非対応である。旧バージョンで3年前の住所録をかろうじて見ることができたので、csv形式でエクセルに書き出そうと思ったのだが、コンマ区切りでの出力が上手く行かず、これも断念した。

 仕方なく、残しておいた裏面の絵だけはPowerPointに移し、新年の挨拶文を挿入して印刷、その後Wordを使って、表面の自分の住所を印刷、宛て名は手書きで行うことにした。書いてみるとわかるのだが、いやいや漢字を忘れている忘れている。読めるのだが書けない字の多さに驚く。麒麟の麟、畷、渡辺さんの辺の異体字の数々、桑にも桒という異体字があったな。異体字という表記そのものに異體字という表記があるくらいだから仕方ないかもしれない。ご本人は自らの姓名を大事にしているのであろうとおもえば、勝手に変えるわけにもいかない。PCにひらがなで入力し、字体を決めたあと拡大して何度か練習しそれから年賀状に転記する。

 そう書けば、ある程度スムーズに書き進んだように聞こえるが、そうでもない。万年筆マニアである私は、ボールペンは殆ど使わない。ところが、インクジェット用の年賀状に万年筆で書くと、インクが滲んできれいに書けない。水性ボールペンも0.7ミリのやつを使うと少し滲む。ジェルインクを使った油性ボールペンであれば良いと感じたが、万年筆を使い慣れている人間としては、筆圧の強さに違和感があった。結局、水性ボールペンを少し早めに動かして滲みを少なくするようにして書いた。でも、そうすると字を間違えるのです。いやいや大変だった。元旦の夕方に6割ほどの賀状を投函し、2日の夕方に残りの4割位を投函した。明日はまた、出していない人からの年賀状が届くだろう。初詣でどころではない。

 年賀状、出さない人が増えてきたという話を聞いていたが、今年はコロナのせいで投函数が多かったと聞く。とはいえ、PC上で宛て名と裏面を印刷して投函するだけの賀状であれば不要に感じる。私は、原則として宛て名面と裏面の絵の部分は印刷し、少し残したスペースに肉筆で近況を書くというスタイルで通してきた。今後は、全部印刷の賀状に対しては返事を書かないようにしようかと思っている。もっとも、裏面の絵や写真に力を入れている方もいる。こうした人についてはその絵や写真から現況が読み取れるし、気持ちもわかるので、賀状の交換をやめるつもりはない。50年近く、賀状の交換は続けてきたが一度も会ったことのない人がいる。街で出会っても絶対にわからないと思う。互いにやめるきっかけを掴みかねているというのが実態だろう。どこかで、卒年賀状の連絡をすべきかなと思っているが、なかなか踏ん切りがつかない。

 今年も、文句の多い爺として生きていくしかなさそうだと、心から思っている。この歳になってそう簡単に変わるとは思えない。周りから見れば、実にこっけいなものであると認識している。従って、こうした拘りは自分に対してのものに限定し、他の人に対して強制するべきではないという原則は守るつもりである。

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どうもおかしい? イソキサチオン春菊事件

 ずっと前に書きかけていたもので、間違って中途でアップした。すぐに取り消して追記していたときにPCが壊れ、そのままになっていたものである。農薬研究者だった一人として、書き残しておくべきだと考え、題材としては古くなったがアップすることにした。恥ずかしいことだが、私も計算を間違っていた。ADI関連の部分を書き直しています。

 昨日だったかな一昨日だったかな、JAくるめが出荷した春菊から高濃度の殺虫剤(イソキサチオン)が検出されたと云う報道があった。だが、この報道は間違いだらけである。ちょっとだけ解説しよう。まず、元記事を下に示す。

記事1

食べると嘔吐や失禁も 春菊から基準値180倍の農薬 福岡市が注意

12/9(水) 0:26配信

 福岡市は8日、JAくるめ(福岡県久留米市)が出荷し、福岡市内の青果店で販売された春菊の一部から基準値の180倍の農薬イソキサチオンが検出されたと発表した。8日までに被害の報告はないという。

