久しぶりの雨である

  昨夜、午前零時頃から降り始めた雨がまだ降り続いている。しばらく降っていなかったのでいい雨だと言えばいい雨だが、タマネギの植え付けがまだ終わっていない。これを植え終わった後に降ってくれるともっと有り難かったのに、などと自分に都合のよいことばかり考えている罰当たりである。寒冷前線でも通ったらしく少しばかり肌寒い。秋雨、秋霖と言うには少しばかり季節が進みすぎているようだ。冷え冷えと降り続く晩秋の雨を意味する冷雨という表現が適切だろう。雨が降ると何もすることがない。することがない上に何となく肌寒いというのは精神的によろしくない。気持ちまで冷え冷えとなるからだ。コロナ鬱になりそうな人々にとっては好ましくない天候である。

  こんな日は昔話しかないのだが、大学にいた頃学生の健康状態には気を使っていた。顔色、動作、声のトーン、会話の速さ、講義で座る位置などを、密かにチェックしていた。もちろん直ぐにプライベートなところまで踏み込むことはない。ただちょっとだけ面白い傾向に気付いたかもしれない。東京に住んでいる人は九州に行くということは南へ行くと思っている人が多いのだが、鹿児島や宮崎のように太陽に近い県は別として、北九州に来るのであれば、西に、そして裏日本に来るだけである。冬の福岡市や北九州市は裏に本であるが故に晴れの日がとても少なく寒い。まして日の出が東京より1時間ほど遅いので、朝はとても辛いのである。これが原因かどうかは分からないが、日照時間が長い地方から来た学生は冬場に鬱っぽい症状を示しやすいのである。当然個人差はあるしその年の気候にも関係するため確定的なことは云えないが、まあそういう気遣いをしていたというだけである。

  夕方になっても雨は止まない。気分を変えるために薪ストーブに火入れをすることにした。7年近く手入れをしていないストーブで、今月の10日にオーバーホールしてもらう予定である。外見は全く痛んでいないが昨年の後半に蓄熱板が割れてしまっていた。こうなると副燃焼室にも損傷が来ているだろうと考えてのオーバーホールである。見積もりをとったら、約10万円ということだった。7年使って10万円、年に14,200円なら悪くはないかと思った。しかし、薪集めの労力を時給に直せば、灯油代とどんな比較になるのだろう。暖かさの質が気に入っているので細かいことは考えずに、トロトロとした暖かさを楽しむことにしよう。何しろカーボンニュートラルである。後は湿度のコントロールをどうするか、今年は少し気にした方が良さそうだ。天板上にタライを置くか加湿器を購入するかの二択である。とにかく、火入れは終わった。何とも寝るのが勿体ないほど幸せな暖かさである。

 

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批判したつもりはないが出てきちゃった

  毎日、薪を運んでいる。薪と言ってもホームセンターや薪屋さんで売っているような薪ではな。薪にはなっていない大きな丸太である。運び初めて何日になるのか記憶にないのだが、腰と肩と腕がが痛くなってきた。同じ方法で運び続けると腰をやられたり靱帯を伸ばしてしまう可能性ありと考え、昨日から運び方を変えた。今までは2m近い原木をそのまま軽トラの荷台に載せていたのだが、この積み卸しが辛い。そこで、現場で原木を切断して運び始めた。まずチェンソー-2台の刃を研ぎ、ガソリンとチェンオイルを補充する。現場へ行く時に補充のガソリンとチェンソーオイルは持っていかない。2台の燃料が切れたら本日終了とする。明日できることは今日するなの精神である。そうしたらいくぶん腰は楽になったが、短く切られた原木は積み上げたときの安定性に欠ける。いずれにしろ一長一短、全てがうまく行くことはない。

 昨日、山鳥について何か書いた。そうだ、雉と山鳥ではファッションの方向が違うと書いた。山鳥の方がシックで綺麗だとか雉の方が派手で気品に欠けるなどと比較したつもりはなかった。山鳥には山鳥の、雉には雉の美しさがあり、それぞれの進化の結果があの彩りであると理解している。さて、このブログを雉が読むはずはないのだが、今日は山道に雉が出た。それも健康そうな雄の雉である。人懐っこいと言うほどではないが、さほど臆病でもない。軽トラからカメラを出して撮影することができた。

