全部妄想です(追記あり)

 信じてもらっては困る。もし万一読まれたあとで、そうだそうだと同意された後、それが原因で被害を被ったとしても、当方では全く責任はもてない。唯々、白昼夢のように脳内に浮かぶ泡沫のような妄想を書いているだけである。

 筆者は、生まれて40年あまり浄土真宗の門徒であった。この間の宗旨は生まれた時から決まっていたのだから仕方ない。私に選ぶ権限などある訳がないし、成人してからもそれでいいやと思っていた。三十歳を過ぎた頃、親父が祖父の出身地である秋田の親戚に問い合わせたところ、本家の宗旨は浄土宗であった事が明らかになった。聞くところによれば、本家は昔秋田市で造り酒屋をやっていたという。ところが明治の半ば頃に火事を出し没落してしまったため、一族は東北各県や北海道に離散したというのだが、祖父は寒いのがいやだと云う理由で九州まで流れてきたと聞いている。私の祖父は、火事を起こした際に、没落した一家を冷たく見捨てた浄土宗の寺にかなりな反感を持っていたらしい。寒がりの祖父は、九州まで流れて祖母と結婚した後、浄土真宗の門徒となったわけである。親父はそのまま浄土真宗の門徒として暮らしてきたのだが、70歳近くになって宗旨の違いがわかり、すったもんだの末に浄土宗へと宗旨を変えたのである。

 それでどうなったかという事だが、福岡市のある程度名の通った浄土宗の寺の門徒として入れてもらったのだが、後がいけない。70歳を過ぎた人間の願いというか気持ちに全く寄り添ってくれない住職だった。詳しい話をすると営業妨害になるのでここでは書かないが、親父の葬儀、母親の葬儀に際しての対応に、呆れ果ててしまった。その後、ついに絶縁宣言をして門徒を外れ、付き合いのあった真言宗の寺に拾ってもらった。ご住職は無理をして宗旨を変えるなどしなくていいですよと気づかってくれたのだが、私としては元に戻る気は全くなく、空海上人に今後を託す事になってしまった。

 悪くない選択だったと感じている。浄土宗は、法然上人さんが余りにも頭脳明晰過ぎて一寸ばかり近づき難い気がしていた。浄土真宗は、親鸞上人の一途な信仰心がよくわかるとは言え、時として重荷に感じられた、臨済宗は、臨済禅師の融通無碍な自由さに倣うと私は法を超えてしまいそう、曹洞宗、若い頃読んだ道元禅師の著書「正法眼蔵」が余りにも難しく近寄り難い印象だった、などなど、これらの判断が凡人の浅智慧に基づく判断である蓋然性は否定できないとはいえ、どの宗派も近づき難さを感じる存在だった。その点、天才的孤高の求道者でありながらも融通無碍な現実主義者である空海さんであれば、私の我が侭を笑って認めながらも知らぬ間に斧正(誤用かもしれないが、斧で切り込んで厳しく修正するという暗喩として使用)してくれそうな気がしたのである。

 話は飛びまくるが、父は税務署員だった。2年に一回の転勤が常であった。今では公務員住宅が整備されているため当時の状況を知る人は少なくなっているが、当時は自分で貸し家を探さなければならなかった。問題は、税務職員の転勤は現在でも6月1日付けで行われることにある。確定申告が3月15日であるため、4月1日には実施できないということらしい。このことが私の人生に大きな影響を与えたことは間違いない。転校は必然的に9月1日からとなるため、クラスへの溶け込みは難しかった。でもそれは小さな問題である。大きな問題は貸し家である。良さそうな貸し家は3月の段階で埋まってしまうため、6月に残っている貸し家には曰く付きのものが少なくなかったのである。大家の娘が首つりをした木が庭にある家、胃ガンの夫を見捨てて他の人と奥さんが逃げた後、その男性が狂い死にをしたという家、3畳一間で台所は共用の家、大家の事故死した長男が暮らしていた部屋のある家、などなどに、仕方なく住んだことがある。そして現か夢か区別のつかない様々な体験をした。

 様々な体験が真実かどうかは他人どころか本人にもわからない。ただ、体験した人にとっては、それが本人の妄想が為せるものであったとしても、その体験は事実である。どこかで唯物論を信じきれなかった原因がここにあったのかもしれないだけでなく、私の社会認識のあり方に影響を与えていることは否定できない。実はそんなことはどうでも良い、人というものはそうした経験をするものだという立場に立った時、その原因はなんだろうと考え続けてきた。得られた結論は「呪」という概念である。「呪」と「咒」は異体字で、多くの方が呪う・呪詛するなど悪い意味で使われる言葉として認識しているが、本来は、まじない、まじなう、病気や邪気を払うために神仏に祈る行為、または、その言葉という概念を含んでいる。そうでなければ、般若心経の最後のマントラの直前に、以下のような句が存在するはずがない。

故知般若波羅蜜多 是大神 是大明 是無上 是無等等 能除一切苦 真実不虚  故説般若波羅蜜多 即説曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶

 つまり、善悪は問わず相手に影響を与える「言葉」と理解して良さそうである。「言霊」という概念と通じるところもありそうだ。ある人が言った「ある言葉」が、他の人の中に受け入れられ、沈潜し、時には醗酵、時には腐敗して、いつの間にかその人の行動や精神状況に影響を与える現象と考えていいだろう。ある人が投げつける言葉は、免疫反応における抗原とよく似ているなと考えて続けてきたのである。

 そこでアメリカ、どの国も建国の歴史においては様々な嘘(願望や虚構という意味であり嘘であること自体を批判しているのではない)を書き連ねているのだが、アメリカという国の歴史は200年程度と短いが故に、その嘘が歴史の中に埋もれきっていない。まだ傷口から血が流れ続けている。

 1492年にアメリカ大陸を発見したのはコロンブスでありアメリカという名称の起源はアメリゴ・ベスプッチということになっているのだが、それは間違いである。紀元前1万2000年頃、現在のベーリング海峡がまだ陸続き(ベーリンジア)であった頃にアジア大陸からモンゴロイドが北米大陸へ移動している。パレオ・インディアンと呼ばれる原インディア達はそこを通って南下し紀元前1万年頃には南米の南端にまで到達していたことが知られている。とすれば、新大陸発見は西洋世界にとってのものに過ぎず、れっきとした先住民の存在を無視した記述であることを再確認しておく必要がある。