 市が流通している青果を抽出して検査したところ、判明した。対象品は7、8日に販売された「筑紫次郎の贈りもの 春菊 福岡県産」。市によると、少なくとも市内の4店舗で販売したことが分かっている。店舗名は市のホームページで公表している。今後、販売店舗は増える可能性がある。市は対象品を食べないよう呼び掛けている。

 市によると、イソキサチオンの基準値は0・05ppmだが、検査で9ppmを検出。生産者は特定している。体重60キロの人が20グラムを食べると、よだれが垂れる、嘔吐(おうと)や失禁を引き起こすなどの症状が出ることがあるという。(布谷真基)

西日本新聞社

記事2

基準値180倍超え農薬の春菊、原因はタマネギ用の誤散布

2020/12/9 16:12 (2020/12/10 8:40 更新) 

西日本新聞 社会面平峰 麻由

 JAくるめ(福岡県久留米市)が出荷し、福岡市内の青果店などで販売された春菊の一部から、基準値の180倍の農薬イソキサチオンが検出された問題で、JAくるめは9日、一軒の組合員農家が、タマネギ栽培で使う害虫駆除のための農薬を、誤って春菊に使用したためと明らかにした。

 福岡市の検査結果を受けてJAが行った農家への聞き取りで、畑でタマネギを栽培している農家が、余った農薬を隣のビニールハウスで栽培している春菊に使用したと認めたという。

 JAくるめによると、イソキサチオンはタマネギの場合、土にまくため食べる部分には着かず、収穫までの間に分解もされる。だが、春菊は葉の部分に農薬が付着するため、高濃度になり得るという。営農事業部の原文雄部長は「農薬の使用基準に沿って使うよう注意喚起する」と話した。

 この農家は5~8日にかけ、23ケース(1ケース25袋)程度をJAくるめに出荷。JAが福岡市中央卸売市場の卸売会社「福岡大同青果」に出荷し、福岡市内の青果店やコンビニエンスストアに流通したという。市は販売店舗をホームページで公表している。大同青果は流通分の自主回収を急いでいる。 (平峰麻由)

 その他の新聞社も記事は出しているが、多分ネタ元は地元の西日本新聞社だと思う。記事の中で「市によると」と書いてあるところを見ると市が記者会見をやったのだろう。まず押さえておく事はイソキサチオンという農薬についてである。これはかなり歴史の長い有機リン系の殺虫剤で、初回の農薬登録は1972年である。このイソキサチオンを含む農薬には3つのタイプが存在する。一つは乳剤で、水に不溶性の薬品を水中に微細かつ均等に分散させ、乳状とした液剤であり、通常は水中に油型が懸濁してる乳剤が多い。イソキサチオンにおいてはカルホス乳剤がこれに相当する。粉剤とは微粉化した薬剤に増量剤としてベントナイトのような増量剤を添加して扱いやすくしたもので、イソキサチオンについてはイソキサチオン粉剤、やイソキサチオン微粉剤が存在する。いまひとつのベイト剤は粒剤の一種で、薬剤を虫が好む餌に混ぜ込み害虫に食べさせることで効果を示す製剤である。イソキサチオンに関しては ネキリエースKがよく知られている。

 タマネギ農家が余った農薬を春菊にまいたと書いているところから判断すると、イソキサチオンを主成分とする農薬でタマネギに適用がある農薬ということになる。散布時期も考慮すれば、多分イソキサチオンを主成分とするカルホス乳剤だろう。タマネギに使ったこの乳剤散布液の余りを春菊にかけたとすれば、原液に対し500~1000倍希釈液であると推測できる。問題は春菊にイソキサチオンの適用があるかということだが、カルホス微粒剤のみが定植時に土壌混和する形での使用が認められている。ただ、イソキサチオンには植物体への浸透移行性は殆どなさそうなので、もしこれが使われていたとしても、検出されたイソキサチオンは「タマネギに使って余った農薬」、つまり法に則って散布されたのではない農薬に由来すると考えていいだろう。