日本キジの雄

  日本キジの雄である。近縁種の高麗キジも福岡県に分布することが知られている。高麗キジの雄には首の周りに白い輪があるため日本キジとの区別は簡単である。但し、視覚によるメスの区別は難しい。彼等はどうやって見分けているのだろう。

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昨日はドラフト会議

  近頃、悟ったというか開眼したというか、新聞の正しい読み方を身につけたような気がする。昨日はドラフト会議が行われた。新型コロナウイルス感染症の感染を防ぐために、各球団に別室が割り当てられ、抽選の時だけ抽選会場に現れるシステムだったという。結果として各球団が育成ドラフトを含め123人との交渉権を得たわけだ。幾つかの球団が競合したドラフト1位の選手がいれば、密やかに育成の12位で入った選手もいる。

  新聞を読めば、これらの選手は来シーズンから直ぐにレギュラーのの座を勝ち取るが如く書いている。育成で獲得した選手であっても、類い希な能力を持ち数年後はレギュラーをとる素材であるそうだ。私だってこのドラフトで選抜される選手達が、希に見る天才である事はよく分かっている。年に120人あまりしか選抜されないとすれば、東大より遥かに狭き門である。(因みに東大の定員は約3000人である。)そして、ドラフトで選抜された選手達にたいして、スポーツ新聞のみならず大きな発行部数を誇る新聞までが、ただただ持ち上げる提灯記事を書くのだが、実際に一軍に定着できるのは少数にすぎない。厳しい世界である。

 そんなことは知っているよと思われる方が殆どだと思う。そんなものだと私も気付いてはいた。何部売ったかが勝負の世界では、たくさん売った新聞社が勝ちである。変に批判的な記事を書いて球団から取材拒否でもされたら、担当記者は懲罰ものだろう。これは野球だけではなく、テニスだろうとゴルフだろうとスポーツ界に共通する馴れ合いのシステムであるようだ。来年のオリンピックは中止で間違いなさそうだが、今までのオリンピックにおける直前の提灯記事を信じるとすれば、毎回金メダルは100個くらい取れそうであった。

  スポーツ界や芸能界について少々の提灯持ち的な記事が氾濫するのは、またかとは思うものの、娯楽であるが故に許容範囲にあるのかなと思っている。私も丸くなったな!!だが、しかしである。このシステムが、長い間政治の世界でも通用していることには辟易している。どの内閣でもよい、就任した各大臣について、マスコミはいろいろな情報を持っているはずである。その取材を元に、この方は△△大臣に任命されたが△△分野に通暁しているとは思えないとか、○○関連の政策で××企業との癒着が噂されており、任期途中での辞任の可能性があると書いても良いだろう。その予想が当たればスクープではないのか。しかし、認証式の次の朝、新聞紙面は高下駄を履かせて神輿に乗せたような記事で埋め尽くされる。そんな記事を、貴方なら読みたいと思いますかと記者諸氏に聞いてみたい。

  新聞は読者のために字を大きくし、漢字を減らした。スポーツ関連のスペースを増やし、外国記事を減らした。広告のスポンサーに不利なことは書かない。国内の記事は自ら取材したものではなく公式発表に合わせた忖度記事にする。どうも読者のレベルを低く見て馬鹿にしているのではないかと感じている。このままではネット記事に押されて、新聞自体が消滅の危機に陥るだろう。今後、娯楽的なお気楽記事を書く新聞が生き延びるのか、それとも真摯に事実を伝える新聞が生き延びるのか、それを予想するのは難しい。とはいえ、言論人としての矜持は持ち続けて欲しいと願っている。

 午前一時を過ぎているのだが、アメリカで株が急落しています。新型コロナ感染症への不安、あるいは大統領選に対するデモンストレーションかな。売っているのは誰だろう。

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足日木乃 山鳥之尾乃 四垂尾乃 長永夜乎 一鴨将宿

  昨日は山の道路整備であった。山と言っても果樹園のある里山で、今から50年近く前に行われたパイロット事業の流れを汲んで、今では先を見据えた事業と言うより山を荒らさないために継続しているとような感がある。昨年までは40人を超える参加者がいたのだが、今年は高齢化による離脱者が続出し、20人台にまで落ち込んだようだ。とはいえ、自分の所有地周りは草切りをしてくれた人が多かったため、作業量は昨年までと変わらなかった気がする。ただ、側溝が埋まってしまった部分がかなり存在するため、これが原因となる土砂崩れがちょっと気になるところである。