 その後、1620年にメイフラワー号で入植したピルグリムファーザーズに続いて、多数のヨーロッパ人が移住を始めた。入植した白人が行った先住民に対する迫害の歴史はまだ生々しい記憶として残っている。当時、一千万人を超す人口があった先住民は、居留地へと押し込められ五十万人近くまで減少した。(もっと少ないと云う統計結果もある)さらに、辛うじて生き延びた人々は、インディアンとしての生き方を否定され、アイデンティティを奪われて行ったのである。インディアンが合衆国市民として認められたのは、1924年のことだった。 この辺りの歴史については多くの書籍が刊行されているので、少し読まれてみたらどうだろう。

 合衆国の発展と繁栄は、インディアンの屍の上に築かれたものだったといえるだろう。彼らの持つ恨み、怨念は我々が推測できるようなレベルのものではないだろう。こう書くと黒人であっても奴隷として辛酸を舐めてきたことと比較されるかもしれない。しかし、インディアンの場合は恨みの深さが違うような気がしている。黒人の場合は彼らを駆り集めヨーロッパの奴隷商人に売ったのは、コンゴ王国、ンドンゴ王国などのアフリカの王族であり、彼らは商品である奴隷移民?としてアメリカという異国に移動させられたのである。彼らのアメリカに対する恨みは、アメリカで受けた過酷な差別に対するものだけである。これを「だけである」と表現するのは気の毒であることはわかっている。しかし、インディアンの場合はもっと悲惨である。彼らは彼らが以前から住んでいた土地を奪われ、病気を持ち込まれ、反抗すれば殺され、居留地に押し込まれ、民族のアイデンティティを奪われ、さらに厳しい差別を受けたのである。(現在、インディアンという表現が好ましくないことはわかっているが、差別的意味合いは全く含ませていない。アメリカ先住民などと云う毒気を抜いた表現では、彼らの受けた辛苦に似合わないと思う。またヒスパニック系の人々も、色々と苦労はしているのだがここでは触れない)

 こうして成立したアメリカ合衆国は、第一次世界大戦で勝利し、第二次世界大戦でも勝利、さらに、ソビエト連邦との冷戦を制して世界一の強国としての位置についたのだが、その内部にはいくつもの病巣が巣くっていたように感じている。カート・アンダーセンが「狂気と幻想のアメリカ500年史 上・下」という本を出している。この本は現代のアメリカを考える上で役に立つだろう。私の感覚では、アメリカの滅びの予兆は1960年頃にはすでに見えていたように思う。(カート・アンダーセンの「狂気と幻想のアメリカ500年史 上・下」という書籍、狂気と幻想を否定して理性的に考えろと云う内容のようだが、私が彼の意見に全て合意しているわけではない。アメリカと云う国がそうした惑乱の中にいることの紹介として推薦したに過ぎない。本の中で紹介してある個々の事件に対して、私は彼から批判される側にいる場合が多いことを付記しておく。)

 さて、アメリカにおける公民権運動、これについて正しく包括的に述べるには知識がついてゆかない。一寸ではなく、かなりな分量になるが、日本大百科全書(ニッポニカ)から引用することにする。

公民権運動
こうみんけんうんどう
Civil Rights Movement
 アフリカ系アメリカ人により、1950年代なかばから1960年代なかばにアメリカで展開された、差別の撤廃と法の下の平等、市民としての自由と権利を求める社会運動。1865年の南北戦争終結後、奴隷制は廃止され、憲法修正第14条はアフリカ系アメリカ人を市民として認めるとともに「法の下の平等」を定め、第15条は人種による選挙権の制限を禁じた。しかし、異人種間の結婚禁止といった州法は存続し、1880年代には南北戦争後の改革に逆行する諸制度が南部では設けられた。選挙権制限のため識字テストや投票税が課され、リンチを含む暴力も横行した。またジム・クロウ制度と称される人種分離制度が、学校から墓地まであらゆる施設に広がった。1894年、最高裁判所は、ルイジアナ州における鉄道車両での分離に対して、同等の設備を設ければ、人種別に施設を分離すること自体は合憲であるという判決を下した(プレッシー判決)。この「分離すれども平等」理論は、以後60年にわたり、人種分離を正当化したが、実際は黒人用施設は白人用施設より劣悪であった。
 狭義の公民権運動の始まりは1950年代であるが、アフリカ系アメリカ人の運動には長い歴史がある。1909年に設立された全国黒人向上協会(NAACP)は法廷闘争を重視し、1938年の最高裁判決では、ミズーリ州立大学大学院への黒人学生の入学を勝ち取った。第二次世界大戦中には、市民として兵役といった義務を果たしながらも差別にさらされることへの不満が高まった。1941年、A・フィリップ・ランドルフA. Philip Randolph(1889―1979)によるワシントンでのデモ行進計画に対し、F・D・ルーズベルト大統領は戦時中に限り軍需工場での人種分離を禁じる大統領令を発した。
 戦後、NAACPは、初等教育機関の人種統合へと目標を転じた。公立小学校での人種分離を争点とした1954年のブラウン判決において、最高裁はついに「分離すれども平等」を否定し、学校での人種分離は違憲であると断じた。しかし、判決後すぐに統合が進んだわけではなく、南部白人社会は激しく抵抗した。1956年、南部の連邦議員101名は人種統合への反対宣言を表し、最高裁を非難した。1957年、アーカンソー州リトル・ロックの高校では、黒人生徒の入学を阻むため群衆が高校を取り囲み、生徒を守るためにアイゼンハワー大統領は軍隊を派遣するに至った。1962年、ミシシッピ州では、黒人学生の州立大学への入学手続を知事自身がキャンパスで妨害し、暴動収束までに3名が死亡し多数が負傷した。
 このように、生命の危険にさらされながらも、アフリカ系アメリカ人は運動を続けた。ブラウン判決と並ぶ公民権運動の高まりの契機は、アラバマ州モントゴメリーでのバス・ボイコットである。白人にバスの席を譲らなかったことでNAACPの元秘書ローザ・パークスRosa Parks(1913―2005)が逮捕されたことに端を発するボイコットは1955年から1956年末まで続き、平行した訴訟では、同市のバスの人種隔離を違憲とする最高裁判決が下された。ボイコットの指導者として名を広めたのが、キング牧師である。キングは非暴力主義に基づく直接行動を唱え、その思想は広く公民権運動の柱となった。1957年にキングを議長として設立された南部キリスト教指導者会議(SCLC)は公民権運動の中心組織である。

