サル痘

 この病気が脅威であるのかそうでないのか、よく分からない。WHOが緊急事態宣言を出した、さあ大変だとなるのだろうか。WHOによれば、サル痘は欧米などを中心に75の国と地域で1万6000人あまりの感染者が確認され5人が亡くなっているという。WHOは「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言したのだが、WHOの専門家委員会では、サル痘パンデミックの勧告の可能性について議論し、発令に対して反対9人、賛成6人と意見が分かれたにもかかわらず、テドロス氏が緊急事態発令を無理押ししたようだ。この人は、新型コロナの時も煽りに煽った経緯があり、今一つ信用できない。

 このウィルス、基本的なことはウィキペディアに記載してある。知識としてはそれで十分だろう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/サル痘

https://ja.wikipedia.org/wiki/ポックスウイルス科

 気になる点といえば、このウィルス感染者がいわゆる先進国に多数見られることである。厚生労働省のページを見ると、「サル痘は1970年にザイール(現在のコンゴ民主共和国)でヒトでの初めの感染が確認された。オルソポックスウイルス属のサル痘ウイルスによる感染症で、中央アフリカから西アフリカにかけて流行しています。」「自然宿主はアフリカに生息するげっ歯類が疑われているが、現時点では不明である。」と書いてある。ところが、流行っているサル痘の患者は、下に示すように北半球の先進国に多い。(データが一寸古い)

表1:2022年1月から2022年6月15日までのWHO地域別サル痘確定例。
2022年6月15日17時(CEST)現在のデータ

 私は研究者であったが故に、憶測で物事を決めつけることはしないように心がけている。データ(正しく集められたデータ)が、次なる推論の基礎であるということだ。それでも陰謀論者と言われている。上のデータから何が見えるか、患者の分布が異常に異常である。合理的な説明が必要だと考える。どうして北半球の先進国といわれる国で、同時多発的な流行が起こっているのか。病気の性質からして、アフリカで感染が始まるのが妥当だと考える。さらに、患者の内訳を見ると、多くが20代〜30代の男性であり、女性の極めて少ない。従って、今回の感染者は、ゲイやバイセクシュアルなど男性とセックスをする男性(MSM)の間で発生したケースが多いのではないかと推定されているらしい。NHKがそう言っているのだから「そうなんだ」、とその意見を受け入れても良いんだが、何だかエイズの始まりの頃に似ている気がする。何とも言えない違和感があるな。

 いま一つ、何故いま流行るのかという問題が残る。ウィルスは昔からいた、感染した人も時々見られた、ゲイやバイセクシュアルな男性の数が倍増したわけでもないだろう。ウィルスが変異を起こして感染力が増した、その可能性は捨てきれない。ただ、このウィルスは2本鎖DNAウィルスで、遺伝子はほとんど変化しないことが知られている。

 万一ウィルスの遺伝子がが変異を起こして感染力が増したのであれば、若い世代への天然痘ワクチンの接種が有効だとは思う。天然痘ウィルスとサル痘ウィルスはよく似ているためである。とは言っても、この段階で特段奨める気はない。色々ありますからね。我々老人は子供の頃に接種済みである。日本は優れたワクチンを持っているはずです。分かります、私は反ワク原理主義ではないんです。

 少し以上に気になるのは、新型コロナワクチンとの関連である。この時期に流行り始め、北欧や北アメリカでの流行が著しいことなどを、うまく説明できる。でも、これ以上は書かない。またもや陰謀論者扱いされそうだから。

 それはそうと、WHOのテドロス事務局長がインターポールに逮捕されたという噂が流れている。バンクーバータイムズと言う新聞社が、この話の出所のようだ。でもこの新聞社、新聞社とは言うものの過去にはかなり陰謀論的記事を書いている信用度は低い新聞社のようだ。ニューズウィークのファクトチェックによれば、このニュースはガセネタであるという。とはいえ、近頃アメリカのファクトチェックもなかなか信用できない。どっちが正しいのか、しばらく情報を追跡する必要がありそうだ。私の中ではガセネタ説が99.9%、本当である説が0.1%くらいかな。でも万一、0.1%が当たったとすれば、大事件である。クラウス・シュラブの事は書かない。

https://www.newsweek.com/fact-check-was-who-director-general-arrested-crimes-against-humanity-1727928