 書きたいのはそういうことではなく、ちょっとした人の入らない脇道で山鳥に出会った。突然目の前に現れたのでビックリしたのだが、相手も驚いたに違いない。それにしても、山鳥は綺麗である。細身の身体に長い尾羽、雉も綺麗だが山鳥の美しさはその方向が違う。長い尾羽が印象的である。カメラを持っていなかったのが残念だったが、記憶に残しておけば良いだろう。さらにだが足が速い。コジュケイも早足だが山鳥の方がもっと早いのではなかろうか。昔々、山鳥とニワトリを交配したという触れ込みの雛を入手して飼ったたことがある。ニワトリと山鳥の交配は可能なのだろうか。ちょっと怪しい気がしている。ただ、雛の背中の模様はやまどりとそっくりだったし、行動様式も普通のニワトリ(チャボと尾長)とはかなり違っていた。他愛ない妄想だが、山鳥が早足で歩く姿は何となくミクロラプトル・グイ Microraptor guiに似ているななどと思った。類縁関係にある事は間違いないだろう。

 山鳥の尾羽は長い。表題の歌において、秋の夜の長さをに対する枕詞となっている。作者は柿本人麻呂となっており、人麻呂が晩年に山陰の地に流刑となったときの歌とされているが、じつは人麻呂作ではないらしい。確かに、人麻呂の他の歌に較べると響きあまりにもが違う。人麻呂は、こんなに観念的な詠嘆を歌う人ではない気がしている。大学を辞めたとき、間違って処分した幾つかの段ボール箱の中に、「水底の歌」の上下巻と「歌の復籍」が梱包してあったらしく、今は手元にない。もう一度読みたくなる季節である。

 

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歴史生物学 生合成から見たルヌラリン酸 後半

  大分時間が空いてしまった。前段については多分忘れてしまった人が多いと思うので、「歴史生物学 生合成から見たルヌラリン酸 前半」を参照しながら読んで下さい。

  そこで再度、本論に戻る。いわゆるシキミ酸経路を、図5-3に示すようにホスホエノールピルビン酸(PEP)とD-エリスロース-4-リン酸(E-4-P)を出発物質とし、3種の芳香族アミノ酸までの生合成系であるとする。この生合成系を、有機電子論的に、極めて荒っぽい説明をしよう。

  まずPEPとE-4-Pの間で、エノールリン酸結合の加水分解を伴うアルドール縮合が起こり、3-デオキシ-D-アラビノヘプツロン酸-7-リン酸がつくられる。この3-デオキシ-D-アラビノヘプツロン酸-7-リン酸の6位の水酸基が2位のカルボニル基との間でヘミアセタールが形成される。

3-デオキシ-D-アラビノヘプツロン酸-7-リン酸 の生合成

  この3-デオキシ-D-アラビノヘプツロン酸-7-リン酸の5位の水酸基が参加された後、5-6位の間に二重結合を形成しながら正リン酸の脱離が起こる。開環に伴い生成したエノール型中間体が再度アルドー縮合による閉環反応を起こして4,5-デヒドロキナ酸となる。

 4,5-ジデヒドロキナ酸の生合成

  この化合物が1,6位炭素間での脱水反応と4位のカルボニル基が還元を受けてシキミ酸となる。このシキミ酸が代謝経路全体のネーミングに使われているわけである。但し、4位のカルボニル基の還元が起こるタイミングについてはこれで良いかどうか。違う説もある。

4,5-ジデヒドロキナ酸からシキミ酸まで

  さて、シキミ酸経路はシキミ酸で終わるわけではなく、3種の芳香族アミノ酸に向かって伸びてゆく。シキミ酸の3位の水酸基がリン酸化を受けた後、もう一分子のPEPのsp2炭素上での求核置換反応により5-エノールピルビルシキミ酸-3-リン酸に、この5-エノールピルビルシキミ酸-3-リン酸が脱リン酸を受けて、きわめて重要な中間体であるコリスミ酸へと変換される。コリスミ酸はクライゼン転移によってプリフェン酸が生成する。このプリフェン酸は、脱炭酸を伴う脱水反応を起こしてフェニルピルビン酸になった後、アミノ基転移が起こってフェニルアラニンが生成する。一方、チロシンの生合成は、プリフェン酸の4位の水酸基がまず酸化されてカルボニル基になった後、芳香化を伴う脱炭酸を受けることで完成する。

