PCRについて再考するつもりだったけど・・・続き

 1984年からアメリカ国立アレルギー・感染症研究所 (NIAID) 所長をつづけてきたアンソニー・スティーヴン・ファウチ氏が、余りにも危険であるという理由でアメリカ国内では禁止されたウイルスへの機能獲得実験を武漢ウイルス研究所に依託し、研究費も投入していたことが明らかになり、事態は急に進展し始めた。と昨日書いたのだが、そんなことが彼一人の判断だけで出来る筈はない。米軍、WHO、国務省、CDC、ファウチから武漢の研究所への資金移動を助けたといわれるエコヘルスアライアンス、武漢の研究所建設に関与していたフランス、こんな時には必ず姿を見せるイギリスやスイス、今回はカナダもか、などなど、疑惑の広がりはとどまる所を知らない状況である。日本人の研究者も一枚かんでいるかもしれない。

 常識的に考えて機能獲得実験が、表向きは将来起こり得る感染症に関する実験であるとはいっても、底流に生物兵器の開発実験があることは明らかである。トランプ政権においてこの疑惑に対する調査がなされていたのだが、なぜかバイデン政権に代わってこの調査にはストップがかかっていた。マスコミの動きに押されたのかどうかはわからないが、先日バイデン氏はこの調査を再開を命じた。これから、ファウチゲート事件と呼ばれ始めているこの疑惑が、どのように進展するか、あるいは思わざるストップがかかるのか目が放せない状況になりそうだ。ファウチを始めとする何人かの関係者がトカゲの尻尾として生け贄にされ、真犯人はわからなくなる蓋然性はかなり高そうだ。このウイルスの起源が武漢の研究所であるのか、それとも他の研究所であるのか、さらにこの蔓延が意図しない漏出であるのか、あるいは意図的な放出であるのか、まだまだ闇は深そうである。

 第二はワクチンに関する疑惑についてである。非常に怖い話なのだが、新型コロナウイルスが生物兵器として設計され作られたものであれば、色々な仕掛けがなされているに違いない。善意に解釈すればその罠に新型コロナワクチンが嵌まってしまった可能性が見えてきた。ちょっと複雑だが事の経緯を書いておく。この新型コロナウイルスは本体の外側にスパイクと呼ばれる突起物を持つ。このスパイク部分に存在するタンパク質をスパイクタンパク質と呼ぶのだが、このタンパク質が人のほとんど全ての細胞がその表面に持っているアンジオテンシン変換酵素2、略してACE2をレセプターとして使い、これに結合して細胞に侵入していく。ACE2、本来の役割は不活性な形で存在するアンジオテンシン1を、血管を収縮し血圧を上げる作用を示すアンジオテンシン2に変換する役割を持つ酵素である。

 ACE2の作用は横において、ACE2に結合したウイルスは、エンドサイトーシス(細胞が細胞外にある物質を飲み込む作用)によって小胞に取り込まれ、小胞とともに細胞質へと侵入する。本来ならコロナウイルスを含む小胞は細胞質のリソソームと融合し、そこに存在する加水分解酵素で分解されるはずなのだが、このウイルス粒子はリソソームと融合する前に小胞から細胞質へと逃げだし、mRNAを細胞質に放出するのである。加水分解を逃れたプラス鎖mRNAは宿主細胞のタンパク質合成系を乗っ取って、ウイルスタンパク質の合成へとシフトさせろわけである。このタンパク合成は長い一本のペプチド(ポリタンパク質)として作られた後、コロナウイルスが持つ二種のプロテアーゼで加水分解され、ウイルスの構造が作られる。同時に、このウイルスが遺伝子として持つ一本鎖プラス鎖RNAの複製については長くなるので書かないが、とにかく一本鎖プラス鎖mRNAが複製され、このmRNAが空のウイルス粒子に取り込まれて新たなコロナウイルスとなる。これが細胞から放出され次の細胞に感染して増殖の連鎖が起こるわけだ。かなり端折って書いているので、厳しい指摘には対応できないが、とにかく大まかな話である。

 問題はここからである。私みたいな免疫学の門外漢であっても、宿主にスパイクタンパク質に対する抗体を持たせれば感染を防止できると考える。ファイザー社、モデルナ社、アストラジェネカ社などの研究者もそう考えたらしい。やり方は幾分違うとはいえ、スパイクタンパク質のアミノ酸配列に対応する塩基配列を持つ核酸をワクチンの成分として使おうとした。ファイザー社のワクチンについては、プラス鎖mRNAをヒト(宿主)に接種してヒトのタンパク質合成系に乗せ、人の体内で異物であるスパイクタンパク質を作らせれば、これを異物として認識した宿主の免疫系が作動し、スパイクタンパク質に対する抗体を作ってくれると考えたわけである。ロジックとしては実に分かりやすい。

 もう午前3時半を過ぎた。明日いや今日もジャンボニンニクの収穫とサトイモへ藁マルチを敷く作業が待っている。そっちが本業だ。時間がなく推敲作業はやっていない。軽微なミスは適切に修正して読んで下さい。つづきはまた・・・

