誰がやったのか

 一寸だけお知らせ。誰が何のためにこれを行ったのか、については読者の推理力のお任せします。

 悪名高き、作者不詳?のジョージアのガイドストーンが爆破されたようです。詳しいことは未だ判りませんがニュースの提供です。検索は、ガイドストーンについては「ジョージアガイドストーン」、爆破のニュースは「ガイドストーン 爆破」をキーワードとすれば、色々と読むことができます。陰謀論の入り口かもしれません。注意!   以上です。

帰ってきたらこのニュース

 日銀、6月の国債購入16兆円 指し値オペ連日実施で過去最大だそうだ。先月から凄まじい乱高下をしていたのは知っていたが、16兆2038億円か。日銀だから、お金はなんぼでも刷れるかもしれないが、無制限買い入れがこの状況においてどこまで続くか疑問である。

 売り崩したヘッジファンドはブルーベイ・アセット・マネジメント社、これはカナダロイヤル銀行の子会社です。ということは、イギリスの王室つながりですね。どうして急に攻撃を仕掛けたのかは私にはわからない。何かが裏で動き始めているのは感じます。以上です。

 https://jp.tradingview.com/chart/?symbol=TVC%3AJP10Y

 

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ニュースの見方

 梅雨明け宣言が出されたそうだ。まあ、早めに出しておかないと7月半ば過ぎからだらだらと降り続けられると、梅雨明け宣言する機会を逸してしまう。一旦宣言を出しておけば、後は夏の長雨とか夏の豪雨とか云って済ますことができる。1993年は最悪だった。そして、気象庁は賢くなった。ほんのしばらく前までは(熊本の地震)、地震が起こったら、「今後一週間くらいは震度○○程度(起こった本震より震度を1〜2小さくした値)の余震に気をつけて下さい」と放送していたのに、近頃は震度を小さくすることなく報道するようになった。熊本の地震で学んだらしい。気象庁は賢くなった。昔は良かった。明日、北九州では晴れ後曇り、山沿いでは雷を伴い一時強く降ることがあるでしょう。地形を考えれば、日本中どこでも山沿いだ。そうか、明日は晴れか曇りか雨のどれかだなと、にっこりしていた。出かける時は天気予報ではなく天気図を見ていた。

 気象庁を批判しているのではない。自然界で起こることを正確に予想することを求める世論を揶揄しているのが本心だ。いま頭上に在る雨雲がどちらに向かってどんな早さで流れるかなんて、正確に答えることができると思っているのだろうか。大まかな方向は天気図を見ればわかる、でもそこに在る雨雲が山の向こう側を通るかこちら側を通るかは、通ってみないと判らないのが現状だろう。昨日、バタフライ効果について話していた人が、今日は雨雲レーダーが全く当たらんと嘆いている。これを理系の学問に触れることなく成長してきた若者が云うのであれば、今後の教育で修正できるかもしれないと思う。但し、予測・予知できないことを認識していながら、如何にもそれが可能であるかのような文章を書き、研究費を取り続けてきた研究者集団に対しては、怒りを通り越して幻滅を感じている。

 地震予知は色々な意味を持つ。何時何分にこの地方にマグニチュード○○の地震が起こると云う予知が出来れば良いのだが、これはまず不可能である。昔の地震予知連絡会はこのタイプの予知を狙っていたように思う。その幻想を基に長い間研究費を貪ってきたのだが、2011年の東北大震災さえ予知できず、さすがに化けの皮が剝がれてしまった。私は、以前から余震予知連絡会と揶揄していたのだが、地震が起こった時その後に起こる余震を一寸小さめマグニチュードにして発表するだけだった。いまは一寸変わったな。余震の震度を本震に合わせるようになった。さらに、地震後知を含めて再生したようだ。