シキミ酸から Phe と Tyr までの代謝

  もう一つの重要な芳香族アミノ酸であるトリプトファンへの分岐はコリスミ酸で起こり、アントラニル酸合成酵素によるちょっとわかりにくい反応を経て、アントラニル酸が作られる。アントラニル酸はホスホリボシルピロリン酸との反応でN-(5-ホスホ-β-リボシル)アントラニル酸、続いて脱水を伴う異性化反応により1-(2-カルボキシフェニルアミノ)-1-デオキシ-D-リブロース-5-リン酸に変換される。この化合物が脱炭酸と脱水反応を受けインドール-3-グリセロールリン酸となった後、トリプトファン合成酵素によるグリセルアルデヒド-3-リン酸の脱離に続くセリンとの縮合が起こり、インドール環をもつトリプトファンが生合成される。この反応はとても面白い反応だが、なかなか分かり難い。ただ、今の議論においては必要ないのでこれ以上の説明は省くことにする。

  シキミ酸経路の各段階の反応は、有機化学的に見てかなりトリッキーで面白い反応群である。そこで、天然物化学を志す若者を意識して、反応メカニズムを描いてきた。興味のある方に見てもらえばよい内容であり、多くの方は無視して次のセクションに進まれても話の筋には影響しない。

  さて、フェニルアラニンとチロシンの生合成にはもう一つの経路すなわちアロゲン酸経路が存在する。この系においては、プリフェン酸がまずアミノ基転移を受けアロゲン酸となる。(下図 )このアロゲン酸に脱水と脱炭酸を伴う芳香化反応が起こるとフェニルアラニンが生合成されるし、脱水と脱炭酸を伴う芳香化反応に先だってアロゲン酸の4位の水酸基が酸化されてカルボニル基になっていれば、芳香環の4位に水酸基を残したチロシンが生合成されることになる。つまりフェニルアラニンとチロシンには、下に示すようにプリフェン酸からフェニルピルビン酸あるいは4-ヒドロキシフェニルピルビン酸を経由する系とアロゲン酸を経由する2系統の生合成系が存在するわけである。チロシンについてはこの2つの系とともに、フェニルアラニンのオキシゲナーゼによる酸素添加によって生合成される系も存在するのだが・・・


 プリフェン酸からフェニルアラニン、チロシンへの変換経路

  ここで、いわゆるシキミ酸経路(PEPとE-4-Pで始まりPhe, Tyr, Trpまでの経路)について、少しまとめよう。PEPとE-4-Pからコリスミ酸、プリフェン酸を通って各アミノ酸を生合成する経路は、独立栄養を営むことのできるバクテリア、植物に存在し、従属栄養生物である動物には存在しない。とはいえ、PheとTyr生合成で、それぞれフェニルピルビン酸、4-ヒドロキシフェニルピルビン酸を通る経路の最後の段階は、2つのアミノ酸が分解されていく系路と重なるために、動物にも分布する。文章で書くと面倒な話になる上図に簡単に示している。

  では、植物でこれらの系が全て動いているかと言えばそんなことはない。植物ではプリフェン酸から4-ヒドロキシフェニルピルビン酸への系とフェニルアラニンからチロシンへの系は存在しない。これが何を意味するかと言えば、植物体内に存在するチロシンはフェニルアラニンから誘導されることはない独立したアミノ酸であるという事実である。

  さて、通常の教育課程の生物学(生化学)においては、まずヒトの代謝系を中心にした教育が行われる。我々はヒトである。従って、そうした教育が行われること自体は、さほど非難されることではないだろう。ただ、フェニルアラニンはヒトにとって必須なアミノ酸の1つであるが、「チロシンはオキシゲナーゼの一種であるフェニルアラニン-4-ヒドロキシラーゼによってフェニルアラニンから生合成できるため必須アミノ酸ではない」と何度も教えられているうちに、ヒトにとってという部分を忘れがちになるのである。しかし、あるホルモンが全生物に対して同じ作用を持つ普遍的ホルモンではないように、生物の種類によって必須アミノ酸も異なるのである。植物だけでなく多くのバクテリアにおいては、全ての必要なアミノ酸を無機物から生合成する系を持つが故に、必須アミノ酸という概念自体が存在しない。