 学生も公民権運動に大きな役割を果たした。1960年、ノースカロライナ州グリーンズボロでは、4名の黒人大学生によりシット・インと称される新たな直接行動が始まった。飲食店の白人専用席に座り、注文が応じられるまで座り続けるというものである。座り込みは各地に広がり、同年末までに5万人が参加した。さらに、図書館、ホテル、公園などでも同様の抗議が行われた。1961年、シット・インの組織化を図り、南部諸大学の学生によって学生非暴力調整委員会(SNCC)が結成され、公民権運動の主要な担い手となった。
 公民権運動は、奴隷解放宣言から100年後の1963年8月のワシントン大行進、1964年公民権法、1965年投票権法の成立をもって頂点を迎えた。ケネディ大統領が提案した公民権法の成立を求めた大行進には20万人が参加し、リンカーン記念堂前で、23年前にワシントン行進を提唱したランドルフやキングをはじめとする指導者たちが演説した。1964年7月にジョンソン政権下で成立した公民権法は、州権を唱える南部諸州や自治体の抵抗に対して、連邦政府に強い権限を与えた。おもな内容として、識字テスト禁止、公共施設や教育機関での人種統合を促進するための連邦政府の権限強化、雇用差別の禁止などがあげられる。
 しかし、同法成立後も、選挙権行使に対しては役人による妨害から殺害まで激しい抵抗があった。1964年夏、ミシシッピ州では北部の大学生を中心に、有権者登録を助けるフリーダム・サマー運動が展開された。運動家6人が殺害されたが、連邦政府は運動家の保護や政治参加実現のための積極的措置をとろうとはしなかった。1965年3月、より実効性のある投票権法を求め実施されたアラバマ州セルマからモントゴメリーまでの行進には2万5000人が参加した。その結果8月に成立した投票権法は、連邦政府職員に有権者登録の監視権限を与え、その後、南部のアフリカ系アメリカ人の投票率は上昇した。

 さらに、1967年には異人種間の結婚を禁じる州法が最高裁判所で違憲とされ(ラビング判決)、1968年には不動産取引における差別を禁じた1968年公民権法が成立した。1969年にミシシッピ州初の黒人市長が誕生したことが象徴するように、1960年代末以降、投票率の向上によってアフリカ系アメリカ人の公職者が増加した。1990年にはバージニア州で、南北戦争直後の時期を除けば全米でも初めての黒人知事が選出された。また、就職や入学選抜にあたり歴史的な差別を考慮するという、1964年の公民権法に基づく「積極的差別是正政策」(アファーマティブ・アクション)は大学への進学機会を広げ、エリート層の醸成へとつながった。
 こうした大きな成果の一方で、1960年代末には、運動の手段や目標をめぐって、公民権運動を主導した諸団体や指導者の間のほころびも顕在化するようになった。たとえば、SNCCは「ブラック・パワー」を唱え、キングやSCLCが掲げた非暴力主義とは一線を画すようになった。公民権法や投票権法の限界もまたあらわになった。北部では、南部のような法律に基づく人種分離や投票権制限は存在しなかったものの、都市における居住地区の実質的分離や貧困問題が深刻であった。1960年代後半にロサンゼルスをはじめとする都市で暴動が頻発したことはその現れであった。法の下の平等に留まらない、貧困問題といった社会的な不平等の是正策の追求という点でも諸団体は一致しなかった。さらに、ベトナム戦争の激化に伴い、公民権運動の後ろ盾であると同時にアメリカの軍事介入を深めたジョンソン政権への支持、その内政と外交政策の評価についても見解の相違が鮮明になった。こうして、統一行動がしだいに困難になり、公民権運動は収束へ向かった。
[小田悠生]2017年8月21日
©Shogakukan Inc.

 ここでこの説明内容は、大した問題ではないなどと書いたら怒られるかな。公民権運動と私は、ほぼ同じ時代を生きてきたのだが、いくつか理解できないことがあった。何故、公民権運動にアメリカインディアンが参加しなかったのだろう。もし、公民権運動が人としての権利を求める運動であるとすれば、アメリカインディアンは参加しないはずはない、もし参加しなかったのであればそれは何故か。それ以上に、上の説明中にアメリカインディアンに関する記述が殆どないのは何故なんだろう。一昨年のわけの解らない大統領選においても、BLM(Black Lives Matter)が大きな話題になった。でもそこにアメリカインディアンの影はほとんど見えなかった。アメリカインディアン全国会議(NCAI)、全国インディアン青年会議(NIYC)などによる組織的活動はあったにしても、黒人による公民権運動とは比すべきもない規模のものであったようだ。

 多分、アメリカインディアンはそうした抵抗運動を起こす基盤となる精神的基盤さえ奪われていたと考えている。19世紀末の進歩主義の時代には、インディアンの子供たちは、居留地内外にかかわらず、インディアン寄宿学校と呼ばれる教育施設に収容され、英語を使うことを強制され、民族衣装の禁止、創氏改名、断髪の強制など彼らの民俗的アイデンティティを抹殺するための教育を施されていたのである。その結果として、彼らは公民権運動の流れに乗る力さえ失っていたのではないか。(私はインディアンの文化は大好きである。文化の肌触りがどこか似ている。「今日は死ぬのにもってこいの日だ。」とか「ジェロニモ」、「それでもあなたの道を行け」、「一万年の旅路」などを読みながら、ネイティブ・アメリカンと縄文人の精神文化の共通性について考え、追跡していたが、彼らの過酷な状況についてマスメディアに載ることはきわめて少なかった。)

 お前の宗教遍歴とアメリカインディアン、どこに関係がある、こいつは何が書きたいのだろうなどと思い始めている人がいるのではないか。いまから書きます。怨霊についてです。怨霊といえばオカルトに分類される、そして科学的ではない迷信を信じる無知蒙昧な奴の戯言であると批判を受ける。では怨霊はいるのかいないのか。私はいると判断する。それなら怨霊の存在を科学的に証明しろと云う批判が舞い込んでくるのだが、そんな浅はかな批判に応える気はない。梅原猛氏の怨霊史観と呼ばれるものを、そんなものは科学的ではないと否定するのは簡単であるが、それは彼の作品を理解できない人々の貧しい精神性に因ると思う。藤原一族は曽我氏の一派を扇動して聖徳太子の一族を皆殺しにした。そして、権力を握った。しかし、彼らの心の奥底に沈潜した良心の傷は、何か事件が起こるたびにそれは聖徳太子の祟りではないかと受け取ってしまう。天然痘で死んだ藤原4兄弟の死を、聖徳太子、あるいは長屋の王の怨霊の仕業と捉える心の中に、怨霊は間違いなくいるのである。怨霊とは人の心に在る良心の傷がもたらすものとして存在しているのである。

