それにしても、前段がなくてそれにしてもという逆接の接続詞は一寸おかしいが、一旦図2〜図7のような理解をすることを経験したら、こんな名前しか書いていない図8の虚ろさが納得できるのではないだろうか。
ここから本論に復帰する。代謝の流れの中で出現する無数とも思える化合物群を類別・統合していくに際して、化合物が発見された順序に伴う歴史性、発見した人達の立ち位置あるいは名誉欲に伴う歪曲などが影をさしているのは否定できない。さらには発見した人々が生きていた時代の「時代精神」−社会的パラダイム−が、類別と統合に通底する規範となった可能性を加味しながら、解糖系を考えてみよう。
という事で、今後は生物有機化学的な話は封印して、解糖−すなわちGlucoseを2分子のピルビン酸へと分解しながら、ATPとNAD(P)Hを生産するプロセス−について考えてゆく。ある物語を理解しようとする場合、その物語の中に入って内側から眺めることが大事であることは言を待たない。しかしながら、その物語が成立するかどうか、その外側から眺める視座も不可欠であろう。この場合も、解糖系の内部だけを考えても全体像は見えないと思う。したがって、解糖系に付随しているいくつかの代謝系も考察の範囲に入れることにする。
解糖−すなわちGlucoseを2分子のピルビン酸へと分解しながら、ATPと同じくNAD(P)Hを生産するプロセス−は、いわゆる解糖系だけではない。先に述べたいわゆる解糖系−中心経路とも称されるエムデン-マイヤーホフ経路(EM経路)の他に、好気性の真正細菌や好気性の古細菌と一部の嫌気性クレンアーキオータ(これも古細菌)に分布するエントナードウドロフ経路(ED経路)、古細菌に分布しED経路のバイパスと考えられている6炭糖段階でのリン酸化を経由せずに3炭糖への解裂を起こすピロ解糖系が存在する。さらに、ペントースリン酸経路も解糖を行う系として扱われることがある。この系ではATP生産は起こらず生体内で還元反応に使われるNADPHを生産する系として意義づけられる場合が多い。解糖系という経路の含む概念の中にエネルギー生産系というものがあるとすれば、ペントースリン酸経路は解糖系に含まれないのかもしれないが、糖を分解するという意味で関わりの深い系であるとして考察に含めることにしよう。
いまひとつ考察から除外できない代謝系が糖新生系である。この系は解糖系とは逆向きの反応を進め、グルコースを産生する経路とかなりあいまいに記述される場合が多い。私見だがこの系は、解糖系よりも長い歴史を持ち、かつ解糖系以上に重要な系だと捉えているのだが、通常の生化学の講義の中で時間を割いて話されることは少ない。
さて、私の解糖系に対する懐疑はグルコースへの疑問から始まった。世の中の常識では、解糖系の出発物質であるブドウ糖すなわちα-D-グルコースは、生物の代謝において極めて重要なハブ的位置にある化合物と認識されているようだ。グルコースからα-D-グルコース-6-リン酸(今後G-6-Pと表記する)を通って、解糖系(EM経路)、ペントースリン酸経路、デンプン・ショ糖合成系が分岐する。G-6-Pが果糖-6-リン酸(今後F-6-Pと表記する)に異性化を受けると、このF-6-Pからキチン・キトサン生合成系、糖の相互変換系を通って、もはや記述できないほどの膨大な代謝群に分岐していく。それ故にグルコースはハブっぽい代謝物だという。しかし、私から見れば、G-6-P酸やF-6-Pのほうがよりハブっぽいように見えるし、ピルビン酸やホスホエノールピルビン酸ならもっとハブっぽい。グルコースはさほど重要な位置にあるとは思えないのだが、我々の生化学においてグルコースは何故重要視されるのか、さらにグルコースは何故に解糖系の出発物質として見なされるのか?
代謝の流れの中で、出現する無数とも思える化合物群を類別・統合していくに際して、化合物が発見された順序に伴う歴史性、発見した人達の立ち位置、名誉欲、あるいは彼らが従属栄養生物であることに伴う歪曲などが影をさしているのは否定できない。さらには発見した人々が生きていた時代の「時代精神」−社会的パラダイム−が、類別と統合に通底する規範となった可能性を意識しながら、解糖系を考えてみよう。
さて、先に「代謝マップは、時系列を意識して作られてはいないようだ」と述べた。このような視座からグルコースを見たらどうなるのか。解糖系について現行の説明を素直に読むと、解糖系はグルコースから始まる。当たり前である、系の名称が解糖すなわち糖を分解する系であることを示しているではないか、と言われそうである。一般的な認識では、ブドウ糖すなわちα-D-グルコースは、生物の代謝において極めて重要なハブ的位置にある化合物と認識されているようだ。しかし、グルコースを解糖系の開始物質として置くとすれば、この系はグルコースの存在を前提とした系ということになる。では、グルコースはこの系の成立に際してアプリオリに存在する物質と考えていいのだろうか。