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自虐:馬鹿だなあ

 コロナ騒動についてだが、ダイアモンドプリンセス号から乗客が降り始める頃から、これは仕組まれた話ではないかと思い始めていた。その後のPCR 騒ぎの中で、なまじPCRについて知っていたが故に、いよいよ疑問が深まって行った。そこに出現したのが新型コロナワクチンである。通常であれば安全性の確認に10年程度はかかるのに、新型コロナ感染症が流行り始めて1年程度しか経っていないのに、その接種が始まるという。作ったのは余り評判の良くなかったファイザー社と、製薬に関して殆ど実績のないモデルナ社だという。そしてそのワクチンは、ウィルスの外側につき出したスパイクタンパクをコードしているmRNAを成分としているという。アストラジェネカ社のワクチンも、スパイクタンパク質をコードする遺伝子をアデノウイルスの中に入れ込んだものだという。頭を抱えた。コロナ感染症で種々の障害を起こす原因がスパイクタンパク質であることが分かっていたからだ。どうして3社がそろいも揃って、毒性タンパク質であるスパイクタンパク質を体内で作らせるという選択をしたのだろう。抗体を作らせるためであれば、ウィルスの他の部分でも可能であるに違いないのにである。すごく嫌な気がした。

 さらにだが、この新型コロナワクチンと呼ばれているものは、従来のワクチンの定義からはみ出たものである。今でこそ核酸ワクチンというカテゴリーが作られ当たり前のようにワクチンということで話が進んでいるが、少なくともこのコロナ騒ぎが始まる前までは、ワクチンに分類されるものではなかったのである。だから、このブログの中ではワクチン擬という表現をしてきたのである。コロナウィルスはどこにでもいる風邪を引き起こすウィルスである。このウィルスは根絶できるようなウィルスではない。免疫も余り有効ではない。だから、毎年多くの人が何度も風邪を引く。新型と命名されたコロナウィルスであってもこの性質は変わらない。少しだけ症状が酷いかもしれないが、しばらくすれば毒性も治まるべき所に治まり、普通の風邪化して行くと予想していた。尤も、重症化した場合はスパイクタンパク質の影響で全身に思い掛けない症状が出る可能性があるため、これを抑えるための薬剤は必要だなと考えていたわけである。

 このウィルスの増殖を抑える薬剤として候補に上がったのがアビガンとイベルメキチンである。アビガンは見るからに催奇性がありそうな気がしたが、緊急用の薬剤としては効くかもしれないと思った。イベルメクチンはスーパーコンピュータを使った抗コロナ薬の探査での候補に上がった薬剤で、その作用機作から見て最も有望であると思った。外国でよく効いたとする報告もあったのだが、どうしたわけか”イヌの虫下し”と罵られ、なかなか治験の場に現れなかった。両者とも、実に不適切な投与条件による治験らしきものが実施され、効いている可能性のあるデ−タがあったにもかかわらず、効かないという結論になってしまった。余り知られていないのだが、抗コロナウィルス薬であるレムデシベルと同じ日にイベルメクチンも使えるようになっているのだが、医師への通達がなされていないらしく、使えることを知らない医者が多数存在する。

 研究を行っていた時にイムノアッセイ(免疫検定,免疫定量)という手法を使ったことがある。その時に免疫学を少々かじっていた。実験動物に抗原を接種したあと、一定時間を置いて再度接種を行うと抗体の産生が上昇する。この、再接種をブースター接種と呼ぶ。研究者としては抗体が欲しいのだからこの手法は非常に有効であるのだが、ブースター接種を何度も重ねると、 ADE(抗体依存性免疫増強 antibody-dependent enhancement)と呼ばれる免疫システムの異常を引き起こし、実験動物が死んでしまう。RSウイルス、デング熱ウイルスとともにコロナウイルスを標的としたワクチン候補がADEを誘発した事例が知られていた。上で書いた核酸ワクチン類でADE が起こるかどうか、その検証がたった一年でなされているとは考えられない。とても不安だった。