 地震予知に関しては無理であるという結論に至ったらしく、各地方で起こる地震の可能性を何年以内に何%と云う表現にしたことである。これは賢いやり方で当たっても当たらなくても当たったことになるという奇妙な予知である。今後30年間に地震が起こる確率は70%であると予知しておけば、起こった場合は「ほら起こったでしょうと言えるし、起こらなかった場合も30%の確率があったのだから間違いではない。この間、ひずみはたまり続けていますので、次の30年間の発生確率は85%になりますと言っておけば良い。それでも起こらなかったら? 昔の発生確率を出す計算式のパラメーターがムニャムニャと言えば済むだろう。何しろ、その頃には連絡会委員は全部変わっているからだ。

 地震後知、なんだそれは?聞いたことがないと思う人も沢山いるだろう。緊急地震速報を凄い進歩と考えている方を時々見かけるが、それが地震後知である。地震が起こる。大きな被害を起こす地震の起こる深さは10Km程度のものが多い。そこで地震が起こると、地震波が発生するのだが、地震波には縦波であるP波と横波であるS波があり、P波の伝達速度は6~7 Km/秒、S波の伝達速度は3~4Km /秒である。P波が初期微動を起こしS 波が主要動を起こす。震源近くに在る測定地点ごとの2つの波の到達時間の差から震源を割り出し、得られた震源の位置からの距離によって、他の地点への地震動の到達時間を計算し警報を出す。その警報が緊急地震速報である。

 つまり、緊急地震速報は地震が起こった後にしか出せない地震後知警報であると言うことだ。困ったことに、最も被害が大きいであろう震源の真上では警報より揺れが先にやってくる。安全な遠距離の地点では、対応する余裕時間をもった警報がやって来るのである。どこか矛盾しているように感じるが、現実はそうである。このシステムは首都直下型地震には対応出来ないだろうし、東南海地震で最も被害が大きいと推定されている高知県でも間に合うかどうか疑問である。ミサイル防衛システムは近距離で撃たれたミサイルには対応できないが、遠くから打たれたミサイルであれば機能する余裕があるかもしれないと言うことと同じである。

 批判ばかりしているようだが、色々な地震対策システムがあるとは言え、それらに頼り過ぎるのはいけないと言っているだけである。自らの経験と知識と漠然とした予知能力(第六感)を使って生き延びるしか方法はない。ニュースをニュースの中に入って読むのではなく、ニュースの外から眺めると言う読み方が必要だろう。例えば、昨日のヤフーニュースを引用する。

「10センチほど隆起で車4台が損傷 中央道韮崎IC‐須玉IC間に段差 道路のアスファルトのつなぎ目部分

山梨県北杜市の中央道で道路の一部が10センチほど隆起して段差になり、走行した車4台が損傷していたことが分かりました。

10センチほど隆起で車4台が損傷 中央道韮崎IC‐須玉IC間に段差 道路のアスファルトのつなぎ目部分

6月29日午後3時ごろ、北杜市明野町の中央道下り線で道路のアスファルトのつなぎ目部分が隆起し段差になっているのが見つかりました。

中日本高速によりますと段差は高さおよそ10センチ、長さ7メートルほどで走行車線と追い越し車線にまたがっていたということです。

この段差により走行した車少なくとも4台が損傷しました。

けが人は、いませんでした。

段差が見つかったのは須玉インターからおよそ2.4キロの場所です。

中日本高速では29日に韮崎インターから須玉インターまでの下り線を およそ8時間通行止めにして段差を取り除く作業をしました。

現在は復旧しています。        テレビ山梨」

 何とも生硬な日本語でAIが書いたのかななどと邪推したのだが、それはそうとして記事には何故と言う問いかけがない。午後3時頃であれば、暑さのために熱膨張した路盤が両側から押され継ぎ目部分が隆起するという可能性は認める。もしそうなら他の部分にも何らかの異常が起こっていても不思議ではない。だが、そうした報告はないようだ。路面部分だけの問題なのか、それとも橋脚自体が隆起したのかで、かなり判断に差が出そうに感じたのである。後に続くニュースがその内容を伝えてくれればいいのだが、多分この程度の事件であれば、原因についての報道はないだろう。