 アメリカの歴史において黒人が中心になって起こした公民権運動、これは皮膚に口を開けたおできと考えて良い。一方、ネイティブ・アメリカンの問題は表面に吹き出すことなく奥深く侵潤し、アメリカの白人が明確には意識していない精神的な傷となっているのではないか。つまり、インディアンとの間に存在する宗教的問題、経済的問題、言語の問題、習俗の問題などとともに、過去に虐殺された彼らの先祖達の恨みなどを、現在の白人達がどこかで抱えているように思う。「アメリカという国の歴史は200年程度と短いが故に、建国時の物語に書かれた嘘が歴史の中に埋もれきっていない。」と書いたのはそういう意味である。

 一例だが、先住のインディアンを悪党とする西部劇、1950年頃までは年に数十本作られていたのだが(具体的な数字はわからない)、1960年代になると「白人=善、インディアン=悪」とする図式が次第に崩れ始めた。1980年頃以降になると、インディアンを悪党として描く西部劇は全く製作されていない。私はそこに、公民権運動やベトナム戦争に対する反戦運動の底流にあったと思われる白人の良心の疼きを見ていた。世界の表面では、パックス・アメリカーナと呼ばれるアメリカ一強の時代を作り上げたにもかかわらず、その時すでに崩壊の種は蒔かれ発芽していたのだろう。ニクソンショック(1971年)が起こった時、アメリカの覇権はどのように終わるのだろうかと考え始めた。20年くらい前、私が50代の半ばに差しかかった頃だが、アメリカは怨霊によって崩壊するだろうと予想した。でも、それを言えば気違い扱いされるのは目に見えている。一応、科学者として生きていたので、この考えは完全に封印してきたのである。

 十年前でも、いや今でも馬鹿にされるような考えだが、アメリカ合衆国という国は、彼の国を構成している人種、宗教、歴史、政治的立場、経済格差などに起因する怨霊達が、人の心で顕在化して解決しようのない怒りと惑乱が発生し、のたくるような内乱(内戦)による殺戮のなかで崩壊して行くと予想する。大国であるがゆえ、その影響は南北アメリカのみならず全世界に及ぶと判断している。怨霊とは無意識の中に潜む良心の傷、その傷故に人は幻を見てしまうのである。幻に覆われた現実に向かって引き金を引く、その連鎖が限りなく広がってゆくだろう。こうした怨霊を基礎とした見立て故に、私のアメリカ観はかなり歪に見える。それ故に、一般の経済学者や政治学者、あるいは政治家達とは違って、アメリカとの関係はできるだけ関係を薄くしておくのが良い、ビジネスライクに距離をとれる関係が良い、アメリカの持つイデオロギーをそのまま持ち込むのは危険である、そう思っている。ロシアとウクライナとの戦争、原因の多くはアメリカ側に在ると思っているのだが、この戦争はアメリカの寿命を大幅に縮める結果になるだろうな。

 先日、WEFを中心とするグレートリセットの動きを、富裕層から貧困層に対して起こされた逆革命であると書いた。これを現場で推進しているのがアメリカ民主党の左派グループである。嘗て民主党は、アメリカで行われていた人種差別を批判し公民権運動を推し進める政党であったのだが、そこには過去の人種差別に対する贖罪意識があったと思う。ここに、巧妙に潜り込んだのが急進的左派のグループであった。あなた達の過去は間違っていた。贖罪に値する。今まで差別されてきた人々を丁重に扱え、そうしない人々は人として欠陥を持っている。この議論の中にジェンダーに係わる問題が加わり、性的少数者の問題が加わって、アメリカの中核を担ってきた人々が自信を失った状況になった。その弱った心の中で、虐殺され、差別され、排除されてきた人々の怨霊が暴れ始めたのである。その時点で、彼らに対する左派グループの攻撃が始まったようだ。攻撃を革命と言い換えて良いと思うのだが、革命は全体主義との相性がよい。そういう視点に立つと、アメリカの現在の混乱をある程度の整合性を持った形で理解できそうである。但し、理性的且つ科学的な理解であるとは言わない。

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これは大人の問題だ

  政治家の質が落ちたと云う発言は昔から存在する。立派な方がいないわけではないのに、「政治家とは」と括ってしまうのは失礼だと思う。しかし、質が悪いなと云う思いは捨て切れない。しかしである、それは民主主義の持つ宿痾ではないかと考え始めてている。

 考えてみれば、人は自分と同レベルあるいはそれ以下の人物が考えること、述べることは理解できるにしても、自分以上の能力を持つ人を正当に理解し評価することは難しい。これは困ったことである。ある政治家の能力が、が国民の平均的能力から高くなればなるほど理解者が減り、低くなればなるほど増えることを意味しているからである。もちろん能力の種類や人柄など、IQのような単なる測定で計り切れない部分があることは間違いないにしても、能力が高くなるに従って理解してくれる人口の度合いが減る傾向にあるのではないだろうか。そういう立場から考えると、選挙においては下から4割辺りにいる人が、最も多くの支持を得そうな気がするのだが、本当のところはどうなのだろう。それとも頭脳明晰で気品のある方々が、選挙民に合わせて低劣なワンフレーズ・ポリティクスを実行しているのだろうか。

 この時代、一年後を見通せた経営者は切れ者だと云われ、十年後を見通せた経営者は名経営者と呼ばれ評価される。でも百年後を見通せたからと云って評価はされない。単なる夢想家として扱われる。科学においてもそれは同じだ。ある人が一万人とか十万人に一人が理解できる程度の理論を出せば、素晴らしい科学者であると評価されるだろう。しかし、百億人に一人しか理解できない素晴らしい理論を語っても、もはやだれも振り向くことなく精神異常者として扱われるに違いない。とすれば、最も票を集めることができるのは、少しだけ先見性のあるワンフレーズポリティクスの実行者、あるいは国民の平均的能力よりも幾分下に属する階層の政治家という可能性を認めざるを得ない。何だか正しそうな気がするところが残念だな。

 困ったことに、そうした能力の高くない政治家をサポートするのが、処理能力が異常に高い役人である。政治家を前に出して、後で色々と画策する。政治家を隠れみのにして長期的ビジョンの達成に努力する役人もいないわけではないだろうが、それは少数派であり多くの役人は省益のため、自己の昇進のための仕事をしているようにしか見えない。将来は暗いかな。でも、もっと気になることがある。マスクである。IQが異常に高いイーロン・マスクではなく、日本国民が大好きなマスクである。