 アメリカにおいては、緊急事態宣言下における緊急承認という形で接種が始まった。日本政府もすぐに追従した。治験薬という位置づけであった。それから起こったことは、今更言っても仕方ないので何も言わないが、とにかく不安であった。このワクチン擬はきっととんでもない事態を引き起こすだろう、コロナ感染症で死ぬ人より、コロナワクチン擬で死ぬ人の数が遥かに多くなると予想した。少々のことは明るいぼやきで済ますのだが、以下はぼやきではなくて愚痴である。

 しかしながら、世の中はこのコロナワクチン擬を救世主のように思いなして、殆どの人が接種を待ち望み、長蛇の列に並んで接種を受けた。隠遁している爺には、この現象を止める術がなかった。せめて親戚だけでもと電話をかけまくったが、陰謀論やねと一蹴された、NHKではそんなことは言うとらん、国がそんなものを奨める筈がなかろうもんと否定された。一応聞いてくれた人も、暫くすると世間が皆打ちよるけん打ったと、気の毒そうに答えてくれた。世の流れにあれこれと抗うのは無駄だなと痛感した。一所懸命伝えたいことが、全く伝わらない、今までの生活の中で何度となく経験したことであるとはいえ、今回の件は命にかかわる。そう思うと、この事実は極めて重い。

 要するに、国民を殺すことを目的にしたワクチンを国が奨める、そんなことがあるものかという実にまともな意見が、私の意見の前に立ちはだかっているのである。正直な話、私もそう思いたい、そう思って暮らせれば幸せだと思うのだが、今の政府にそれは求められないように感じている。統一教会と政治家との癒着、どうして日本は韓国に金を貢げというアジェンダを持つ団体に日本の政治家は靡いてしまうのだろう。正規雇用は首切りがやり難い、不正規雇用を増やして人員整理をやりやすくせよ、且つ正規雇用者を減らし、非正規雇用者の給料を物品費として計上することを可能にせよ、「日本に税金を払う事は無駄である」「何であんな国に(税金を)払う必要なんかあるんですか」などという竹中平蔵が、国会議員でもないのに経済財政政策担当大臣とIT担当大臣になるのか、そんな人達が構成する政府を闇雲に信じていいのか。ああ、言い出したら切りがない。止めよう。

 無力である、非力である、なにくそと気持ちを奮い立たせてはいるが、状況はどんどん悪化して行く。問題は国内問題ではなく、グローバルな問題の一部が国内問題として現れている。ところが、それを伝えるべきマスコミが「増す塵」化しているとすればまたまた無力感を感じるしかない。それ以上にこの危機感を共有してくれる人が実に少ない。仕事を辞めるとき、寺子屋を開きたいと思っていた。10年経ったが、まだ目処が立たない。本人がロートル化してしまって、今ではアホロートルである。これはメキシコサンショウオを貶めたわけではない。阿呆なロートル爺であると再確認した言葉である。

 人口を減らすためのワクチン、つまり殺すためのワクチンの存在を認めるか認めないかという判断に、多分、いや間違いなくその後の思考の分岐点がある。善良で私より遥かに良心的な人々は、そんなものはないという確固とした前提の上で考えている。その考え方は間違ってはいない。どう考えても、それが間違っていると批判するのは無理だろう。だが、だがである。