 さて、この隆起が起こったのが北杜市明野町の中央道下り線で韮崎IC‐須玉ICの間である。ここはフォッサマグナ(大地溝帯)のど真ん中に位置する。ここから北に向かって日本海に入れば、先日震度5弱を記録した地震の発生地、その北側には近頃地震活動が活発な珠洲市周辺が存在する。南に下がると何となく異常な駿河湾、それに続いて活発な火山活動が続いている小笠原列島が存在する。千葉県辺りもスロースリップ現象が起こっている。それらの活動を眺めながら今回の異常を見ると、地盤そのものの隆起もあり得るかなと感じる。だからといって、危ない危ないとは叫ばない。その程度の異常は常にどこかで起こっている。

 ではどう考えるか。私が現地付近に住んでいるとすれば、一寸気になるな。水だけは一週間分くらい買っとこうか。保存食と家族の連絡方法のチェックもしとこうかと言う程度である。年中、来るか来るかと緊張して暮らすのでは身が持たない。でも、突然の地震で驚かされるのはいやだから、起こった時は、来たか、さてどの選択肢を採用して動こうかと、その行動の選択肢だけはインプットしておく。それだけである。時々起こる地震ごとに、備蓄品(大した量ではない)をチェックし、賞味期限が近いものから消費して補充しておく。相手は天変地異、こちらの都合に合わせてくれる筈はない。起これば驚くかもしれないが、驚かされるのは避けたい。驚かされた場合は、適切な行動が取れない可能性が高いからである。国や地方自治体には、報道に乗せることのできない限界があるため、全面的に依存することは危険である。緊急時の心の用意のためにニュースを使いたいと思っている。

 

 

 

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最後の一葉

 最後の一葉(The Last Leaf) はオー・ヘンリーの短編小説である。詳しいストーリーは忘れているが、今でも小学生の教科書に採用されているみたいなので、誰もが知っている物語のようだ。笑い話なのだが、「最後の一葉」は日本語入力システム「かわせみ2」による誤変換で、筆者が予期していなかった変換の結果である。

 断捨離は余り好きじゃないと書いた記憶があるが、要らないものは捨てるという考えを押し通した場合、人の歯にある犬歯をどう考えるのだろう。それも乳児時代に生えている犬歯に存在意義はあるか。気違いじみた極論で本当にそんなことを考えているわけではない。温和で保守的な人間です。犬歯は獲物を捕らえ、切り裂くための歯である。裁縫の際に糸を引っ掛けて切ることができることから、糸切り歯ともいう。生え始めが周囲の歯よりも遅いため、生えるためのスペースが残っていないことがあり、この場合、隣の前歯を後に押し込み前側に生えてくることが多い。これを一般に八重歯という。

 八重歯は時にはチャームポイントになるかもしれないし、糸切りにでも役立っているから捨てなくてもいいかなどど、つらつらと考えていた。友人の歯科医師に聞いたことがある。何か役に立っているかと?答えは、犬歯は他の歯に比べ根が非常に深く頑丈な歯で、老人でも最後まで残っていることが多い。強度があるため、噛み合わせたときに前歯や奥歯に負荷がかかりすぎるのを防ぐ役割をはたすと、判ったような判らないような答えをもらった。

 詰まらないことを書いていると自覚しているのだが、今朝上顎左側の犬歯が抜け落ちた。可愛くて小さな犬歯である。「最後の一歯」と書きたかったのに、漢字かな変換システムが「最後の一葉」と変換した。世間的にはこっちのほうが通りが良さそうだが、本人にとっては「最後の一歯」である。勘違いをされたら幾分悲しいのだが、これで全ての歯が抜け落ち、これから総入れ歯の新たなる日々が始まるということではない。この犬歯は乳歯なのである。上顎の乳犬歯の生え変わりは11歳前後だという。とすれば、この乳犬歯は還暦を過ぎていたことになる。

 けつの青い若造がという表現があるが、まだ乳歯の残っていた私の青臭い精神はこの乳歯が担ってきたのかもしれない。では、本来生えるべき永久歯の犬歯はどうなったかというと、乳犬歯の上に横向きになって存在している。いまから10年ほど前に件の歯科医師に、この乳犬歯が抜けたら上の永久歯が生えてきますかと聞いたら、多分そのままでしょうという答えであった。未使用の永久歯は不要物か、いやいやこれも私の一部であり半世紀以上の年月をともにしてきた大事なものである。乳犬歯のあった部分は空隙になり、ここに生えるはずの犬歯は2階で寝ている状態だ。遂に歯が抜け始めたかと云われたら、いまから永久歯が生える隙間だと答えておこう。歯!葉!歯!。