  こうした生物の種類ごとの“ある代謝系の有無”に関する問題にたいして、通常の代謝マップは極めて非力である。あるページに描いてある代謝系について、各ペ−ジに動物におけるとか植物における代謝と書いてあるのだが、ページ内の情報量の多さにまぎれ、全てが生物中で同時に機能している様な錯覚に陥ってしまう。もちろん、そう思い込んでしまうのは私の問題であるのだが、そうした錯覚に陥っているヒトはかなり多いようだ。

  現在は、バイオインフォマティクス研究用のデータベースKEGG(Kyoto Encyclopedia of Genes and Genomes: 京都遺伝子ゲノム百科事典)などいくつかのデータベースが自由に使えるため、是非一度、丹念にトレースしてみてほしい。数多くの記憶違い、思いもよらぬ思い違いなどで、一時的に落ちこまれるかもしれませんが。(経験済み、作り上げていた世界が壊れてしまうような衝撃を受けた)

フェニルアラニン、チロシンからルヌラリン酸まで

  前節で、植物体内ではチロシンとフェニルアラニンが独立したアミノ酸であることを論証した。では、これら2つのアミノ酸からルヌラリン酸はどのように生合成されるか。次にその経路を示す。

Phe、Tyrからルヌラリン酸までの系路

  一見、最初の図と同じではないかと思われるかもしれないが、植物体内にはフェニルアラニンからチロシンへの酸化系が存在しないため、その矢印を除いている。ここが最初の図に存在する1つの誤りである。この誤りを除いても、上の図にはまだいくつかの疑問が残る。

  まずフェニルアラニンからの変換だが、植物ではフェニルアラニンからチロシンへの変換系は存在しない。フェニルアラニンはフェニルアラニンアンモニアリアーゼ(PAL)と呼ばれる酵素によって桂皮酸へと変換されたあと、桂皮酸-4-モノオキシゲナーゼと呼ばれる酸素添加酵素によって4-ヒドロキシ桂皮酸へと変換される。この経路は、高等植物においてフェニルプロパノイド(リグニン、リグナン、タンニンなどを含む)と呼ばれる膨大な量の物質群を作る主な経路で、極めて重要な代謝系なのだが、困ったことに下等植物(藻類)には桂皮酸を4-ヒドロキシ桂皮酸に変換する桂皮酸-4-モノオキシゲナーゼが見つかっていないのである。同時に、こうした下等植物にはフェニルプロパノイドもほとんど存在しない。

  この事実を、植物はフェニルアラニンからチロシンへの代謝系を欠失している事実と重ねて考えると、下等植物におけるフェニルアラニンは4-ヒドロキシ桂皮酸の原料ではないという結論になる。ここに、チロシンがフェニルアラニンとは独立して生合成されるという前節の結論をかぶせると、フェニルアラニンはルヌラリン酸の生合成に無関係であるということになるが、それでもまだ問題がまだ残りそうだ。

  下等植物におけるスチルベンは本当にチロシンに由来するのかという問題である。チロシンがチロシンアンモニアリアーゼ(TAL)という酵素によって脱アミノ化され、4-ヒドロキシ桂皮酸となる経路は確かに存在する。ところが、チロシンアンモニアリアーゼはKEGG、ゲノムネット、UniProtなどのデータベースで見る限り、ごく一部の単子葉植物に見られるだけで、双子葉植物にも、藻類にも存在しない。では、いわゆる下等植物の4-ヒドロキシ桂皮酸はどこから来たのか。ここが微妙に悩ましいところである。私も、アブシジン酸とルヌラリン酸の生合成系を比較するとなどといういう立場になければ、ここまで拘泥することはなかったと思う。しかし、この部分はアブシジン酸とルヌラリン酸の生合成系の比較においてクリティカルな意味を持つ可能性が大きい。少々鬱陶しい話に付き合ってほしい。

  再度の議論となるが、下等植物の4-ヒドロキシ桂皮酸は何に由来するのか。以下の話は推測である。まず、TALという酵素についての話になるが、TAL(Tyrosine ammonia-lyase)をキーワードとしてUniProtで検索しても悲惨な結果に終わる。Tyrosine ammonia-lyaseで完全に一致するのは2項目だけ、そしてそれらは微生物由来の酵素である。KEGGで酵素名から検索しても2項目が得られるだけと結果はほぼ同じであるが、その中の1項目は興味深い。Tyrosine ammonia-lyaseで検索しているのにPhenylalanine/ Tyrosine ammonia-lyase(PTAL)というトウモロコシ由来の酵素が検索される。この酵素は、フェニルアラニンとチロシンの両アミノ酸を基質として、それぞれ桂皮酸と4-ヒドロキシ桂皮酸を与える基質特異性の甘い酵素なのである。