 私が、大学の4年頃だったと記憶している。シンクタンクであるローマクラブが発表した「成長の限界」は、MITのデニス・メドウズ教授らの研究チームが、このまま人口増加や環境汚染などが続けば、資源の枯渇や環境の悪化により100年以内に文明の成長が限界に達すると警告した衝撃的なレポートである。マルサスの人口論を基盤にした内容で、人口増加を抑えなければ、カタストロフ的文明の崩壊が起こると予言したのである。勿論、100%信じたわけではないにしても、在る程度の真実を含んでいると思った。ビアフラやエチオピアでは、信じられないような飢餓が進行していた。ビアフラの飢餓はナイジェリアとの内戦に由来するものであり、少しばかり色合いが違うとは思うものの、環境容量を基礎にした人口問題と言う捉え方にも合理性があるだろうと感じていたのである。先日破壊されたジョージアのガイドストーンは、余りにも過激過ぎるとはいえそうした危機感のもたらしたものだろう。

 食糧不足を定期的に起こす地域、ここに食料援助を行う。人道的立場から見れば、それは正しい。しかし、常習的食料援助で生き延びた子供たちが、大人になってさらに子供を産む、人口が増える、また飢餓が起こる。世界は、この地域にいつまで援助を続けることが出来るのか。このサイクルを繰り返した最後に何が起こるのか。カタストロフである。自明なことだが、その時代においても色々な矛盾はあった。食糧の分配、富の偏在、植民地政策故の農業の変質など、これらを解決できれば、そんなことは起こらない。そういう意見もあった。正直な話、私はその二つの見解の狭間で、振れ続けていた。

 近年、生活水準の向上と女性の社会進出が達成されたように見える国々においては、出生率の低下が著しくなった。先進国と呼ばれる国々では人口の伸びが止まった。しかし、発展途上国においては人口増は続いている。発展途上国においても、生活水準の向上と女性の社会進出が達成されれば、人口の増加は止まるのではないかと期待していたのである。いましばらく、食糧の分配、資源の分配を適切にやれば、カタストロフを避けられる可能性が出てきたなと思っていた。

 人口とは国力である。いわゆる先進諸国が、途上国の人口増と自国の人口停滞・減に危機感を感じ始めたのである。いわゆる南北問題だと思う。政治の表側では単なる南北問題として捉えられているが、裏側ではガイドストーンに書いてあるような過激な人口抑制を主張するグループが、大きな影響力を持ち始めていたのである。このグループがWEFを中心とした世界の富裕層の集まりである。このまま人口増が続き、全世界を巻き込むカタストロフで膨大な数の人々の死を起こさないためには、今何らかの手段で間引きをしたほうが苦しむ人の数が少なくて済むという理屈であるようだ。もっと露骨に言えば、今なら80億人のうち75億人を殺せば済むが、将来100億人になれば95億人を、120億人であれば115億人を死なせねばならない。75億人の犠牲で済ませたほうが人道的だろうという理屈である。彼らの発表したアジェンダを読むとそう読める。現在、富と知識と技術と力を持つ富裕層が、そうした理論を基に間引きする行動を起こしているように見える。ウィリアム・ソウルゼンバーグの著書、「捕食者なき世界」などを読めば、そうした発想が出てくるかもしれない。

 では、彼らのその行動を認めるかと問われれば、どこかで認める気にはならない。会社が不況で人員整理という首切りを行う。最前線で辞表を取りまとめた人事担当者は、集めた辞表の一番上に、自分の辞表を置く。ところが、ビル・ゲイツは、十年以上前から米国の農地を買い占めを始め、今では全米一の大農場主になっているし、Amazonのジェフ・べゾスまでが手あたり次第、農地を買いだしたという。我々は肉を食う、お前らは死ね、死ぬのがいやならコオロギを食え。彼らには自分の辞表を一番上に置くという美学はなさそうだ。

 彼らは軟着陸を目指すのではなく、ハードランディングの道を選んだように見える。そういう意識を持って新型コロナ、コロナワクチン擬、サル痘、合理性のない行動制限、マスク問題、二酸化炭素削減、窒素削減などを見るのか、ただ単なる疫病や地球環境問題に基づく社会の混乱と見るのか、そこに世界観の分岐点がありそうだ。でも、いつも少数派だもんな。私の意見はいつも異端だ。ここを理解した上で、自らは安全な場所に置き儲ける方法を思いつかないこともないが、そんな行動は自らの美意識が許さない。ただ自虐的にぼやくしかないのである。寺子屋をやりたいな。思考力のある若者を育てたいと切に願ってはいるのだが・・・。また、陰謀論者と揶揄されるのだろうな。さあ、今日もまた草刈りだ。