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PCRについて再考するつもりだったけど

 PCR陽性のヒトを感染者と呼び、この感染者とされたヒトを、自粛対象者として自粛させたり隔離したりする政策が行われているのだが、これが本当に正しいのかもう一度考えている。昨年の初め頃、PCRを無闇にするべきではないという意見と徹底的にやるべきだという意見があって、とても囂しかったのを記憶している。ダイアモンド・プリンセス号での感染が大きく扱われていた頃だ。

 あの頃はこのウイルスでどのような症状がでるのか、伝染性はどれくらいか、後遺症はどうなるのかなど、全く解らなかっただけでなく、武漢で感染者とおぼしきヒトがバタバタと倒れていく映像を見せられて、誰もがかなり神経質になっていたのは間違いないだろう。私も同じように感じていたのは間違いないが、頭のどこかでこれはやらせではないかという疑いを持っていた。誰もがスマホを持つ時代になっているとはいえ、倒れる瞬間をそんなにタイミング良く撮れるものだろうか?などと考えていた。本当かどうかはいまひとつ疑問だが、クライシスアクターなどという人々が存在するという情報は持っていたからだ。

 しかしながら、あの時点でコロナはやらせかもしれないなどという発言をすれば、まずまともな社会生活はできないということを感じる程度の常識は持っていた。日本人の感性は戦前と同じだなと改めて思っていたのだが、この感想は間違いでその後の世界の動きを見ていると、どこの国においても状況は同じであった。マスコミによるコロナコロナの大合唱で、人種差別、感染者差別、意見の違う人差別など、思い掛けないような事件が連鎖するのを見て、これは根の深い何かが底流にあるに違いないと思い始めた。ちょうど去年の5月頃である。批判するわけではないが、大多数のヒトがマスコミが手を変え品を変えして出してくる話題に引きずられて、先の事件の検証も考察もなしに恐怖感で満たされていくだけであったように思う。

 思い出して欲しいのだが、ダイアモンド・プリンセス号に関係するヒトの総数は何人でで、何人が感染し、何人がなくなったか、おおまかにでも記憶しているヒトは殆どいない。ただ、怖い怖いの印象だけである。

 ずっと追いかけていたのだが、大まかにいえばいえば次のようになる。世界57カ国から船員が1,068人, 乗客が2,645人の計3,713人が乗船(時期によって少々の出入りはある)しており、新型コロナ感染症と確定された患者が712人、死亡した人が14名であった。感染者の死亡率は2.0%、全乗船者数に対する死亡率は0.38%である。具体的な値は見つけることが出来なかったが、なくなった方は殆どが高齢の方々である。新型コロナ感染症でどんな症状が出るのか、どんな薬が効くのかなど、病気の全貌が全く見えない中でこの死亡率であれば、しばらくすれば大したことがない病気であるということで落ち着くだろうと少し楽観的に見始めたのが、8月頃である。ただ、血栓がいろんな臓器で発生するというという点で、嫌な病気だなという印象は拭えなかった。その頃から、この感染症でなくなる人よりも、コロナ恐怖症、社会的な発狂状態に由来する死亡者の方が多くなるのではないかと危惧していた。

 その後、クラスター、クラスター、第2波だ第3波だ、マスク、マスク、濃厚接触、新たな変異株が現れたなどと大騒ぎが続いているのはご存知の通りである。その頃、この感染症を終わらせるには、いわゆるワクチンではなく、効果のある治療法と有効な治療薬が必須であるとこのブログに書いたのだが、WHOを始めとして各国の政府は効果がありそうな薬剤には目もくれず、マスコミも一体となって国民全体をワクチン接種へと追い込んでいる様は、冷静に見ていると悪寒を感じるほどである。

 新型コロナ感染症については、世間の人が注目する以前から結構注目していた。理由は、2002年に中国の広東省を起源とする重症な重症急性呼吸器症候群(SARS: severe acute respiratory syndrome)の集団発生があったのだが、この時、当時在籍していた大学で感染防止のための対策案と感染者が学内で出た時の行動指針を作らされた。そのSARSウイルスは今回問題となっているコロナウイルスの近縁な仲間である。こういう経緯もあって、それからSARS(重症急性呼吸器症候群)ウイルスやMERS (中東呼吸器症候群)ウイルスについてずっとフォローを続けていた。その間、このタイプのRNAウイルスに対して、RNAワクチンの開発が行われてきたが、動物実験において被験動物がすべて死亡するという事態が続き開発は停止状態となっていると聞いていた。

 などという悠長な回顧記事を書こうとしていたら、突然事態が急変した。余りの急変に付いて行くのが間に合いそうにないほどである。一つは新型コロナウイルスの起源について、もう一つが新型コロナワクチンについて、さらにもう一つが新型コロナ感染症の治療(予防薬)についてである。各項目の中に思いがけない(一般的な意味で)事件が満載である。世の常識的な人にとっては寝耳に水のような話だと思うが、去年の春頃から陰謀論として打ち捨てられていた話の方が本当で、常識論が陰謀論であったという結末になりそうな状況である。もっとも日本のマスコミでは殆ど扱われていない。

