どうもおかしい? イソキサチオン春菊事件

 ずっと前に書きかけていたもので、間違って中途でアップした。すぐに取り消して追記していたときにPCが壊れ、そのままになっていたものである。農薬研究者だった一人として、書き残しておくべきだと考え、題材としては古くなったがアップすることにした。恥ずかしいことだが、私も計算を間違っていた。ADI関連の部分を書き直しています。

 昨日だったかな一昨日だったかな、JAくるめが出荷した春菊から高濃度の殺虫剤(イソキサチオン)が検出されたと云う報道があった。だが、この報道は間違いだらけである。ちょっとだけ解説しよう。まず、元記事を下に示す。

記事1

食べると嘔吐や失禁も 春菊から基準値180倍の農薬 福岡市が注意

12/9(水) 0:26配信

 福岡市は8日、JAくるめ(福岡県久留米市)が出荷し、福岡市内の青果店で販売された春菊の一部から基準値の180倍の農薬イソキサチオンが検出されたと発表した。8日までに被害の報告はないという。

 市が流通している青果を抽出して検査したところ、判明した。対象品は7、8日に販売された「筑紫次郎の贈りもの 春菊 福岡県産」。市によると、少なくとも市内の4店舗で販売したことが分かっている。店舗名は市のホームページで公表している。今後、販売店舗は増える可能性がある。市は対象品を食べないよう呼び掛けている。

 市によると、イソキサチオンの基準値は0・05ppmだが、検査で9ppmを検出。生産者は特定している。体重60キロの人が20グラムを食べると、よだれが垂れる、嘔吐(おうと)や失禁を引き起こすなどの症状が出ることがあるという。(布谷真基)

西日本新聞社

記事2

基準値180倍超え農薬の春菊、原因はタマネギ用の誤散布

2020/12/9 16:12 (2020/12/10 8:40 更新) 

西日本新聞 社会面平峰 麻由

 JAくるめ(福岡県久留米市)が出荷し、福岡市内の青果店などで販売された春菊の一部から、基準値の180倍の農薬イソキサチオンが検出された問題で、JAくるめは9日、一軒の組合員農家が、タマネギ栽培で使う害虫駆除のための農薬を、誤って春菊に使用したためと明らかにした。

 福岡市の検査結果を受けてJAが行った農家への聞き取りで、畑でタマネギを栽培している農家が、余った農薬を隣のビニールハウスで栽培している春菊に使用したと認めたという。

 JAくるめによると、イソキサチオンはタマネギの場合、土にまくため食べる部分には着かず、収穫までの間に分解もされる。だが、春菊は葉の部分に農薬が付着するため、高濃度になり得るという。営農事業部の原文雄部長は「農薬の使用基準に沿って使うよう注意喚起する」と話した。

 この農家は5~8日にかけ、23ケース(1ケース25袋)程度をJAくるめに出荷。JAが福岡市中央卸売市場の卸売会社「福岡大同青果」に出荷し、福岡市内の青果店やコンビニエンスストアに流通したという。市は販売店舗をホームページで公表している。大同青果は流通分の自主回収を急いでいる。 (平峰麻由)

 その他の新聞社も記事は出しているが、多分ネタ元は地元の西日本新聞社だと思う。記事の中で「市によると」と書いてあるところを見ると市が記者会見をやったのだろう。まず押さえておく事はイソキサチオンという農薬についてである。これはかなり歴史の長い有機リン系の殺虫剤で、初回の農薬登録は1972年である。このイソキサチオンを含む農薬には3つのタイプが存在する。一つは乳剤で、水に不溶性の薬品を水中に微細かつ均等に分散させ、乳状とした液剤であり、通常は水中に油型が懸濁してる乳剤が多い。イソキサチオンにおいてはカルホス乳剤がこれに相当する。粉剤とは微粉化した薬剤に増量剤としてベントナイトのような増量剤を添加して扱いやすくしたもので、イソキサチオンについてはイソキサチオン粉剤、やイソキサチオン微粉剤が存在する。いまひとつのベイト剤は粒剤の一種で、薬剤を虫が好む餌に混ぜ込み害虫に食べさせることで効果を示す製剤である。イソキサチオンに関しては ネキリエースKがよく知られている。

 タマネギ農家が余った農薬を春菊にまいたと書いているところから判断すると、イソキサチオンを主成分とする農薬でタマネギに適用がある農薬ということになる。散布時期も考慮すれば、多分イソキサチオンを主成分とするカルホス乳剤だろう。タマネギに使ったこの乳剤散布液の余りを春菊にかけたとすれば、原液に対し500~1000倍希釈液であると推測できる。問題は春菊にイソキサチオンの適用があるかということだが、カルホス微粒剤のみが定植時に土壌混和する形での使用が認められている。ただ、イソキサチオンには植物体への浸透移行性は殆どなさそうなので、もしこれが使われていたとしても、検出されたイソキサチオンは「タマネギに使って余った農薬」、つまり法に則って散布されたのではない農薬に由来すると考えていいだろう。