 そこでだが、春菊から検出されたイソキサチオンが合法的なイソキサチオンではないとすれば、残留基準値としてどんな値を採用すべきかという問題が発生する。厚生労働省のサイトを見ると、春菊におけるイソキサチオンの残留基準値は0.05ppmとなっている。(https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11130500-Shokuhinanzenbu/1225-2.pdf)これはカルホス微粒剤が定植時に土壌混和する形で合法的に使用されたときの残留基準値である。葉っぱに直接乳剤を散布するような違法使用を認めた上での基準値ではないはずである。にもかかわらず、「市によると、イソキサチオンの基準値は0,05ppmだが、検査で9ppmを検出し、この濃度を基準値の180倍の農薬イソキサチオン」として発表した。何だか一寸ばかり騙されたような、騒ぎを大きくしたくないという思いが滲み出ているような発表である。

 現在、農薬の残留基準に対してはポジティブリスト制が適用されている。この制度が、小規模で多種の作物を作っている日本の農業にとってはかなり厳しい制度であると思ってはいるが、法は法である。従わないと罰則が待っている。このポジティブリスト制においては、ある作物に適用のない農薬が何らかの理由でかかった場合(いわゆるドリフトなど)、一律に0.01ppmという厳しい残留基準値が適用される。この値を基準値として採用すれば、残留量は180倍ではなく900倍という値となる。多分、あまりセンセーショナルな値にならないようにという配慮から、無理ではあるが0,05ppmという基準値の採択があったと思われる。まあ、気持ちは理解できないこともないが、間違いは間違いであろう。

 問題は、その後の部分にもある。「体重60キロの人が20グラムを食べると、よだれが垂れる、嘔吐(おうと)や失禁を引き起こすなどの症状が出ることがあるという。」という文章である。これは誤解を誘導するあまりにも酷い報道である。まず、「体重60キロの人が20グラムを食べる」という文章で、20グラムは何を意味するのか。一般の人が常識的に読んだ場合、春菊を20グラム食べると読むのではないか。ここで農薬の原液あるいは原体をを20グラム食べることであると読む人がいたら、その人は一寸以上におかしいと思う。

 常識的な人間としては、春菊20gを食べたら危ないと思うであろう。つまり、体重60kgの人が180マイクログラムのカルホス乳剤あるいはイソキサチオンそのものを食べると「よだれが垂れる、嘔吐(おうと)や失禁を引き起こす」と読めてしまうのである。しかしながら、食べた20グラムの春菊に9 ppmのイソキサチオンが含まれていたとしても、含有量は180マイクログラムにすぎない。摂取量は体重1kg当たりにすれば3㎍/kgとなる。現実の話、分析はイソキサチオンそのものに対して行われるので、こので議論されている値はイソキサチオン原体の値である。次の表に示すように、イソキサチオン原体の急性経口毒性はマウスの雄に対して112mg/Kg程度である。この値は半数致死量を示しているので、通常この十分の一程度の摂取量であれば大きな影響は出ない。百倍の安全率で見ても約1mg/Kgと3㎍/Kgとの間には300倍以上の開きがあるわけだ。

 化学辞典 第2版の解説によれば、有名な化学兵器であるサリンの急性毒性は5~10 mg/kg(経口)である。とすればイソキサチオンの毒性はサリンよりはるかに高いということになる。そんな毒性の高い物質が農薬として認可されるか?そんなバカな話があるものか。カルホス乳剤の毒性についてはもちろん公表されていて、その値は次の表に示す通りである。

 さて、2016年1月の内閣府に属する食品安全委員会農薬専門調査会各種試験結果(http://www.fsc.go.jp/iken-bosyu/iken-kekka/kekka_27.data/pc2_no_isoxathion_280113.pdf)において、各試験で得られた無毒性量及び最小毒性量のうち最小値は、イヌを用いた 2 年間慢性毒性試験及びウサギを用いた発生毒性試験の 0.2 mg/kg 体重/日であったことから、 これを根拠として、安全係数 100 で除した 0.002 mg/kg 体重/日を一日摂取許容量 (ADI)と設定している。一日摂取許容量 (ADI)とは、人が、毎日、一生涯、食べ 続けても、健康に悪影響がでないと考えられる量として定義されている。つまり体重60Kgの人であれば0.002×60=0.12mg、つまり0.12mgを毎日食べても全く影響はないと考えられる。20グラムの春菊に含まれる9ppm相当のイソキサチオン量は 0.18mgであり、ADI値をいくらか越すとは言え「よだれが垂れる、嘔吐(おうと)や失禁を引き起こす」ようなことが起こるはずもない。経口急性毒性だけから考えれば、たまたま体重60Kgの人が、50倍つまり春菊の1kg食べても命にかかわることはないだろう。もちろん、食べることを勧めるわけではないし、件の春菊が良いというわけではない。