 まず、アメリカにおける新型コロナウイルスの起源についての報道に急転回があった。昨年の春、トランプ大統領がこのウイルスの起源は武漢ウイルス研究所であると表明した時、ほぼすべてのマスコミはこれを全く非科学的な陰謀論であるとして糾弾した。そして、コウモリを起源とする新たなウイルスが人に対する感染性を持ったものであり、それが科学的真実であるという自然発生説を報道しまくった。勿論この頃から、このウイルスは人工のものであり自然発生切では説明が困難な遺伝子配列があることを表明していた研究者は何人もいたのだが、彼らの論文は学術雑誌にアクセプトされなかった。

 ところが、アメリカの有力紙であるワシントンポスト紙が5月になってこのウイルスの起源は武漢ウイルス研究所であるという説にくら替えをした。これに続き、多くの新聞社のみならず武漢ウイルス研究所起源説を陰謀論としてバンしてきたフェイスブックとYouTubeも、この起源説を投稿から排除しないと方針を転換した。ただ、気になるのは、なぜマスコミが武漢ウイルス研究所起源説を否定したのかという点に関して、トランプ氏が発言したものだからだというようなことを書いている。多くのマスコミが大統領選挙において反トランプの立場にいたことは周知の事実である。大統領選挙を念頭において政治的思惑から科学的な事実をねじ曲げたとすれば、これもまた大問題であろう。まあ、反省して事実を報道する路線に戻ったと思いたいが、まだ信じ過ぎるのは時期尚早である。

 6月に入って堰を切ったように武漢ウイルス研究所起源説が流布し始めた。これと同時に、1984年からアメリカ国立アレルギー・感染症研究所 (NIAID) 所長をつづけてきたアンソニー・スティーヴン・ファウチ氏が、余りにも危険であるという理由でアメリカ国内では禁止されたウイルスへの機能獲得実験を武漢ウイルス研究所に依託し、研究費も投入していたことが明らかになり、事態は急に進展し始めた。先走った議論かもしれないが、現在流行しているコロナウイルスは、人工的に作られた生物兵器であると断定する記事も出始めている。

 現役の人は目の前の仕事で忙しく、海外記事に目を通すなど無理かもしれないが、今の日本のマスコミだけに情報を依存していたら、浦島太郎になってしまう。続きは明日にでも書くことにする。

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陰謀論者です

 面倒なので結果だけを書くことにする。2020年12月、国会議員は新型コロナワクチンを打たなくてよいという政令が制定されたという情報を見た。コロナワクチンの副作用について色々な情報が出ていれば、国会議員の中に打ちたくないという人がいても不思議ではない。しかし、まさかそんな政令が作られていたなんて、夢にも思わなかった。当然、これは陰謀論の色合いが強いと思った。

 私は、陰謀論のブログと見なされるようなサイトにも訪れることにしている。新しい視座が得られることが多いからだ。もちろん無条件に信じることはない。色々な事象の解析・判断において、頭の片隅に置いておくと騙されずに済む場合もあるからである。上記の記事は、http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-4173.htmlに書いてあった。

 こんな場合、原本に当たるのが絶対に必要である。というわけで、原本を参照したわけだ。添付してある画像から、原本は官報の令和2年12月9日(号外 第256号)であるらしい。インターネット官報を利用した。確かに官報の令和2年12月9日(号外 第256号)は存在する。まず、目次を示そう。https://kanpou.npb.go.jp/old/20201209/20201209g00256/20201209g002560000f.html からの引用である。

法律

スポーツ振興投票の実施等に関する法律及び独立行政法人日本スポーツ振興センター法の一部を改正する法律(七一) 5
特定非営利活動促進法の一部を改正する法律(七二) 7
交通政策基本法及び強くしなやかな国民生活の実現を図るための防災・減災等に資する国土強靱化基本法の一部を改正する法律(七三) 8
種苗法の一部を改正する法律(七四) 8
予防接種法及び検疫法の一部を改正する法律(七五) 12


政令

統計法施行令の一部を改正する政令(三四二) 14
道路整備事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律施行令の一部を改正する政令(三四三) 14
スポーツ振興投票の実施等に関する法律施行令の一部を改正する政令(三四四) 14
高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律施行令の一部を改正する政令(三四五) 15
予防接種法及び検疫法の一部を改正する法律の施行に伴う関係政令の整備に関する政令(三四六) 15


省令

住民基本台帳法別表第一から別表第六までの総務省令で定める事務を定める省令の一部を改正する省令(総務一一二) 16
スポーツ振興投票の実施等に関する法律施行規則等の一部を改正する省令(文部科学四二) 17
予防接種法及び検疫法の一部を改正する法律の施行に伴う厚生労働省関係省令の整理に関する省令(厚生労働一九九) 28


規則

個人情報の保護に関する法律施行規則等の一部を改正する規則(個人情報保護委三) 31
告示

認定個人情報保護団体の認定等に関する指針の一部を改正する件(個人情報保護委一二) 51
統計法第二条第四項第三号の規定による基幹統計の指定の変更を同法第七条の規定に基づき公示する件(総務三七三) 56
国債の発行等に関する省令第五条第十一項の規定に基づき発行した利付国債の発行条件等を告示(財務二八四~二九二) 56
個人向け国債の発行等に関する省令第四条第十四項の規定に基づき発行した個人向け国債の発行条件等を告示(同二九三~二九五) 65
スポーツ振興投票の実施等に関する法律施行規則第七条第一項の規定に基づき文部科学大臣が定める数を定める件の一部を改正する件(文部科学一三七) 67
食品、添加物等の規格基準の一部を改正する件(厚生労働三八七) 68