 

 

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頭の切り替えが難しい

 政治的なことは嫌いだ嫌いだ嫌いだと書きながら、荒唐無稽なことを書き連ねている。少々以上に矛盾した行動であると自覚してはいる。この行動をどう理解すればいいのかと考え始めたら、ほの白い朝の空を見ることが多くなってきた。年寄りは朝が早いと聞くが、歳をとっていよいよ遅く寝るように、そして遅く起きるようになってきた気がする。朝の涼しい時間に働かない農民は、まともな作物を作ることはできない。確かにそうだ。春から植えていたタケノコイモ、本来ならサトイモより大きく育つ筈なのだが、現状ではサトイモの半分以下の状態である。理由は2つ、肥料不足、そして草の海に埋もれているからである。

 何とか生き返らせようと、草を刈った。でも夏草の茎は堅く、古くなった刈り払い機の刃は上滑りするだけで切るべきではない芋の茎だけが切れてしまう。仕方なく、森林の下草刈り用の高価な刈り刃を買い、これをつけてイモ周りの草を刈った。草丈は60cmを超える。まだ完全に復活したわけではない腰に負担がかかるのだが、しないで済ますわけには行かない。3日かかった。昨日、肥料をまいた。その後、切り残した草を手作業で切り始めたのだが、10株も進まないうちに疲れてしまった、やはり体力も落ちているようだ。後数日はかかりそうだ。それにしても、肥料の値上がりが尋常ではない。昨年末から2.5倍くらいになっているようだ。さらに、リン酸肥料は入手すること事態が困難になり始めている。熔リンという肥料は6ヶ月待っても手に入らない。取り次ぎ店が諦めている。仕方なく、過リン酸石灰を何袋か買った。でもこの肥料、一寸ばかり溶脱が早い。

 そこでタイトルの話だが、実はTCAサイクルの話が中途半端で終わっていることに気付いてしまった。本人はもう最後まで書いていた気がしていたのである。惚けかな?これは続きを書かなくてはと、今までの投稿を読み返してみた。結論というより本論をかいていないではないか。このブログ、閲覧者はほんの少数であるにもかかわらず、月に一万ページくらい読まれている。一旦、この頁に来られた方の半数以上が、30分以上の滞在時間を記録している。にもかかわらず、TCAサイクルが終わっていないじゃないかという指摘をされる方はいない。優しいな。ネタが切れ気味なのかなと、労ってくれているのかもしれない。陰謀論ばかり書きやがってと離れて行った人もいるだろう。そこが面白いと、お気に入りに追加された人もいるだろう。こればかりは読者の判断である。訪問数を気にして、私が読者グループの意向に阿ったら、棘の在る内容にはならない。

 それでTCAサイクルについて続きを書こうとしたのだが、ここ数回書いたブログとTCAサイクルの意義を問うブログでは、思考様式を変えないといけないことに改めて気付いた。近頃書いたブログにおいて一つの事象を見る場合、誰が何を目的にしてこの事件を起こしたのかという枠組みで考える。要するにある事象がもたらした結果の影響を基礎として、その事象を起こした人の意図を推測する事が可能であるという前提に立っている。現代の社会においてこの考え方は当たり前であり、当然過ぎるものとして受容されている。車の燃費を上げたい場合、設計者がボディの曲面を空力学的に最適化した設計を行い、優れた燃費を持った新型車が発売されたとしよう。この場合、他社の技術者はその新型車をリバースエンジニアリングにより解析すれば、各部分の形の意義、その製造方法など、設計者が意図していたデザインについてほぼ間違いなく解析できる。理由は、設計者も解析者も同じロジックの上で考えているからである。そういう観点から見ると、最新の車や列車やジェット戦闘機が幾つかのよく似た形に収斂してくるのは合理的な結論となる。

