グルコースからのATP収支を考えれば、消費されるATP は1分子、生産されるATPは2分子となるため、グルコースからピルビン酸までの代謝においては1分子のATPが生産されることになる。NADH2+の収支では、通常のグリコリシスと同じく2分子のNADH2+が生合成される。この系に対し、「ATPの収支においてはグルコース1分子当たりATP1分子とEM経路よりも少なく、系が単純な分やや効率は悪い」、あるいは「基質レベルでのリン酸化は片系列でしか行われず ATP の生成は 「EM 経路」 の半分しかない」と、ATP生産量を基準として劣った効率の悪い系として説明される場合が非常に多い。
さらに、いくぶん言い訳っぽく聞こえるが、「発酵としてのエネルギー効率は EM 経路より悪い訳だが、この経路を所持しているのは発酵菌ではなく好気性細菌で、この経路を使う主目的は糖を酸化しやすいピルビン酸に転換するところにあると思われる」という内容の文章を付け加えて、TCA回路に続く酸化的リン酸化を考慮すれば、それほどの損失ではないと説明される場合も見受けられる。そのような解釈で本当に良いのだろうか?
今となってはちょっと古くなってしまったが、図13は1992年Schaefer, T. and Schoenheit, P.の報告において使われている超好熱性古細菌 Pyrococcus furiosus のピロ解糖系である。図の最下段部分で、Acetyl-CoAからAcetateになる部分でATPとADPを結ぶ矢印の方向が間違っているのでそのつもりで見ていただくとして、彼らはピロ解糖系の話をしているにもかかわらず、ピロ解糖系に含まれないピルビン酸から酢酸に連なるATP生産系を図に書き加えている。
図13 Pyrococcus furiosus のピロ解糖系 Schaefer, T. and Schoenheit, P. Microbial.(1992) 188-202
こうした考察に通底しているのは、EM経路はATP生産系路でありより多くのATPを生産する経路が優れているというパラダイムである。上記2が引用している1992年Schaefer, T. and Schoenheit, P.の報告において、彼らが、解糖系ではATP生産が起こるべきだとするパラダイムの圧力に屈したのかどうかは定かではないが、いわゆるアセチルCoA経路をそっと付け加え、2ATPが生産されるとする図が掲載されている。
さて、この解糖とよばれる系において、出発物質をグルコース、終点をピルビン酸としたのは何故であろうか? Gustav Embden やOtto Meyerhofをはじめとする多くの人々の研究によって1930年代中頃までに解糖系の原型が解明されていたわけだが、系の出発物質に関しては彼らも迷ったのではないだろうか。その迷いが、一寸古い代謝マップにおいて、出発物質をグルコースに限定せずに、グリコ−ゲンからグルコースへの変換系及び グリコーゲンからG-1-Pを通ってG-6-Pへと導く系残していた様に思われる。《以下私見だが、メタン細菌などが糖新生に向かって働くEM経路を持ちグリコ−ゲンを生合成していることを考え合わせると、そのような独立栄養生物においてグルコースを解糖系の出発物質と認めることはなかなか難しい》
今ひとつの疑問だが、Gustav Embden やOtto Meyerhof達のグループは、何故解糖系の終点をピルビン酸としたのであろうか。当時、解糖が起こった際に乳酸が生成することはよく知られていたし、一部の乳酸が グリコーゲンへ再合成されることも知られていた。同じころEduard Buchner、Otto Warburg や Hans von Euler-Chelpin達のグループは、アルコール発酵についての研究を続けていた。エタノールや乳酸を系の終点とすれば、細胞内の還元状態の問題もクリアーに説明できる。しかし、エタノールや乳酸を終点としたのでは、系はアルコール発酵あるいは乳酸発酵になってしまう。それは、筋肉生理をやっていたGustav Embden やOtto Meyerhof達のグループには受け入れがたい結論であったようだ。彼らは、ピルビン酸から連なる別の代謝系の存在を仮定して、恣意的にピルビン酸を終点としたと思われる。
その仮説を満たす化合物である「Acetyl CoA」の発見は、1945年 Fritz A. Lipmannによって達成される。ここで目出度く解糖系とTCA回路の連結が完成したのである。何となくだが、微生物の発酵現象を追いかけていたEduard Buchner、Otto Warburg や Hans von Euler-Chelpin達のグループと、筋肉生理を追いかけていたGustav Embden やOtto Meyerhof達のグループ間に激しい争いがあったような形跡がある。この後にも、何度も見られる農学と医学の軋轢の一例であるのかもしれない