 12ページ、15ページ、あるいは28ページに対応しそうな項目がある。そして13ページに該当する項目があった。第7条の4項に以下の文章がある。

第一項の規定にある予防接種については、第二項の規定により適用する第八条又は第九条の規定は、新型コロナ感染症のまん延の状況並びに当該感染症に係わる予防接種の有効性及び安全性に関する情報その他の情報を踏まえ、政令で、当該規定ごとに対象者を指定して適用しないこととすることが出来る。https://kanpou.npb.go.jp/old/20201209/20201209g00256/20201209g002560013f.htmlより引用

 法律用語は難解で苦手である。でもね、「新型コロナ感染症のまん延の状況並びに当該感染症に係わる予防接種の有効性及び安全性に関する情報その他の情報を踏まえ、政令で、当該規定ごとに対象者を指定して適用しないこととすることが出来る。」という文章はどんな人を対象者としてイメージしているのだろう。対象者を国会議員と決めつけることに対しては、幾分強引かなとと思うが、他に誰がいるのだろう。私みたいにインフルエンザワクチンで高熱を出す人間を指すのだろうか。でもそれは現場の医師の判断の範囲だと思う。それよりも、ワクチン接種の前提となる条件は、「ワクチンは有効でかつ安全です」という国の公式見解であったはずである。とはいえこの文章を読むと、政府は「予防接種の有効性及び安全性に関する情報その他の情報を踏まえ」てワクチンを打つべきではない人を政令で決めることが出来るという。どうやら「ワクチンは有効でかつ安全です」と言っていたわけではないらしい。このワクチン、まだ治験の段階で正式に認可されたわけではないのだから、理解できないわけではないが、それにしては危険性に対する公的なアナウンスが余りにもなさすぎる。

 2001年以降、どの国の政府の発表も眉に唾を付けてみないといけないようになった。政府に都合の悪い考察はすべて陰謀論と規定される時代になったようだ。次の時代に正論となる陰謀論を好む私にとっては、とてもとてもいやな時代だな。

 

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歴史生物学 解糖系についての考察 5 

 解糖系についてもう書きたいことは書き終わっただろうと思われるかもしれないが、30年以上、とぼとぼと一人で考え続けてきたことはこれだけではない。解糖系よりも糖新生系の重要さを主張する仮説を補強するために、いわゆる解糖系の周辺回路について、少し補足しておくことにする。

 エントナー-ドウドロフ経路(ED経路)は好気性のバクテリアや古細菌でよく見られ、解糖系の一種として認識されている。図11に示すように、この系においてはグルコースがグルコース-6-リン酸に変換された後、グルコース-6-リン酸デヒドロゲナーゼにより基質レベルでの酸化を受け、6-ホスホグルコノラクトンとなる。6-ホスホグルコノラクトンは加水分解をうけて6-ホスホグルコン酸となった後、ホスホグルコン酸デヒドラターゼにより脱水反応に続くケト型への異性化を起こし、2-デヒドロ-3-デオキシ-6-ホスホグルコン酸を与える。2-デヒドロ-3-デオキシ-6-ホスホグルコン酸はレトロアルドール縮合を起こして、3-ホスホグリセルアルデヒドとピルビン酸ヘと変換される。3-ホスホグリセルアルデヒドは先に述べた解糖系と同じ経路を通って、2分子のATPを生産しながらピルビン酸となった後、先に生成していたピルビン酸と合流してその後の代謝系へと流入する経路である。

図11 エントナー-ドウドロフ経路(ED経路)

 グルコースからのATP収支を考えれば、消費されるATP は1分子、生産されるATPは2分子となるため、グルコースからピルビン酸までの代謝においては1分子のATPが生産されることになる。NADH2+の収支では、通常のグリコリシスと同じく2分子のNADH2+が生合成される。この系に対し、「ATPの収支においてはグルコース1分子当たりATP1分子とEM経路よりも少なく、系が単純な分やや効率は悪い」、あるいは「基質レベルでのリン酸化は片系列でしか行われず ATP の生成は 「EM 経路」 の半分しかない」と、ATP生産量を基準として劣った効率の悪い系として説明される場合が非常に多い。

 さらに、いくぶん言い訳っぽく聞こえるが、「発酵としてのエネルギー効率は EM 経路より悪い訳だが、この経路を所持しているのは発酵菌ではなく好気性細菌で、この経路を使う主目的は糖を酸化しやすいピルビン酸に転換するところにあると思われる」という内容の文章を付け加えて、TCA回路に続く酸化的リン酸化を考慮すれば、それほどの損失ではないと説明される場合も見受けられる。そのような解釈で本当に良いのだろうか?