 ではこの考え方を生物に敷衍できるかといえばそうではない。トンボは4枚の羽を使って実に優美に飛ぶのだが、トンボが空を飛ぶことを意図して4枚の羽を設計し、創り出したわけではないだろう。(トンボといってもサナエトンボ科、ヤンマ科、トンボ科、イトトンボ科、モノサシトンボ科、カワトンボ科等々、多くの種類があり、その飛び方と飛翔能力には大きな差がある。上記の文は、サナエトンボ科、ヤンマ科、トンボ科をイメージして書いている)どうしたわけか、進化のなかで羽が生えてきた。この羽のような構造が出来てきたためこれを飛ぶために使ったら、空を飛んでいる他の昆虫を捕食するという新しい生き方が可能になったに違いない。トンボという生き物が、空を飛ぶ他の虫を食べることを意図して羽を作ったのではない。確かに、羽の獲得によって新たなニッチを獲得が可能になったとはいえ、新たなニッチの獲得が羽の創製の原因ではないのである。そこには、因果関係は存在しない。

 さらに、3億年ほど前ー石炭紀の森には、現在のトンボとほぼ同じ大きさのトンボとともに、翼開長が70cm に及ぶ巨大なオオトンボ類などが生育していた。但し、これらのオオトンボ類は比較的単純な翅脈の構造から、現生のトンボ類に見られるようなホバリングの能力はなく、翅を時折はばたかせながらよたよたと滑空していたと考えられる。まあ、そういう古代種から華麗な飛翔能力を持つ現生種への進化が起こったのである。(https://bamboolab.yamasatoagr.com/wp/wp-admin/post.php?post=7648&action=edit) そこで問題となるのはまたもや同じ問題である。トンボが意図的に飛翔能力を向上させるように進化したのか、飛翔能力を向上させるような進化が起こってしまったため華麗に飛べるようになったのか。多分というより間違いなく後者が正しいに違いない。現生のトンボの羽を解析して、そういう羽を作ったトンボの意図として説明するのは無理である。

 植物においても同じ論理が存在する。以前に述べたように、ケシという植物がモルヒネを生合成するのは、動物からの食害を免れるためではなく、常に窒素不足状態にある植物に存在する窒素サルベージシステムからのスピンオフした物質であり、動物からの食害を免れるなどという事後に起こった現象を基に作られた理由を考えるのは間違いである。

 要するに、人の行うことと自然界で起こることでは、因果関係のあり方が違うのである。ここの切り替えが、なかなか上手くいかない場合があるので少々困っているわけだ。

 数日前、梅雨末期の豪雨であった。気象庁はそう言えずに九州に線状降水帯が発生しますなどとNHKを通じてほざいていたようだが、どう考えてもまだ梅雨の最中であり、昨今の雨は梅雨末期の豪雨である。そんなことはどうでも良い。NHKがこの豪雨に対して「直ちに命を守る行動を」と連呼していたそうである。こちらでは被害が殆どなかったので有り難かったのだが、あの《素直》な竹中平蔵氏がパソナのCEOを辞めると言い出しました。NHKの助言を受け入れたようです。米国立アレルギー感染症研究所(NIAID)のアンソニー・ファウチ所長も、バイデン大統領の1期目の任期満了前に退任するそうだ。イタリアのドラギ首相も21日午前、マッタレッラ大統領に辞意を伝えたという。スリランカのゴタバヤ・ラジャパクサ大統領は14日、辞表を提出したと聞く。日本維新の会の松井代表も、近く代表を辞任する意向を固めました。足が速いな。

 何か裏で大きく動いているように感じている。まあ、竹中氏と松井氏は笹川良平氏の弟子であることは明らかで、竹中氏は統一教会が強く進めようとしている日韓トンネル推進絡みで、松井氏もやはり日本財団を通して統一教会との関係を探られるのが嫌だったのではないかと邪推している。ああまた、因果の糸にからめ捕られようとしている。邪推邪推、邪推です。頭を切り替えてTCA回路について考えよう。