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麦、作ったら

 世の中が本当に騒がしい。食糧危機が来そうだという話も、かなりな真実性を帯びてきたような気がしている。少し前に、古い友人と話していたら、「お前の田んぼ、冬は何も作っていないだろう。麦でも作ったら」という提案をされた。麦の話は全くしないもので、冬場は農地を遊ばせていると思っていたらしい。実は作っているのです。但し、他の人がです。

 2反半くらいの田んぼを2ヶ所持っているのだが、一方は湿田で麦作には適さないため、確かに冬場は放置している。ここでは冬野菜を作ってみたことがあるが、畝立てをすると次の年の代掻き時に凸凹が残り、凸地に雑草が生えてきて収拾がつかなくなった。トラクターに、代掻き用のハローと呼ばれるアタッチメントをつけて丁寧にやれば良いのだが、これが結構高価である。購入したとしても元は取れない可能性が高い。では普通のトラクターで丁寧に耕せばよいではないかと思われるかもしれないが、下手な奴が尾輪もついていないトラクターで何度も耕すと凸凹はもっと酷くなる。そういうわけで道路沿いにこっそりエンドウを何株か育てている程度である。

 もう一方は人に貸している。無料でである。なぜなら、麦を育てても経済的にはまずペイしない。借地料なしで補助金を入れて何とか成立する程度だろう。一言で麦を作るといっても麦用のアタッチメントや農機具が必要となる。自力でやるとなれば大変です。営農組合に全面委託ということにすれば簡単だが、自分でやっているという実感を感じることができない。裏作に麦という常識から離れればいいのだが、農業というのは周りの人を見ながらやらざるを得ないところも沢山あります。

 例えば、当地の麦の収穫は6月の初旬である。収穫した後、麦わらの処理をして耕耘するわけだが、耕耘の終わるのが大体6月の15日くらいになるのかな。次に稲作と考えれば、6月の15日頃に荒起こしが終わったと考えて良い。手抜きといえば手抜きだが、この段階で一発肥えと呼ばれる肥料をまき、そこから、もう一度耕耘してワラと肥料をすき込む作業となる。これをやらないとワラ屑が浮いてきて、植えたイネの苗を押し倒してしまうことがある。田植え機で苗を植え切れない場合もある。その後、20日頃に水路に水が流れ始めるので、そこから水を入れて荒代掻き、本代掻きを行ってようやく田植えとなるわけだ。そして一週間ほどで、全ての田んぼの田植えは終わる。

 裏作をしない山手の田んぼでは連休辺りに田植えは終わっているが、ここでは2ヶ月近く遅れることになる。イネの生育の期間を考えればもう少し早めたいのだが、前作の縛り故に前倒しはできない。従って、この時期の田んぼには、たくさんのトラクターと田植え機が一斉に動き回る羽目になる。トラクターや田植え機は買わずにレンタルにしたらという論理が成立しないのである。トラクターは年に数回、田植え機に至っては年に1〜2回しか使わなくても持たざるを得ない世界である。その上に、これら農業機械は思った以上に泣きたいほど高い。農業という生業における難しさがここにある。コンバインも畔塗り機も麦踏み機も同じように年に数日しか使わない。この手の機械がプリウス並に売れるのであれば価格はもっと下がるとは思うが、そういうことにはならない。さらにだが、次に使うシーズンまで保管する農機具小屋が必要となる。本と本棚を買う金はなんとかあるが、図書室を作る土地と金はないという悩みと似ている。