 マスクをすると息が苦しい。それは誰もが感じることだが、何が起こっているかと云えば酸素の供給が阻害されていると云うことだ。マスク・知能低下でグーグル検索をすれば、色々な記事が検索に引っかかってくる。今年の8月、ブラウン大学の研究チームは新型コロナ拡大後に生まれた幼児は、それ以前に生まれた幼児よりも、知能指数(IQ)が顕著に低下していると報じた。理由は、一つは慢性的な酸欠による脳細胞の機能低下と発達障害であると云う。もう少し年長の子供たちにおいては、他人の顔に対する認知能力(喜怒哀楽を読み取る能力)の低下がみられたと云う報告もある。マスクで顔を隠しているのだから、表情を読み取る能力が低下しても仕方ないだろう。これらの報告がどの程度の信頼性があるかはわからないが、そういうことが起こってもおかしくはない。

 さて、脳の重さは体重の2%程度である。人においては1.2〜1.3 Kgである。その2%程の脳は、体全体の酸素消費量の25%程度の酸素を消費しているだけでなく、組織の中に酸素を貯蔵できないため酸素不足に敏感で、すぐに酸欠を起こす事が知られている。つまり、酸素不足に極めて弱い臓器である。

 さてさて、脳と云う臓器は、その脳自身の誤作動を認知できない。周りの人の脳があいつの脳はおかしいと判断するのである。狂った人であっても本人は間違っていないと主張するのはそのせいである。酸欠で子供のIQが低下する、表情を読み取る能力も低下すると書くと、多くの人が子供達が大変だと感じるらしい。そうではない、これは大人の問題である。あなたの判断力も低下しているかもしれないと云う蓋然性に気付くべきではないか。

 一人で乗っている車の中でマスクをしている人、マスクをつけて早朝ジョギングをしている人、マスクをつけて山登りをする人、ここではマスクを外してよいと云う判断さえできていないのではないか。そして、その不要なマスクを外すという判断さえできなくなった脳の持ち主が、選挙に行って投票する。機能が低下した、判断力も低下したあなたの脳が、この人なら良いと判断したマスクをした候補者にである。衆愚政治の完成はすぐそこにきている。

 などと云う嫌みな記事を書いていたら、それ以上にいやなニュースがあった。ネタ元というかニュースを出している新聞社は、このての記事を沢山書いているところなので100%信じる必要はないかもしれないが、まあそういう話もあると云うことで翻訳して読んで下さい。

 https://www.theepochtimes.com/covid-vaccines-linked-to-new-type-of-incurable-fatal-degenerative-brain-disorder_4519797.html?utm_source=healthnoe&utm_campaign=health-2022-06-11&utm_medium=email&est=H%2FWulAhBsnsIEYS29fLbmYL%2Bwn3C9OckLo2h2eLwBDkE1LR0UV1a5AFJHg7k55l5MtqfIw%3D%3D

 

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最後にピキッ

 忙しかった。朝の6時半から桑の実の収穫、まあそれは大した仕事ではなかったのだが、その後、少しだけジャガイモの収穫をした。少し休んで、麦稈ロールの25個を畑で積みこみ、家の敷地内に積み上げた。その後、明日友人達が来る予定だったので、玄関を少し片づけようなどと思ったのが間違いだった。昨年収穫したサツマイモ、芽が出始めているものだったのだが、そのイモの入った袋を、体を捩ったまま持ち上げようとした時、左腰がピキッと音を立てたように感じた。あとはもういけない。ずっしりした鈍痛だけでなく動くたびに鋭角的な痛みが走る。どうやらこれがギックリ腰と云うものらしい。

 いや息をするのも痛いものです。痛みに耐えていると何となく粘り気のある汗が滲み出してくる。片づけどころではなく、寝床に倒れ込んでしまった。数年来、何人かの友人達がキックリ腰で辛かったなどと云う話をしていたのを今さらながらに思い出す。私は幸運にも70年以上、ギックリ腰は経験しなかったのだが、運命は平等に巡ってくるものらしい。今も痛い。ギックリ腰は冷やしたらダメとか暖めたらダメとか、鎮痛剤の使用も良いとか悪いとか、矛盾する治療法をきく。他人がなった場合は痛さの程度がわからないので、横から素人があれこれ云うべきではないと控えてきたが、自分が発症しても同じであることに気付いた。

 判断できたのは、何とか耐えられる痛みなので鎮痛剤は控えておこうというくらいである。明日、時間が許せばコルセットでも買ってきてもらい装着しよう。それにしても腰と云う部分は、体のあらゆる動きに連動していることに驚いてしまう。日々、腰の働きに感謝してこなかったことを懺悔して、これからは腰をいたわることにしよう。でも、明日動けるかなあ。

 農作業用のパワースーツ、必要な力の半分位を補助するようになっているようだが、購入を検討しようかな。玄米の30Kg袋、これを動かすのは半端なくきつい。でもね、沢山売れるものではないので、値段が下がることは期待できないように感じている。

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多忙です

 いやはや、連休を過ぎてから忙しいことこの上ない。この時期、水田用潅漑水路の3種類の草刈り、道路愛護(簡単に聞こえるが近くを流れる川の中にはえている葦の切り払いを含む)、田植え前の田起こし、ナス、トウガラシ、サトイモ、サツマイモ、ソルゴー、エゴマ、などなどの植え付け、タマネギ、ジャガイモ、ジャンボニンニクの収穫、クワの菌核病防除とクワキジラミ防除、カキの防除、各農地の周辺の草刈りなどなど、ネコでもイヌでもイノシシでも良い、手を貸してもらいたいほどの毎日である。

 柄にもなく民生委員と児童委員を仰せつかっている。コロナウイルス感染症のせいで小学校と中学校の運動会への出席が免除された。これが良いことか悪いことか一概には言えないが、この忙しさを考えると少しだけ有り難いと感じた。さらに、区の会計と書記、さらに町内の隣組長も兼任している。今まで出納帳など付けたことどころか持ったこともない人間が、会計を受け持つなど悪夢である。銀行なんて年に数回しか行かなかった人間が、今では月に4〜5回は出かけている。一種の拷問である。