 もう一つ、解糖系の仲間に触れておこう。超好熱性古細菌Pyrococcus furiosusはピロ解糖系と呼ばれる少し変わった解糖系を持つ。この系においては、6単糖段階でのリン酸化を経由せずに3炭糖であるグリセルアルデヒドとピルビン酸への解裂を起こす。

図12 超好熱性古細菌 Pyrococcus furiosus のピロ解糖系

 図12に示すように、グルコースが脱水素を受けてグルクロノラクトンとなった後、脱水、エノール型からケト型への異性化を起こして、2-デヒドロ-3-デオキシ-グルコン酸が生成する。2-デヒドロ-3-デオキシ-グルコン酸の3位と4位の炭素間結合が、レトロアルドール縮合を起こして解裂し、ピルビン酸とグリセルアルデヒドを生成する系である。グリセルアルデヒドはグリセリン酸へと酸化された後、グリセリン酸-2-キナーゼによって2-ホスホグリセリン酸となり解糖系に合流する。ホスホエノールピルビン酸からピルビン酸への段階において1分子のATPの生産が起こるが、グリセリン酸から3-ホスホグリセリン酸への段階で1分子のATPが使われているため正味のATP生産は起こらない。

 これら二つのの系路と分布する生物を比較して、高等な生物はATPの生産効率が高くなるように進化したと誘導する説明をみかけることがあるが、この説明は生物の生息環境や系の駆動方向を軽視したところで成立する幾分以上にアドホックな説明であろう。そして、そのアドホックな判断基準の根源には、現在の我々を覆っている効率第一主義があると考えている。企業において、コストパフォーマンス、生産効率、エネルギー効率を求めることは理解できないこともないが、教育分野にこれを持ち込まれると、私は頭を抱えてしまう。教育現場でPDCAサイクルを高速で回せといわれ始めたら、教育は崩壊するに違いない。とにかく,現代人は効率化という概念に縛られすぎているように思う。そして、その価値基準をもってATPの生産効率が高い生物の方がより進んだ生物であると決めつけているように思われる。あまり望ましくない「意識の存在被拘束性」の一例だろう。

 今となってはちょっと古くなってしまったが、図13は1992年Schaefer, T. and Schoenheit, P.の報告において使われている超好熱性古細菌 Pyrococcus furiosus のピロ解糖系である。図の最下段部分で、Acetyl-CoAからAcetateになる部分でATPとADPを結ぶ矢印の方向が間違っているのでそのつもりで見ていただくとして、彼らはピロ解糖系の話をしているにもかかわらず、ピロ解糖系に含まれないピルビン酸から酢酸に連なるATP生産系を図に書き加えている。

図13 Pyrococcus furiosus のピロ解糖系
Schaefer, T. and Schoenheit, P. Microbial.(1992) 188-202

 先に述べた説明において、解糖系に分類される3種の系路の価値判断基準は、ATPの生産効率にある。つまり、解糖系においては、ATPが生産されなければならないとする固定概念が存在しているだけでなく、この概念の縛りはとても強いようだ。上述したPyrococcus furiosusの持つピロ解糖系について書いてあるいくつかの総説等には、以下のような記述がある。

《1. 経路を通してATPの再生反応が成立しており、ATPを新たに生成しないことである。エネルギー獲得という解糖の生理的意義を考えると、非効率的な経路であると言える: 蛋白質・核酸・酵素 56(6)、 351、 2012》
《2. 特徴的な点は、グルコースがピルビン酸に酸化される際ピリジンヌクレオチドは関与せずフェレドキシン関与であること、しかも発生する還元力は全て分子状水素の生成に使われてしまいATP合成とは共役していないこと、そして、ピルビン酸の発酵により水素、二酸化炭素、酢酸が生じるが、この際基質レベルでのリン酸化によりATPが生産されることである。全体ではグルコース1分子から2分子のATPが生産されることになる。: 蛋白質・核酸・酵素: 38(10)、 1575-1578、 1993》
《3. ・・・しかしながらP. furiosus はH2ガス圧の高い条件下で培養すると発酵産物を酢酸からアラニンに変更することが知られており、この場合、ピルビン酸からアラニンが生成する間にはATP産生部位が存在しないので、従来のモデルでは正味のATP生産がゼロになってしまうという矛盾が生じる。・・・このことは、本菌においてグルコースからピルビン酸が生成する間のATP収支がゼロではないことを示唆している。蛋白質・核酸・酵素 48(9)、 1256-1262、 2003》

 私がこれらの考察に対して抱く違和感は、Pyrococcus furiosusが海底にあるイオウ熱水噴出口から分離された偏性嫌気性超好熱古細菌であり、グルコースが摂取できないような所に生息していることを無視していることに起因する。確かにPyrococcus furiosusは、従属栄養的に培養が可能である。だがその際、マルトース、セロビオース、デンプン、β-グルカンは速やかに資化されるが、グルコース、フルクトース、ラクトース、ガラクトースなどの単糖類はほとんど利用されないことが知られている。にもかかわらず、上記の説明ではグルコースを出発点としたATP収支を議論している。さらに解糖系の終点はピルビン酸という定義があるにもかかわらず、酢酸までこれを延伸してATP生産を議論するのは、恣意的な系の改変だと思う。何故グルコースを系の出発点に置くのか、何故ATP生産に拘るのか、何故酢酸までの系が付け加えられるのか、理解しがたい。自然状態におけるこの菌の変形EM系路のベクトルは、通常云われているEM系路と逆のベクトルを持つ糖新生であり、かつATP消費系であると思うのだが? 