 まあそういう事情もありまして、遅れ気味の田植えが昨日(26日)に終わりました。田んぼの表面の均平化が不十分なため、短めの苗は所々で溺れている。この苗に呼吸をさせようと水を落とすと、反対側の苗には水が行かない。結局、毎日水を入れたり落としたりの毎日が続く。水を入れ過ぎると苗が溺れるだけでなく、ジャンボタニシの食害が酷くなる。落とし過ぎると、雑草の芽生えが促進されるような気がする。下手な稲作の典型です。先日、残念なことに私の百姓生活の師匠が亡くなったのだが、彼がこの様を見れば馬鹿たれというに違いない。そう怒ってくれる人を亡くすのは寂しいものである。

 それはそうと、イネの苗を植える行為をどうして田植えというのだろう。

 

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ベルベリン

 忙しい。代掻きと田植えが目前に迫っているのだが、腰痛のためなかなか動けない。腰痛恐るべし。でも、腰痛のおかげで整体と整骨の違いがわかった。幾つになっても知らないことばかりである。庭に植えているスイートスプリングとスイートレモネード、実がつき過ぎているのだが、摘果する暇がない。仕方なく、柑橘つまりミカン科植物の持つアルカロイドを見ていたらベルベリンに出会った。

ベルベリン

 ベルベリンとは、ミカン科のキハダやキンポウゲ科のオウレンなどの植物が作るアルカロイドである。キハダは漢字で書くと黄檗、黄膚、黄柏などと表記されるが、内皮が鮮やかな黄色を示すためであり、オウレンは地下茎が鮮やかな黄色を示すため黄連と表記される。私みたいな隠れ虫オタクにとっては、キハダはカラスアゲハ、ミヤマカラスアゲハの食草としてよく知られているのだが、常識的な世間ではキハダに含まれるベルベリンというアルカロイドが、抗菌性・抗炎症・中枢神経抑制性・血圧降下作用があるため、整腸剤や止瀉薬(下痢止め)として処方されるだけでなく、目薬の成分としても使われている事が有名だ。私は生薬屋さんではないので薬の名前は知らないが、調べてみると三黄瀉心湯、黄連解毒湯、黄連湯、温清飲として流通しているそうである。

日野製薬株式会社さんのホームページから借用しました。

 この写真の黄色い色の原因は、含まれているベルベリンである。そう書くと、多くの方はキハダ(黄檗)の成分であるベルベリンは生薬だとして素直に納得される。だがである。キハダを黄檗とも書く。黄膚、黄柏と書くことはすぐに了解できるのだが、何故黄檗と書くのか。檗について漢和辞典を引くと、きはだ/きわだ/ミカン科の落葉高木という意味を持つ漢字である。そこで納得しても良いのだが、ひょっとしたら黄檗宗と関係があるのかななどと考えた。キハダの黄色い内皮を乾かしたものをオウバク(黄檗、黄柏)というのだが、オウバクを水で煮出し煮詰めた板状の乾燥エキスから作られた単味(1種類の成分のみからできている薬を意味する)の生薬製剤を「百草」と呼そうだ。

 この「百草」を民に教えたのが普寛上人という人なのだが、この方が山岳仏教の信者であった。この時代、中国の唐代の禅僧である黄檗希運が起こした黄檗宗が日本でも隆盛であったことを考え合わせて妄想したのだが、本当のところは分からない。因みに、黄檗希運は臨済宗開祖の臨済の師である。

 そこで「百草」、舐めたことも飲んだこともないがとても苦いらしい。長いお経である「陀羅尼」を唱える時に、黄柏を含む「陀羅尼助丸」という丸薬を口にくわえて眠気を覚ましたとも伝えられている。でもそれでは覚醒剤になってしまうではないかな。苦さで眠気が飛ぶのだから、目覚まし用の千振みたいなものだろう。ここまでは黄蘗の成分であるベルベリンは薬であるという理解は動かない。

 しかし、キハダの利用法はそれだけではない。黄蘗色という名を持つ和色があるのだが、レモンイエローにほんの少し緑が含まれた奇麗な色である。つまり、キハダは天然の染料としても使われる。キハダだけで染めた黄色い布もあるが、以前に書いた藍の成分インジゴと合わせて染めてやると、天然色素として希少な緑色を出すことができる。また単に絹や綿や羊毛などの布を染めるだけでなく、紙をこれで染めておくと紙魚の害から守るともいわれており、正倉院に残されている公用文書にはキハダで染めた紙が使われているものもある。江戸時代に商家で使われていた大福帳の紙もキハダ染めであったという。とすればキハダの含むベルベリンは天然の染料として考えて良い。それも虫除けの作用を持つ黄色の染料である。そうか、ベルベリンは整腸剤や止瀉薬であるとともに、天然の染料か、少し理解が広がった。