  どうやら、チロシンだけを厳密に基質とするチロシンアンモニアリアーゼという酵素は、芳香族アミノ酸リアーゼファミリーと呼ばれる大きな酵素ファミリーに属する、極めて小さなグループにすぎないようだ。ではTALという酵素は少数しか存在しないかといえばそうではない。PALと分類されている酵素の中にTAL活性を示すものが多数紛れ込んでいるらしい。PALの中で明らかに高いTAL活性を持つ酵素についてはPTALと表示される場合もあり、イネ、トウモロコシ、ソルガムなどイネ科植物に分布することが知られているし、TAL活性は双子葉植物に存在することも知られている。要するに、PALと表記してある酵素であってもチロシンを基質として4-ヒドロキシ桂皮酸を生成するという可能性は十分にあると云えるであろう。

  以上の議論をまとめると、ルヌラリン酸生合成の中間体である4-ヒドロキシ桂皮酸は、シキミ酸経路を通ってプリフェン酸からアロゲン酸となった後、アロゲン酸が脱水素、脱炭酸を伴う芳香化をうけて生成したチロシンが、芳香族アミノ酸アンモニアリアーゼの副作用を受けて生合成されるというストーリーが成立する。これが本当かどうかは、ゼニゴケの培養細胞にラベルしたPheとTyrを別々に与え、どちらのアミノ酸がルヌラリン酸に取り込まれたか調べればよい。簡単な実験なので、誰かやっていただけないだろうか?

  始めに戻る。「ルヌラリン酸はシキミ酸—マロン酸複合経路を通って生合成されるスチルベンカルボン酸に分類される化合物である」と書いた。シキミ酸経路で生成したチロシンが脱アミノ反応を受けて生成した4-ヒドロキシ桂皮酸は、マロン酸経路と呼ばれる系とここで合流しルヌラリン酸へと変化していくわけだが、代謝系をたどるのはちょっと休んで、マロン酸とスチルベンについての雑談である。

マロン酸とリンゴ酸

  まずはマロン酸について、シキミ酸がシキミの木から見つかったのであれば、マロン酸はマロンすなわちマロングラッセからの連想で、クリの木から見つかったのではないかと考えるのは正常な感覚だ。しかし、実際はそうではなく、マロン酸はリンゴから見つかっている。リンゴから見つかったのならリンゴ酸と名付ければいいと思われるだろうが、実は先客がいた。リンゴからは、すでにリンゴ酸が見つかっていたのである。もちろん、このリンゴ酸は、マロン酸とは別のものである。要するにマロン酸はリンゴから見つかった酸ではあるが、リンゴ酸という名前の争奪戦に後れを取ったのである。だからといって、マロン酸という紛らわしい命名する必然性はなさそうに思える。

 では何故マロン酸か。困ったときにギリシャ語頼りではないが、マロン酸のマロンはクリのマロンではなく、ギリシャ語でリンゴを意味する melon (melon:メーロン) に由来するという。ところがこのmelon:メーロンを語源辞典を調べると、リンゴだけを特定する名詞ではなく外来の果実を総称する使い方がされていたと書いてある。マロンはmelon:メーロン でありその melon:メーロンは一応リンゴなのだが、このリンゴはカボチャをも含む外来の果実をも含むとなると、頭が整理しきれなくなる。こういうときは、歴史的にみると流れがすっきり理解できる場合が多い。

  まず、Karl Wilhelm Scheeleが1785年にリンゴ酸をリンゴジュースから単離した。2年後、フランスの有名な科学者であるAntoine-Laurent de Lavoisie (ラボアジェ:酸素、質量保存則の発見者)が、ラテン語 mālum (リンゴ)に因んで acide malique という名を提案し、この名称で決まったらしい。acide malique すなわち malic acid (リンゴ酸)の語源である。一方、マロン酸はリンゴの果汁から見つかったのではない。1858年、リンゴ酸の酸化実験をしていたとき、その反応生成物の中から単離されたものであり、後にリンゴにも含まれていることが明らかにされた化合物である。命名にあたっては、何とかリンゴとの関係を持たせるべく語源を遡ったのであろう。やはり、リンゴ酸の方がリンゴ酸を名乗る資格がありそうである。