 解糖と糖新生という代謝系を歴史的視座から見た場合、解糖系を、「真核生物であれ原核生物であれ、ほとんどの生物が持つ、嫌気的でもっとも普遍的でもっとも根源的な代謝系」として認めることはできない。「糖新生系こそが、真核生物であれ原核生物であれ、ほとんどの生物が持つ、嫌気的でもっとも普遍的でもっとも根源的な代謝系」であり、その後に現れた従属栄養生物において、先行する生物が生合成した糖類を、糖新生とは逆向きに動かしてエネルギーを獲得する解糖系が成立した。」とするのが正しい理解であろう。

 こうした考察に通底しているのは、EM経路はATP生産系路でありより多くのATPを生産する経路が優れているというパラダイムである。上記2が引用している1992年Schaefer, T. and Schoenheit, P.の報告において、彼らが、解糖系ではATP生産が起こるべきだとするパラダイムの圧力に屈したのかどうかは定かではないが、いわゆるアセチルCoA経路をそっと付け加え、2ATPが生産されるとする図が掲載されている。

 さて、この解糖とよばれる系において、出発物質をグルコース、終点をピルビン酸としたのは何故であろうか? Gustav Embden やOtto Meyerhofをはじめとする多くの人々の研究によって1930年代中頃までに解糖系の原型が解明されていたわけだが、系の出発物質に関しては彼らも迷ったのではないだろうか。その迷いが、一寸古い代謝マップにおいて、出発物質をグルコースに限定せずに、グリコ−ゲンからグルコースへの変換系及び グリコーゲンからG-1-Pを通ってG-6-Pへと導く系残していた様に思われる。《以下私見だが、メタン細菌などが糖新生に向かって働くEM経路を持ちグリコ−ゲンを生合成していることを考え合わせると、そのような独立栄養生物においてグルコースを解糖系の出発物質と認めることはなかなか難しい》

 今ひとつの疑問だが、Gustav Embden やOtto Meyerhof達のグループは、何故解糖系の終点をピルビン酸としたのであろうか。当時、解糖が起こった際に乳酸が生成することはよく知られていたし、一部の乳酸が グリコーゲンへ再合成されることも知られていた。同じころEduard Buchner、Otto Warburg や Hans von Euler-Chelpin達のグループは、アルコール発酵についての研究を続けていた。エタノールや乳酸を系の終点とすれば、細胞内の還元状態の問題もクリアーに説明できる。しかし、エタノールや乳酸を終点としたのでは、系はアルコール発酵あるいは乳酸発酵になってしまう。それは、筋肉生理をやっていたGustav Embden やOtto Meyerhof達のグループには受け入れがたい結論であったようだ。彼らは、ピルビン酸から連なる別の代謝系の存在を仮定して、恣意的にピルビン酸を終点としたと思われる。

 その仮説を満たす化合物である「Acetyl CoA」の発見は、1945年 Fritz A. Lipmannによって達成される。ここで目出度く解糖系とTCA回路の連結が完成したのである。何となくだが、微生物の発酵現象を追いかけていたEduard Buchner、Otto Warburg や Hans von Euler-Chelpin達のグループと、筋肉生理を追いかけていたGustav Embden やOtto Meyerhof達のグループ間に激しい争いがあったような形跡がある。この後にも、何度も見られる農学と医学の軋轢の一例であるのかもしれない

 ただし、争いはあったが双方の意見に根源的な矛盾は存在しなかった。これは生化学という学問の黎明期において一つの代謝系を明らかにするという観点から見ると、幸運であったろう。なぜなら、発酵を追っていたにしろ筋肉での代謝を追っていたにしろ、まずグルコースあるいはグリコーゲン(デンプン)があらかじめ存在するという条件下での競争であり、これらを分解してエネルギーを得るという解糖系のベクトルには違いがなかったのである。

 しかしながら、解糖という系を考えるに当たって、出発物質をグルコース、終点をピルビン酸、系の意義を嫌気的条件下におけるATP生産系としたことが、先に述べたように今に続く迷走をもたらしたとも考えられる。いや、多くの研究者は迷走しているなんて夢にも思っていない。そんなことを考えているのはごくごく少数だろう。

 それはそうとして、とにかく解糖系はグルコースからピルビン酸までと定義された。めでたくAcetyl CoAも見つかって、TCA回路との連結も完成した。目出度し目出度しと言いたい所だが、困ったことにピルビン酸からAcetyl CoAへの変換反応はどちらの系にも属さないことになってしまった。さらにTCA回路は回路であるから、回路の外側にあるAcetyl CoAを含まないとする解釈もある。これでは両系を通してATP収支を考える場合はなはだ不便である。

 歴史的経緯を無視できるならば、解糖系の最終物質をAcetyl CoAとするか、ピルビン酸をTCA回路の出発物質として定義した方が、二つの系路の接続が理解しやすい。とはいえ、解糖系はサイトゾル内に存在するため、解糖系をAcetyl CoAまで延伸するのは難しいだろう。同じくピルビン酸は解糖系に含まれているので、これをTCA回路の出発物質とするのも難しそうに思える。