 そこでだが、春菊から検出されたイソキサチオンが合法的なイソキサチオンではないとすれば、残留基準値としてどんな値を採用すべきかという問題が発生する。厚生労働省のサイトを見ると、春菊におけるイソキサチオンの残留基準値は0.05ppmとなっている。(https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-11130500-Shokuhinanzenbu/1225-2.pdf)これはカルホス微粒剤が定植時に土壌混和する形で合法的に使用されたときの残留基準値である。葉っぱに直接乳剤を散布するような違法使用を認めた上での基準値ではないはずである。にもかかわらず、「市によると、イソキサチオンの基準値は0,05ppmだが、検査で9ppmを検出し、この濃度を基準値の180倍の農薬イソキサチオン」として発表した。何だか一寸ばかり騙されたような、騒ぎを大きくしたくないという思いが滲み出ているような発表である。

 現在、農薬の残留基準に対してはポジティブリスト制が適用されている。この制度が、小規模で多種の作物を作っている日本の農業にとってはかなり厳しい制度であると思ってはいるが、法は法である。従わないと罰則が待っている。このポジティブリスト制においては、ある作物に適用のない農薬が何らかの理由でかかった場合(いわゆるドリフトなど)、一律に0.01ppmという厳しい残留基準値が適用される。この値を基準値として採用すれば、残留量は180倍ではなく900倍という値となる。多分、あまりセンセーショナルな値にならないようにという配慮から、無理ではあるが0,05ppmという基準値の採択があったと思われる。まあ、気持ちは理解できないこともないが、間違いは間違いであろう。

 問題は、その後の部分にもある。「体重60キロの人が20グラムを食べると、よだれが垂れる、嘔吐(おうと)や失禁を引き起こすなどの症状が出ることがあるという。」という文章である。これは誤解を誘導するあまりにも酷い報道である。まず、「体重60キロの人が20グラムを食べる」という文章で、20グラムは何を意味するのか。一般の人が常識的に読んだ場合、春菊を20グラム食べると読むのではないか。ここで農薬の原液あるいは原体をを20グラム食べることであると読む人がいたら、その人は一寸以上におかしいと思う。

 常識的な人間としては、春菊20gを食べたら危ないと思うであろう。つまり、体重60kgの人が180マイクログラムのカルホス乳剤あるいはイソキサチオンそのものを食べると「よだれが垂れる、嘔吐(おうと)や失禁を引き起こす」と読めてしまうのである。しかしながら、食べた20グラムの春菊に9 ppmのイソキサチオンが含まれていたとしても、含有量は180マイクログラムにすぎない。摂取量は体重1kg当たりにすれば3㎍/kgとなる。現実の話、分析はイソキサチオンそのものに対して行われるので、こので議論されている値はイソキサチオン原体の値である。次の表に示すように、イソキサチオン原体の急性経口毒性はマウスの雄に対して112mg/Kg程度である。この値は半数致死量を示しているので、通常この十分の一程度の摂取量であれば大きな影響は出ない。百倍の安全率で見ても約1mg/Kgと3㎍/Kgとの間には300倍以上の開きがあるわけだ。

 化学辞典 第2版の解説によれば、有名な化学兵器であるサリンの急性毒性は5~10 mg/kg(経口)である。とすればイソキサチオンの毒性はサリンよりはるかに高いということになる。そんな毒性の高い物質が農薬として認可されるか?そんなバカな話があるものか。カルホス乳剤の毒性についてはもちろん公表されていて、その値は次の表に示す通りである。

 さて、2016年1月の内閣府に属する食品安全委員会農薬専門調査会各種試験結果(http://www.fsc.go.jp/iken-bosyu/iken-kekka/kekka_27.data/pc2_no_isoxathion_280113.pdf)において、各試験で得られた無毒性量及び最小毒性量のうち最小値は、イヌを用いた 2 年間慢性毒性試験及びウサギを用いた発生毒性試験の 0.2 mg/kg 体重/日であったことから、 これを根拠として、安全係数 100 で除した 0.002 mg/kg 体重/日を一日摂取許容量 (ADI)と設定している。一日摂取許容量 (ADI)とは、人が、毎日、一生涯、食べ 続けても、健康に悪影響がでないと考えられる量として定義されている。つまり体重60Kgの人であれば0.002×60=0.12mg、つまり0.12mgを毎日食べても全く影響はないと考えられる。20グラムの春菊に含まれる9ppm相当のイソキサチオン量は 0.18mgであり、ADI値をいくらか越すとは言え「よだれが垂れる、嘔吐(おうと)や失禁を引き起こす」ようなことが起こるはずもない。経口急性毒性だけから考えれば、たまたま体重60Kgの人が、50倍つまり春菊の1kg食べても命にかかわることはないだろう。もちろん、食べることを勧めるわけではないし、件の春菊が良いというわけではない。

 この記事は何を言いたかったのだろう。後段において春菊中の含有量とイソキサチオン原体の重量を取り違えたがゆえに、異常に危険性が高くなってしまったため、社会的影響を小さく抑えようとする政治的判断から、基準値に関しては大きいほうの残留基準値を採用したのかもしれない。

 イソキサチオン、開発したのは三共だったと記憶しているが、このカルホス乳剤は原体は保土ケ谷UPLが生産し、全国農薬協同組合と日本曹達が販売している。私見だが、きちんとクレームを書いて、訂正記事を出させるべきではないだろうか。農薬企業をことさら応援するつもりはないが、間違った記事で農薬のイメージをことさら落としてしまうのは企業にとっても農家にとっても消費者にとっても好ましいことではないと思う。議論は正しい値を使ってすべきである。

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