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何が何だかわからない

 腰がまだ痛いのを言い訳にして、PCの前で遊んでいる。とはいうものの、何もしていないわけではなく、今日はニガウリに薬をまいた。例年であればまだ農薬をまくほどの時期ではないのだが、今年はカメムシの発生数が多い。カメムシに効く薬には、悪名高いネオニコチノイド系のものが多いのだが、私はネオニコチノイド系の薬は使いたくない。とはいえ、ネオニコは効くんですよね。

 ネオニコに未練を感じながらも、ピレスロイド系でニガウリに適用のある農薬を選んだ。散布して次の日には出荷可能と書いてあるとは言え、客に撒き立てのものを食べさせるわけにもいくまいと思い、出荷まで数日空けることにした。残効を考えるとよろしくないのだが、水やりをして薬を洗いながすことにする。こんなことで悩んでいるなど消費者に伝わる筈もなく、彼らは虫食いのない綺麗なものから買って行く。一寸虫食い気味の私の野菜は訳あり品として扱われそうだ。夕方からは、草に覆われたサトイモ畑で草刈りをしてきた。刈り払い機は、やはり腰に悪い。1時間ほどで止めた。

 安倍元首相の事件、陰謀論的な解釈が凄まじい勢いで流布しているようだ。不謹慎だが、読んでいるとそれなりに興味深い。陰謀論的と書いたが、その中の一つが正しい解釈である可能性を否定せずに読んでいる。私は、今暗殺される可能性が高いのは、バイデン氏、ゼレンスキー氏、プーチン氏、そしてムハンマド・ビン・サルマーン氏であろうと予測していた。

 それはそうと、もうすぐバイデン氏がサウジアラビアを訪問します。EU-アメリカのために石油を増産してくれ、そしてロシアとの接近を控えるようにと言う要求をするのでしょう。しかし、カショギ氏の事件以来サウジアラビアはアメリカをすごく嫌っています。通常、国家のトップが訪問する時は、交渉事項の内容についてほぼ合意が得られてからの話になるのだが、今回の訪問では事前合意があるようには見えない。合意なしで何とか話をまとめる芸当は、今のバイデン氏には無理だろう。国務長官のブリンケン氏が随行するかどうかわからないが、彼が随行したとしても強硬に要求するだけで、硬軟織り交ぜた交渉をするタイプの人ではない。

 その結果、訪問時に大規模な反米デモが多分起こるように思う。そしてこの訪問中にバイデン氏が狙撃される可能性が高いと予想している。弾が当たるか当たらないかは別にして、それが原因でアメリカとサウジアラビアが極めて険悪な関係になるのでしょう。では、撃つのは誰かという問題ですが、サウジアラビア人ではないでしょう。そこまでやるとサウジアラビアが不利になります。でも、サウジアラビア人が撃ったという形はとるでしょう。真犯人は、アメリカとサウジアラビアが敵対する関係になったほうが都合が良いと考える国家、あるいは組織であり、それが原因で中東で戦乱が起こるのではないかと感じています。

 ジャッカルの日やオデッサファイルを読み過ぎた、なんの情報も情報源も持たない田舎の爺のトンデモ陰謀論です。当たるとは欠片も思っていません。ただ、テロによる人の死など見たくないので、サウジアラビアもアメリカも、水も漏らさぬ警備をすることを願っています。

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A 氏 死す

 政治にかかわるのは嫌いなので、本音では書きたくないのだが、ほんの最近まで首相をしていたA 氏が銃撃されて死んだとなっては一寸だけコメントしておいても良いだろう。

 著者も、日本人として亡くなった方を罵倒するようなことは書きたくない。ましてや、死んで良かった良かったなどという言説とは一線を画しておきたい。また、状況がわからないのに、想像であれこれと書くことも控えたいと思う。まず、政治信条においては、A 氏とは遠いところにいたとはいえ、ここに哀悼の意を表しておく。