 だが、定義などというものは分かり易くかつ使いやすいように決めるのが望ましい。解糖系の終わりはサイトゾル内にあるピルビン酸、TCA回路の開始はミトコンドリア内にある(運ばれた)ピルビン酸としておけば、初学者にとって非常にわかりやすくなると思うのだが・・・。

 図14に従属栄養生物、独立栄養生物(光合成をする生物)、独立栄養生物(化学合成細菌)の持つEM経路の基本的な代謝ベクトルを描いてみた。歴史生物学を標榜する人間として発言するとすれば、橙色で示した化学合成独立細菌のもつ経路の出現が最も早く成立したのは間違いない。多糖類や脂質やタンパク質などの生合成を行う微生物が現れた後で、それらの生産物を資源として利用する微生物が出現したと考える。これらの微生物は、新たに生産物の利用系路を作ったのではなく、先に存在した生合成経路を逆行する形で利用系を作ったのであろう。

図14 化学合成細菌、独立栄養生物、従属栄養生物におけるEM系路のベクトル

 一方、植物やシアノバクテリアなど光合成能を獲得したグループは、すでに成立していたペントースリン酸回路を逆向きに利用して二酸化炭素の固定を行い、無尽蔵とも思えるような量の3-ホスホグリセリン酸の生合成を達成した。彼らもまた、いわゆるEM系路を利用するのだが、3-ホスホグリセリン酸が系への流入物質となるために、彼らの持つEM系路はここから上下に分かれる形での物質変換系として捉えるのが理性的ではないだろうか。

 上記のような話をすると、話の途中で「かなり偏向しているね」とか、「独断の傾向が強いな」などと云う賞賛(?)を受ける場合が多い。「そんな考え方もありうるかもね」と、現行のパラダイム側にたって婉曲に否定される場合も少なくない。再度力説するが、植物の生き方に立脚すれば、現行の解糖系についての解釈など妄想に過ぎなくなる。植物生理学の教科書に、現在認められている解糖系の説明を記載すべきではないと思う。

 植物は光合成を行う。教科書には、光合成とは太陽光のエネルギーを利用して二酸化炭素から糖とATPと酸素を作る反応であると書かれている。そして、グルコースやショ糖やデンプンがつくられると無造作に書いてある。しかし、そういう理解では、植物に対する洞察がおかしくなってしまう。植物はカルビンベンソンサイクルを動かし、光合成生産物を3-ホスホグリセリン酸の形でEM経路に流入させているのである。この3-ホスホグリセリン酸を起点として、EM経路を逆行した同化産物はグルコース-6-リン酸を通って、デンプン、セルロース、マンナン、アガロースなどの多糖類を形成する。(グルコースへ行くのはほんのちょっぴりである。)同時に、逆向きに回る還元的ペントースリン酸経路の構成成分であるリボース-5-リン酸が、核酸に繋がる代謝系へ流入することになる。

 他方、起点である3-ホスホグリセリン酸から順行した同化産物は、アセチルCoAを経由して膨大な量のテルペノイドやフェニルプロパノイドに連なる代謝系へと流入していく。ここにおいて、植物のEM経路の出発物質は3-ホスホグリセリン酸と決めたほうが理性的な判断であると考える。さらに、一寸ばかり意地悪なデータだが、植物にはG-1-PやG-6-Pからダイレクトにグルコースを生産する酵素は持っていない。一寸甘めの植物、砂糖ダイコンもブドウでさえも持っていない。彼らはG-1-PからUDP-グルコースを経由してショ糖を作った後、これを加水分解して果糖とグルコースとしているわけで、ここで作られるブドウ糖はEM経路を逆行した生産物ではない。もちろん、ショ糖を経由するブドウ糖合成系は先に述べた好熱性古細菌などのグル−プには存在しない。解糖系を、「真核生物であれ原核生物であれ、ほとんどの生物が持つ、嫌気的でもっとも普遍的でもっとも根源的な代謝系」として説明に対しては、白いカラスが群舞しているではないか。既存の枠組みにあまりにも固執しすぎているのではないだろうか。

 結論だが、解糖と糖新生という代謝系を歴史的視座から見た場合、解糖系を、「真核生物であれ原核生物であれ、ほとんどの生物が持つ、嫌気的でもっとも普遍的でもっとも根源的な代謝系」として認めることはできない。「糖新生系こそが、真核生物であれ原核生物であれ、ほとんどの生物が持つ、嫌気的でもっとも普遍的でもっとも根源的な代謝系」であり、その後に現れた従属栄養生物において、先行する生物が生合成した糖類を、糖新生とは逆向きに動かしてエネルギーを獲得する常識的な解糖系が成立した。」とするのが正しい理解であろう。

 まあ読んで理解したとしても、グリコリシスへの見方が少し変わる程度の問題である。そう位置づけて読み捨てても良いかもしれない。私も、上記の内容を構築したからといって、日常の研究活動に影響が出たことはないと思う。しかしながら、生物、特に植物の代謝に対して考察を進めていくに際して、非常に大きな影響を与えることがわかってきた。さらに、次に書くTCA回路に関する現在の解釈の誤りを考え合わせて考えると、生物の持つ基礎的な代謝系の解釈が大きく変わってしまうと考えている。タマネギの収穫は今日終わらせた。ジャンボニンニクの収穫と田植えと農地の草刈り、それに防除作業が一段落したら、解糖系の話を書き始めることにする。要するに解糖系は逆さまに動いていた、そしてTCA回路は回っていなかったという話になる予定である。