 この記事は何を言いたかったのだろう。後段において春菊中の含有量とイソキサチオン原体の重量を取り違えたがゆえに、異常に危険性が高くなってしまったため、社会的影響を小さく抑えようとする政治的判断から、基準値に関しては大きいほうの残留基準値を採用したのかもしれない。

 イソキサチオン、開発したのは三共だったと記憶しているが、このカルホス乳剤は原体は保土ケ谷UPLが生産し、全国農薬協同組合と日本曹達が販売している。私見だが、きちんとクレームを書いて、訂正記事を出させるべきではないだろうか。農薬企業をことさら応援するつもりはないが、間違った記事で農薬のイメージをことさら落としてしまうのは企業にとっても農家にとっても消費者にとっても好ましいことではないと思う。議論は正しい値を使ってすべきである。

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PC更新

 使っていたiMacが突然立ち上がらなくなって半月以上経った。その間、かなり古いMac Airをもっと古いCRTにつないで使っていたのだが、OSのバージョンは古いし日本語入力は付属の古い「ことえり」を使わざるを得ないということで、いま一つペースに乗れなかった。OSが古いとアクセスできるサイトが限られてしまう。ウィキペディアを頭から信じているわけではないが、頭から接続を拒否されると、ちょっとした記憶の確認などまで滞ってしまう。新しいマシンを買おうと思っていたのだが、従来使っていたソフトが新しいOSの下では動かないことがわかった。ソフトを買い揃えるととんでもない金額になりそうなので、その辺りを考慮して中古のマックを探してもらうことになった。

 などなど、いろいろありまして、なんとか新しいマシンを手に入れた。とは云え、いろいろと使いやすいようにセットアップしなければならない。暇をみながらあれこれといじっているのだが、付属の日本語入力ソフト である「ことえり」が賢くなっているのには驚いた。しかしながらやはり馴染んだ環境の方が違和感がない。この際、ATOKの最新版を入れようと思ったら、なんとも価格が高い。さらに、いろんな機能が多過ぎて鬱陶しく感じた。つまり定年後の老人の手には負えそうにないと判断した。長年使ってきたATOKだが、もう買うのは諦めた。もっと軽くて使い勝手の良く少し長めの単語の登録機能を持つ適当なソフトはないかと探していたら、「かわせみ」という昔のEGBRIDGEの流れを組む日本語入力ソフトが販売されているのを見つけた。私のMacのOSでは「かわせみ2」が動く。1ライセンス契約買取でわずか2,200円だから、価格も実に手頃である。良いか悪いかはわからなかったが、使いづらくて捨てるにしても2,200円で済む。すぐに買った。ダウンロードして使ってみると、これが実に軽快に動く。とても気に入った、満足、満足。

 これで少しばかり書き続ける気になってきた。なんでもない入力作業の補助ソフトなのだが、ここで気を外らすようなちょっとした何かがあると、思考の流れが中断してしまう。何を書こうとしていたのかを忘れてしまうのである。必要以上の先読み変換は、定型文書の入力にはとても有効だと思うが、私のような人間にとっては鬱陶しいものである。つまり、私が大量に流通しているソフトウエアに適応できない老化した少数派であるというだけである。

 今朝は雨である。農作業はおやすみ。ずっと晴れた日が続いていたので、今日の雨で作物も一息ついただろう。しばらく寒い日が続いたのだが、そんな日の朝は植物の葉っぱが凍っているため、なまじ作業をすると折れてしまう。つまり、働くのは10時過ぎから寒くなる前の午後4時半くらいまでになる。根っからの無精者である私にとっては、なんとも嬉しい季節である。とは云え、そんな楽な日々ももうすぐおしまい。玉ねぎのべと病の防除、山の土地の法面の整備、再来年のために薪の作成等々、すべきことは山積している。

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