黄蘗染め:https://www.flickr.com/photos/fluor_doublet/25109629937/in/dateposted/

黄蘗と藍の生葉染め:https://www.iichi.com/listing/item/1506779

黄蘗紙:https://taiyoudo1.jimdo.com/2015/07/29/オウバクで染めた紙/

 ベルベリンには上に書いた作用だけではなく、糖尿病に効く、ガンにも効くかも知れない、コレステロール値を下げる等々、種々の薬理作用があるとして、サプリメントまで販売されているのだが、困った話もある。ベルベリンの有効な作用を示すための投与量が半数致死量の3分の1程度になるという。通常、人が摂取する薬品に対しては、100倍程度の厳しい安全係数が適用されていることを考慮すれば、一般用医薬品の第2類医薬品もしくは第3類医薬品に分類され分類されてはいるものの、服用に当たっては少し注意したほうがいいだろう。とはいえ、よく効くと云う話を聞いたことはある。

 少しいやな報告もある。ベルベリンにかなり強い発がん性があるだけでなく、哺乳動物の受精卵の成長を抑制・阻害するという。(https://www.japic.or.jp/service/whats_new/japicnews/pdf/JAPICNEWS16-02.pdf)   もちろん、この結果に対する反論も出されている。それのみでなく、他の生薬系の和漢薬にあっても、その成分にそうした性質を持つものはいくらでも存在する。こうなると一般の人は何を信じて良いのか分からなくなるだろう。私だって分からない。ベルベリンは薬であるか毒であるのか色素であるのか、ハッキリして欲しいと思うに違いない。

 しかしである、多分どれもが正しいし間違っているというのが結論になるだろう。要するにベルベリンと呼ばれるイソキノリン系アルカロイドは、キハダやオウレンなどの植物が期せずして創った中間代謝物である。たまたま人という生き物が、ベルベリンの種々の機能を見つけたにすぎない。種々の機能が人にとって合目的的になっているとかいないとか騒ぐ方が間違っているのである。何が言いたいのか?天然に存在する物質を、その機能を基礎にして分類・理解しようとする考え方が間違っていると言いたいのでである。人が作ったものであれば機能を基礎にした説明が可能かもしれないが、自然はそのような理解を超えた世界を形作っている。つまり、前回述べたカロテノイド、フラボノイド、そしてベタレイン系色素などの植物の花の色素同じように、それら成分の存在意義をそれらが持つ機能という枠組みから自由にしてやらないと、その真の姿は見えないということだ。

 このベルベリン、実はチロシンから誘導されるレチクリンを通って作られるアルカロイドなのだが、レチクリンは先に書いたコデインやモルフィンの生合成の中間体である。ということは、チロシンから導かれた3,4−ジヒドロキシフェネチルアミンと3,4−ジヒドロキシフェニルピルビン酸がシッフの塩基を形成して、窒素サルベージ系のバイパスへと流れ込んで行った結果作られた化合物であると考えて良い。キハダは窒素を捨てたくなかったのだが、一寸だけ窒素サルベージ系路から抜け落ちたのだろう。一寸道を踏み外した化合物群、暖かく見守ろうではないか。

 腰の痛みの徒然に、何か良い漢方薬でもないかなと彷徨っていたら、偶々ベルベリンに出会っただけのことである。夕べの雨、代掻きの済んでいた田んぼは水が多過ぎて田植えができず、もう一方の田んぼは給水が足りず代掻きができなかった。自然界は、なかなか思った通りには動いてくれない。とはいえ周囲の田んぼの田植えはもう終わっている。雨の降り方に対する感受性と水の扱いにおいて、私が劣っていると云うことだろう。まあ、腰にベルトを巻いて前かがみで行う農作業、少々遅れるのは仕方ないと悟っている。

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