 桑の実が最盛期を過ぎようとしているのだが、とても採り切れない。このブログを読んでいる方で興味のある方は御来園下さい。栽培を始めて7年ほど経つのだが、ようやく育て方がわかってきた。ノウハウを会得したと言ってよいだろう。実はこの2年、収穫はほぼなかった。理由は菌核病(キツネノヤリタケ、キツネノワンタケ)とクワキジラミによる被害を回避できなかったためである。桑の栽培自体をやめようかとも思ったのだが、それはそれでいくぶん悔しいので、今年は違う角度からの防除法を試してみた。それがよかったらしく、枝が折れるほどの豊作なのだが、そんなに採れることを予想していなかったので、販売先の開拓をしていなかった。いくつかのグループの方々が桑の実採集ツアーに来られたくらいである。毎日、採集してはフリーザーに保存することを続けているが、そろそろフリーザーも満杯である。

 観光果樹園として宣伝すれば客は来ると思うのだが、マスコミに乗せることには躊躇いがある。ラジオでもTVでも、オンエアーされた直後に沢山の客が押し寄せる。そうすると、駐車場、休息所、トイレ、入園料の徴収と持ち帰り果実の販売所など、様々なインフラと対応する人が必要になる。そんな観光業のコーディネート能力が私にあるはずもなく困惑の中で溺れている。本音の所そんなことはしたくない、観光という業種をあまり好きではないのである。つまらない個人の好き嫌いに過ぎないのだから、他の方々がそれをすることを非難も批判もする気はない。何故嫌いかって?まあ色々理由はあるが、サービス業が不得意だというのが1つの大きな理由かな。要するに我が侭を云っているにすぎない。私の生き方に興味のある方々、少しでも意識の共有が出来る人達とノンビリやりたいと考えている。

 でもそうすると果実が過熟してしまい腐敗し始める。その香りが大好きなショウジョウバエ(猩猩蝿)が大量発生を始めるのである。クワには適用のある殺虫剤がないため、そうなったらお手上げ、諦めるしかない。過熟になる前に適切に採果することが必要なのだが、これが実に難しい。毎年季節の進み方が違う、日照が違う、冬場の気温が違う、雨量も違うなど、熟期を見定めるのも難しい。そうするとパートの人を雇うのもかなり難しそうである。さらにこの季節、ブドウの剪定、カキの摘果、ナシの摘果が重なるため、パートの人を見つけるのも困難だ。

 さらに入園料と持ち帰り果実の価格設定の問題もある。毎年来る人から、余っているから只でいいよと云われても、それでは次回が来難くなる。そこをはっきりしなさいと、アドバイスを受けた。これは確かだ。立場を入れ替えた場合、何か持って行かねばと悩むに違いないだろう。贈与論の世界だな。そういうわけで、近所のブルーベリー園やイチゴ園などの料金を参考にして、入園料800円、持ち帰り1 Kg 1000円、2 Kg 以上の持ち帰りであれば、2 Kgを超えた分 の半量をおいていけば無料と決めた。

 それはまあ良いのだが、実際にやってみると問題が残るのである。仕方のないことだが、慣れない人は採るのが下手で果実を潰してしまうのである。潰した果実では、すぐに酵母が働いて醗酵を始まる。カビも急速に増殖する。良い香りになれば醗酵、いやな臭いあるいは見た目になれば、腐敗と呼ぶ。遠方からきた人であれば、帰宅した時点でカビが生えているに違いない。この問題は、70%エタノール噴霧剤(パストリーゼ)という製品を使うことで改善できるようだが、2 Kgオーバーで半分貰った果実は往々にしてすぐに腐るのである。それなら無料で差し上げたほうがまだましだと思える場面がほとんどである。

 愚痴っているわけではない。明るくぼやいている。近頃美味しい食べ方を見つけた。桑の実は、果実と云うより野菜に近い気がする。それもかなり異質な野菜である。どうやって食べるか?砂糖を加えて焼酎(あるいは薄めたホワイトリカー)と煮るのである。 砂糖の量は好みに合わせて加減すれば良い。どれくらい煮るか、それもまた好みなのだが、煮えた果実が結構いける。この果実を液から取り出し、少し乾かしグラニュー糖でまぶしても良い。液体部分は(炭酸で)割って飲むと良い。この目的のためには、熟した果実よりまだ赤い未熟の果実のほうが適している。信じられないような牡丹色を楽しめる。勿論、そのままホワイトリカーに漬けると一年中楽しめる。https://kotonohaweb.net/japan-color/2/

 

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歴史認識・・・今何が起こっているのか

  歴史認識・・・今何が起こっているのかなどという立派な文章が書けるかといえば、まず書けないというのが実感である。何しろ情報量が少な過ぎる。情報を集めてくれるスタッフがいるわけもないし、議論に乗ってくれる暇人などいるはずもない。いくつかの国内外の新聞の見出しを眺め、興味のあるテーマについては Deepl 翻訳も使って記事を読む。さらに、右から左までいくつかの読む価値のありそうなブログにも目を通しながら、自分なりの視座から納得のいく理解を求めている。

 色々考えているのだが、どうにも理解できずにいた事実がある。私は1970年頃に大学での学生生活を送っていたことで、マルクス主義にも触れる機会があった。就職してからも労働組合の方々からの勧誘があった。土曜日ごとの勉強会に来ないかというお誘いであった。マルクスの資本論を読んでみないかと云われて読み始めたが、四分の一も行かないうちに止めてしまった。何となく肌に合わない、内容について少しばかり理解したような気がしても腑に落ちないのである。その理由がわからなかった。いまになって考えれば、人の持つ欲に対する認識が私の認識と違っていただけでなく、マルクス主義が持つ啓示宗教的な臭いに違和感を感じていたようだ。

 共産主義、話を聞くと良さそうに聞こえる。「皆平等、皆同じ、だから皆で頑張ればみんな幸せに暮らせるよ」という。具体的にはどうなるのか。国民の財産は全て国家の所有物で私有物はない、必要なものは配給される、全ての職業も国営になる。従って、私有という概念はなく、国民全員が国家公務で賃金は一律固定給だという。でも、当時のソ連を見ればそうなっていないじゃないかと反論すると、いまは過渡期だと云う答えを貰った。プロレタリア独裁制を通って共産制に向かうのだそうだ。そんなプリミティブな理解で論を進められては困ると言う方が居られると思うが、専門的なところに入ると大筋が見えなくなる場合が多い。本当に重要な問題は入り口の所にあるのが常である。あっ、この言葉、自分の蘊蓄ブログへの批判にもなりそうだ。でも、続けます。