 近頃、夜更かしの度が過ぎている。寝たのは、一昨日が3時半過ぎ、昨日が2時40分頃、今日ももうすぐ1時である。近所の防犯には役立っているようだ。午前3時半といえば、朝刊の配達の時間である。根室付近だったら夜が明け始めているのではないかな。でも、昼間疲れると夜が眠れないという変な現象が起こってしまう。疲れが累積しそうで気にしているのだが、眠たくないのだからどうしようもない。

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夏野菜植え付け最盛期

 ここ2週間ほど夏野菜の植え付け最盛期である。何を植えたか、植えているかといえば、キンジソウ(水前寺菜)、夏大根、ニラ、ズッキーニ、スイカ、カボチャ(4種)、ニガウリ(2種)、雲南百薬、ヒョウタン、ヘチマ、シロウリ、トマト、バジル、ナス(3種)、サツマイモ、タケノコイモ、、トウガラシ、エゴマなどである。植えていないのに収穫期を迎えているのがヨモギかな。収穫期にあるのがジャガイモ、タマネギ、ジャンボニンニク、そしてクワなのだが、ジャガイモはまあまあとして、タマネギとタマネギは病気がちでいまひとつの出来である。クワに至っては菌核病のため収穫はほぼゼロ、全く収入にならない。これらの作物に適用のある農薬を探し、使用時期と使用濃度と使える回数をチェックしながら、かつ可能な限り減農薬でと考えているとまるでパズルである。私の場合、上の条件に加えてミツバチに毒性の高いネオニコチノイド系薬剤は出来るだけ使わないようにしているので、一般的に流布している栽培歴は使えない。惚け防止には有効かもしれない。

 いつも小数派として他の人が植えていないような作物を植えることが多い。畑の横を通る知り合いさんが、「なんば植えよると」と興味深げに見ながら話しかけてくる。多分、うわさ話の種を提供しているのではないかと思っている。人が植えないような作物を植えるという行為は、ある意味で自殺行為である。人が植えないような作物に対して農薬登録をとっても農薬は売れない。一つの作物の登録をとるのに800万円かかるという話を以前に聞いたことがある。当然、農薬会社はそんな無駄なことはしない。従って、マイナーな作物には農薬の選択肢が殆どないのが現状である。

 今日は朝から山の畑に流れ込む雨水を何とかしようと、田んぼで使う畔板の設置を行った。何日か前から始めていたのだが、とにかく、道路に降った雨水が側溝に流れ込まずに私の畑へ流れ込んでくるのである。朝倉市で大水害があったとき、200坪ほどの畑の表土をすべて流された。その部分は今でも植物の生育が悪い。市道の設計ミスだから何とかしてくれと陳情したが、土のうをいくつか置いていっただけで、今でも流れ放題であった。百姓とは何でもせざるを得ない生業である。畔板40枚、固まる真砂土15袋、亜鉛引きの鉄パイプとJ字のアンカーを使っての作業、真砂土は1袋で25Kgある。買いに行って軽トラに積むのがまず大変、現場で降ろすのも撒くのも大変、すべて腰に来る作業ばかり、疲れた。3時頃に何とか片が付いたので、それからゴーヤの苗の植え付け、その後、タケノコイモ畑周りの草切り、家に帰ってバジルの植え付け、植えようと思っていたトウガラシは植えてあった。これには感謝、ともかく一日が長過ぎる。考えてみれば、もうすぐ夏至である。

 私は不思議な物が好きで、かつ粗忽な性格である。HbA1cが高すぎるというので、薬を飲まされているのだが、なかなか下がらない。出来れば薬に頼りたくないという気持ちもある。というわけで、血糖値が下がるというまじないみたいな運動を始めた。本人としては信じきってしているのではない、まあ余興程度のつもりでやっている。気が向けば続けるし、向かねば止めるつもりなのだが、周りは信じてやっているものと考えるだろう。そんなことはどうでも良い。始めて2ヶ月が過ぎた。HbA1cはどうなったか。計っていないのでわからない。多分、2ヶ月後に検査するのだろう。実は、火曜日に病院に行ったのだが、前回次に来られた時に検査しますと言っていた医者本人がそれを忘れていたらしい。カルテに書き込んでいた気がするけどな。こちらは覚えていたのだが、催促はしない。針を刺されるのがいやだからだ。

 それはそうとして、副作用はすごく出ている。65 Kgあった体重が、59 Kgまで落ちた。まあ、食事にいくぶん気を使っているとはいえ、19歳の時の体重に戻った。ウエストも5 cm程落ちた。昔の服が復活しそう。しかし、歳をとって余り痩せているのも貧相に見えそうでいやな気がする。これは好みの問題であり、良い悪いの話ではない。私としてはちょっと太り気味になって、タータンチェックのセーターを着ながら、パイプでタバコ、ロッキングチェアーで読書という生活を夢見ていたのだが、軽トラ、ユンボ、トラクターに乗って、土をかき混ぜ草刈り三昧、タバコのかわりに排気ガスというのが現実になった。もっともこの現実、さほど悪くはない。

 

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