 そこでである。基本的には警察からの発表を認めるところから始めるしかないだろう。加害者であるI 氏の供述について、捜査関係者に以下のように発表している。

 「母親は熱心な統一教会の信者で、今も現役のようだ。山上容疑者は母親と統一教会の関係が家庭崩壊につながったと憎悪を募らせ、犯行に及んだと供述している。母親については調べを進めているが、かなり熱心な信者であったとみられる。犯行前日には、安倍氏が岡山県で演説をすると知り、追いかけて行っている。パソコンやスマホには拳銃、爆発物を検索した履歴がかなりある。計画的な銃撃とみられるが、意味が通じない供述もある。」

 「統一教会と安倍が親しいので狙った。殺してやると銃を持ち出した。ネットで毎日、参院選の予定を調べていて、奈良にきたのでチャンスだと思った」

「政治的な意味合いで狙ったのではない」

「自宅でこれまで、拳銃、爆発物など複数作っていた。インターネットなどから、調べて作った」

 その他にも色々と詳細な話が出てはいるが、少なくとも上の話を補強する内容のものが多い。これを前提に考えれば、これはテロではなく怨恨による殺人事件として捉えるべきだろう。マスコミでは、この事件を民主主義への挑戦でありテロであったかのように扱い始めているが、彼の供述の中にテロ的色合いは全くない。

 上記の警察関係者の発表で統一教会とでているので、統一教会と書くが、この宗教団体を日本に引き入れたのは安倍首相の祖父である岸信介氏である。岸氏は、韓国において広がり始めていた統一教会が強い反共的性格を持っていたことから、この団体を日本に囲い込み左翼的色合いの強かった日本の学生運動・労働運動と対峙させる道を選んだのである。我々が大学生だった頃、学内には原理研究会というクラブ活動擬のグループが跋扈していたし、国際勝共連合という団体の活動も活発だった。ただ、狂信的なところがあり霊感商法で信者に高価な壺や書籍など売り付けるという批判は存在していた。普通の方々であれば、数百人を集めての合同結婚式を行う団体といったほうが通りがいいかもしれない。

 要するにこの統一教会が入信した母親に多額の金銭を払わせたため、家庭の崩壊を招いた。その恨みを、統一教会の広告塔的動きをしてきたA 氏にぶっつけたというストーリーである。であるとすれば、単なる怨恨による殺人事件ということになる。

 とはいえ、少しだけ疑問は残る。犯行現場における警固のあり方、犯行時のSPの動き、犯行現場の血液の量、倒れているA 氏の顔色、クライシスアクターらしき人の存在、犯行の時期、A 氏の演説場所の変更を何時知ったのか、背景を推理するいくつかのサイトが接続できない等々を基に、ジックリ考えれば様々な仮説を語ることは可能だが、どうだろう。

 問題はマスコミの過剰反応だろう。単なる怨恨による殺人事件であれば、この犯行を言論の自由への攻撃と騒ぎ立てる方が異常である。この犯人が言論の自由への攻撃と意識して犯行を行ったのであれば、その報道は必要だと思うが、本人ははじめから政治的な意図はないと供述している。現在、統一教会は3つのグループによる内紛が起こっていると聞く。彼の母親はその一つに属しているのだが、彼も別の会派に所属しているらしい。統一教会が反共的な組織であり、さらに彼自身が一時的にしろ海上自衛隊に属していたことを考慮すれば、左翼的心情でこの犯行を行うことは考え難い。

 この犯行をもたらしたものは、マスコミの強いものには巻かれ続け、報道しない自由に浸りきってきた報道にあると考えている。そうか、マスコミへは自身への批判が起こるのを防ぐために、この事件を政治的テロ、言論の自由への攻撃として煽っているのか。でもね、言論の自由の名を借りた報道しない自由を悪用し続けてきたマスコミこそが、この事件の原因であろう。

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