 僕は断捨離が嫌いです。すぐに使わなくても、役に立たなくても、色々なものに記憶の欠片が残っている。それが人生を豊かなものにすると感じているからだ。所謂、穢れという考え方に通じるものである。日本においては、長年使い込んだ道具には魂が宿るという考え方が存在する。そうした魂、あるいは精霊と日々交流しながら暮らす、それで良いではないか。それがある人間の生きた歴史ではないか。勿論、何時までも残せと言うつもりはない。その人が亡くなったあと、次の世代が断捨離をすればよい。子供や周りの人達に迷惑をかけないようになどと、死んだ後まで状況を管理しようとする精神は、違う意味において傲慢であると思わないのだろうか。

 そこで問題になるのだが、当面不要なものであっても所有しておくという楽しみは、共産主義の世界にあるのだろうか。当時、共産主義に対して大きな疑問が2つあった。一つは人は所有欲を制御できるかという問題である。子供を見ていればよくわかるのだが、「これ僕の」、「これ私の」と、あるゆる物に対する奪い合いで、一日中喧嘩している。この所有欲を教育で消せるものだろうかと疑ったのである。教育を含めていまは過渡期だと云う説明があったものの、彼の国では労働貴族が一世を風靡していた。労働貴族達は、国民に対して物に対する所有欲を禁じながら、彼らは権力欲の虜になっているように見えたからである。

 いま一つの疑問、いや疑問というより違和感は、啓示宗教的な臭いにあったようだ。いわゆる活動家と称される人々の持つ「我々が正しい、我々が教育してあげる、信じてついてきなさい、違議は認めない」という風柄に反発したのである。当時、私は「歎異抄」や「臨済録」、そして『鈴木大拙全集』(全32巻、1968-71年、復刊1980-83年)を読み続けていた頃だった(殆ど理解してはいなかったのは間違いない)。仏教にも戒律はある。だが同時に、その戒律を易々と超えて行く溌剌とした自由な精神活動がある事に心酔していた私にとって、一神教的啓示は受け入れ難かったのである。

 話を戻そう。バブーフやブランキは、平等社会を目指しての暴力革命を主張した。マルクス主義では、資本主義の発展により矛盾が増大すると、労働者による社会革命(社会主義革命、共産主義革命)が発生し、プロレタリア独裁の段階を経由して、市場・貨幣・賃金労働などが廃絶された新しい無階級社会である共産主義社会が生まれ、階級抑圧の機構としての国家・軍隊・戦争なども消滅するとした。

 そんなことは少し横において、アメリカの民主党、ジョージ・ソロス、ヘンリー・キッシンジャーなどの支援の下にクラウス・シュラブが世界経済フォーラムを立ち上げたのは1971年である。いまの世界においてグローバリゼーションを推進している最も大きな影響力を持つ私的国際機関といって良いのだが、このWEFが現在の世界的混乱を引き起こしているとうに見える。彼らのアジェンダ、「WEFが掲げる2030年までに起こそうとしている『グレートリセット・新世界秩序』」について、クラウス・シュラブは以下のような内容を述べている。

① 人々は何も所有しない。しかし、それでも人々は幸せである。必要な 物品は無料で支給されるか、あるいは国から貸与される。

② アメリカはもはや主要な超大国ではなくなり、そのかわりに少数の国が支配するだろう。

③ 人々は、臓器提供を待って死ぬことはなくなる。臓器は移植されずに3Dプリンターで印刷され供給される。

④ 人々は、動物性タンパク質(肉)を食べなくなる。それは環境と健康のためである。肉の消費は最小限にまで抑制される。

⑤ 気候変動による人々の大規模な移動により数十億人の難民が発生するため、あなたたちは難民を受け入れて、同一化しなければならない。

⑥ 二酸化炭素を放出する化石燃料を使った場合は、炭素税を支払わなければならない。従って物の価格は世界的に法外なレベルに設定される。

⑦ 宇宙で健康を維持する研究が進んでいるため火星に行ける日も近いからも知れない。

⑧ 西側世界の価値は限界点まで極限まで試され続けるであろう。

 疑問だらけである。① はそのまま共産主義の到達点を意味している。自由を最高の価値とし資本主義の最前線にいたはずのアメリカ合衆国の民主党が、いまこの目的に向かって旗を振っている。理解不能 ② についてもアメリカ合衆国の国民の願いとは異なると思う。現在の政策を続けるとすれば、近いうちに終わりのない内乱が発生すると予想しているが、アメリカ没落後に世界を支配する少数の国とはどこなのだろう。 ③ 臓器移植には未だに反対の立場にいるので、コメントする気にもならない。全脳死、脳幹死、植物状態、深昏睡の区別さえつかない人々が、これまた難解で矛盾だらけの脳死判定基準を認めているのだから、いつも少数派としては遠くから眺めるしかない状況だ。免疫反応、所謂拒否反応を軽視した上に3Dプリンターで印刷、できるようになってから言ってくれ。 ④ 環境保護のためというお題目がつくのだろうが、これを決めた人達は、いまと変わりなく牛肉を食べ続けると思われる。皆様はコオロギ煎餅をどうぞということだろう。でも、コオロギの餌はどうするのだろう? ⑤ そうしたことが起こるのを防止するための提言はないのか。移民は往々にして受け入れた国家を混乱させ破滅へと導く。それが目的かもしれないが。⑥ 本当かどうかわからない温暖化防止策の行き着く先は、グリーンファシズムとなりそうです。予想だが、第2のグレタ嬢が出現するのではないか。 ⑦ 確実に誰もが行けるようになってから議論してくれ。それよりも、多数の人間を火星に送るのに必要なエネルギー、発生する膨大な量の二酸化炭素は許容するのか。 ⑧ 極限まで試される西側世界の価値とは、どうやら自由と民主主義を意味しているらしい。極限まで試すとは極限まで否定すると読めそうだ。

 などと、つらつら考えていたのだが、突然気付いた。マルクスは、社会が進化を続け資本主義社会での矛盾が極限まで深まると労働者による革命が起こり、最終的な到達段階である「共産主義社会」に移行するとしていたのだが、それは間違っているに違いない。資本主義の矛盾が沸点に達しようとしている現在、世界中の富と情報と技術と権力を手にしている1%の人々が、それらを永久に保持し続けるために残りの99%に対する逆革命を試みていると考えれば、いま起こっている多くの事柄をすんなり理解できることに気付いたわけである。この革命が成功すると、情報技術が進んでいるが故に、ジョージ・オーウェル書くところの「1984」の世界が現出するだろう。いやだな!!

 少し調べていたら、クラウス・シュラブについて新しい情報を見つけた。WEFのトップを続けている人であり、その後にいる人々やダボス会議での指針的なものを読んで、少なくとも資本主義の権化である人物だと考えていたのだが、そこが早とちりであった。改めて気付いたことは、クラウス・シュラブたちは技術の進歩を基盤とした全体主義を指向していたとしか思えない。そう考えると①〜⑧のアジェンダが納得できる。誤解されては困るのだが、納得できることと、賛成できるということは同じではない。あなたがそういう基盤に立って考えれば、そのような結論に達するのは当然でしょう。しかし、私は依って立つ基盤が違うのだから別の結論を持っていますという事である。

 クラウス・シュラブという人物の思想的背景に誰がいるのか、偶々ウェッブ上で彷徨っていたら、クラウス・シュラブの父親がオイゲン・ヴィルヘルム・シュワブという人物で、ラーベンスブルクにあったエッシャー・ワイス社の取締役だったのでる。そしてそのエッシャー・ワイス社は、第三帝国の軍産複合体における重要性からヒトラーの特別後援を受け、「国家社会主義の模範企業」という名誉称号を授与された企業である。さらに、ラーベンスブルクという町は「役に立たない食べる人」を殺す優生学主義を実践したことで有名な町である。以下、参照して下さい。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68874593.html 

https://note.com/kirin_maho02/n/n94e3278b50ba

 まあそういうことで、ナチスドイツの全体主義、優生学的の影響を受けている人であるとすれば、WEFが向かっている方向が理解できるということである。さらに、ウクライナにおける戦争について、クラウス・シュラブが主催するダボス会議がネオナチであるアゾフ大隊を擁するウクライナに肩入れする意見であふれ返る現象についても納得である。そしてそのダボス会議には以下の人々が参加している。

田中 明彦 独立行政法人国際協力機構(JICA)理事長 日本

有竹 一智 取締役 副社長執行役員 サントリーホールディングス株式会社 日本

アンドリュー・バー 日立製作所 グループCEO 日本

サミ・ベン・ジャマー 株式会社グローバルJERA 常務執行役員 日本

ロリーナ・デラギオバンナ 日立製作所 執行役副社長 日本

江田 麻季子 日本代表執行役 世界経済フォーラム 日本代表 日本

ナイジェル・フラッド 株式会社損害保険ジャパン 代表取締役副社長 日本

藤井 明夫 日本経済新聞社 編集委員会委員長 日本

藤井 輝夫 東京大学総長 日本

古田 秀則 富士通株式会社 代表取締役社長

後藤 雅宏 野村證券株式会社 代表取締役副社長 代表取締役副社長

長谷川 祐樹 読売新聞社 東北総局長

橋本 剛 株式会社商船三井 代表取締役社長 日本

林 達也 ユニゾン・キャピタル株式会社 パートナー 日本

東 憲司 株式会社スパイバー 代表取締役副社長 日本

平井 康照 三菱商事株式会社 取締役兼執行役員 日本

本澤 泰 江崎グリコ株式会社 代表取締役社長 日本

堀 義人 グロービス株式会社 代表取締役社長 日本

兵頭 誠之 取締役兼社長 住友商事株式会社 日本

出木場 久之 株式会社リクルートホールディングス 代表取締役社長 日本

石合 勉 朝日新聞社 編集委員 日本

石黒 憲彦 日本電気株式会社 代表取締役 副社長執行役員

石井 直子 三菱化学株式会社 特別研究員 日本

アトカ・ジョー 横浜ハブ株式会社 グローバルシェイパー

神部 治朗 ソニーグループ株式会社 代表取締役副社長 日本

川崎達男氏 ユニゾン・キャピタル株式会社 代表取締役共同創業者 日本

木下 泰 (株)日本政策投資銀行 取締役会長 日本

ブライス・コッチ 日立製作所 社長兼CEO 日本

国谷 裕子 朝日新聞社 常務取締役 サステナブル担当

松本 秀和 SGホールディングス株式会社 代表取締役社長 日本

松本紹圭 未来仏教研究所僧侶

三部 俊宏 取締役 兼 本田技研工業株式会社 代表取締役社長 日本

宮永 俊一 三菱重工業(株)代表取締役会長 日本

宮田 浩彦 三井物産株式会社専務執行役員 日本

森田 孝紀 執行役員、伊藤忠商事(株)代表取締役社長 日本

森田 孝行 日本電気株式会社 代表取締役社長執行役員

中濱 文孝 常務執行役員 MUFG Bank Ltd 日本

新浪 剛史 サントリーホールディングス株式会社 代表取締役社長 日本

西村 博之 日本経済新聞社 編集委員・コメンテーター 日本

奥村幹雄 株式会社損害保険ジャパン 代表取締役社長 日本

小野真紀子 サントリーホールディングス株式会社 常務執行役員 チーフ 日本

斉藤 和義 サントリービバレッジ・アンド・フード株式会社 代表取締役社長 日本

佐々木 伸彦 日本貿易振興機構(ジェトロ) 日本担当役員

笹沼 泰助 代表パートナー アドバンテッジパートナーズ株式会社 代表取締役社長

瀬名波 綾乃 COO マネージング・リクルート・ホールディングス株式会社 最高執行責任者

嶋 良彦 東京海上ホールディングス株式会社 常務執行役員

須田 義人 サントリーホールディングス株式会社 代表取締役専務執行役員 日本

常務執行役員 杉本 憲文 株式会社日本政策投資銀行 執行役員 日本

田畑 雄一 欧州総局長 NHK 日本

竹中 平蔵 慶應義塾大学名誉教授 日本

田代 圭子 ㈱大和証券グループ本社 執行役副社長 日本

時田 孝仁 富士通株式会社 代表取締役社長 日本

角田 達也 常務執行役員 株式会社JERA 日本

安永竜夫 三井物産株式会社取締役会長 日本

吉田憲一郎 ソニーグループ株式会社 代表取締役会長 社長執行役員 日本

 世の中で「ダボス会議ではね」などというと、陰謀論者と言うハンコを捺されがちだが、そういう発言をする人のほうが情報弱者であるのかもしれないな。厚生労働省のホームページに載っているムーンショット計画、何のために誰が乗せたか理解不能だったのだが、上記の現実を基盤において読み直すと通底するものが見えてくるようだ。

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