  次にスチルベン類について少しだけ蘊蓄を傾けたい。何度かアメリカに行ったことがある。もちろん、異人さんの国であり、驚くこと、納得できないこと、呆れ帰ることは多々あるのだが、あの食事のボリューム、ケーキやホットチョコレートやアイスクリームの甘さとボリュームとネットリ感には感動するしかない。ホテルで出されるブレックファーストを完食でもしようものなら、午後になっても空腹なんて感じない。まあ、安く上がるからいいのだが。

  そこで、フレンチパラドックスという現象がある。フランス人がアメリカ人よりも飽和脂肪酸の多い食事をし、喫煙率が高いにもかかわらず、動脈硬化に伴う虚血性心疾患(狭心症や心筋梗塞など)にかかるヒトの割合が少ない現象をさす。この原因が赤ワイン中に含まれるレスベラトロールであるとする報告が出された。その影響で赤ワインの消費が急増しただけでなく、レスベラトロール含有のサプリメントまで発売されるに至っている このレスベラトロールは、ルヌラリン酸同様スチルベノイドに含まれる化合物であるが、サプリメントにまでして飲んでいいかどうかについては、判断がつかない。サプリメントにして飲むという行為は、見方を変えればこれもまた歪な偏食とも考えられるからである。

 アメリカ社会の肥満問題をみるにつけ、そうまでしてもっと脂っこい食事を取りたいのかと、彼らの感性を疑ってしまう。さらに、この赤ワインブームを引き起こした Dipak K. Das博士に関しては、捏造したデータをもとに報告を書いていたという疑惑が報道されていることも知っておいていいだろう。この騒ぎだけではなく、NHKを始めとするあまりにも軽薄な同調ジャーナリズムには嫌気がさして、TVを投げ捨ててしまった。家族はTVのない茶の間で何を考えていたのだろう。それにしても世の中、私の願う方向とは違う方向にしか進まないようだ。

  レスベラトロールを始めとして、ルヌラリン酸に関係のありそうなスチルベノイドをいくつか、下に示しておく。

​ルヌラリン酸に関係のありそうなスチルベン類 

  最初に示したレスベラトロールは、先に述べたフレンチパラドックスに関係する化合物で、日本でもある水商売のうまい企業を始めとして、幾つかの企業がサプリメント化している化合物である。ルヌラリン酸とプレルヌラリン酸については、この本の主題にかかわる化合物として後で議論することにして、次のルヌラリンはルヌラリン酸が脱炭酸をうけた化合物であり、苔類や藻類などから広く検出されている。ルヌラリンはクロレラ培養細胞に耐凍性を付与することで知られている。フィロズルチンはユキノシタ科ガクアジサイの一種に含まれる。4月8日の灌仏会において、お釈迦様の像に注ぎかける甘茶に含まれる甘味を示す化合物である。

 次のラポンティゲニン、タデ科ショクヨウダイオウに含まれる抗酸化性、抗腫瘍性、抗血栓性あるいは血管弛緩活性を示すアポンティシンのアグリコン部分であるが、まだ実験段階でヒトに効くかどうかは分からない。ピノシルビンは常緑の針葉樹に広く含まれる物質で、マツにおいてはマツノザイセンチュウへの抵抗性成分として働いていると言われている。美肌業界においては、ピノシルビンを原料にしてに美白剤が云々などという話が氾濫しているが、そういう金儲けの話に全く興味を持てない私は、いくぶん以上に時代遅れなのだろう。

  次に示したのがルヌラリンによく似たバタタシン、ヤムイモの休眠物質として、あるいはナガイモやムカゴの休眠物質として報告されている化合物で、ルヌラリンを含め何となくルヌラリン酸に通じる活性をもつような気がしている。最後に示したのはヒドランゲ酸、ルヌラリン酸と極めて類似した構造を持つ化合物で、アジサイに含まれる。脂肪細胞からの分泌タンパク質アディポネクチンの分泌量を増やし、インスリンレセプターの感受性を上げる作用を持つため、抗糖尿病薬としての期待が持たれている。

  ルヌラリン酸との関連では、オーキシン輸送を阻害する除草剤であるナプタラム(1-N-naphthylphthalamic acidと高い結合能を示すにもかかわらず植物体内で働くリガンドが不明なオーファンレセプタ−(役割が明確でないレセプター)に対して、ルヌラリン酸とヒドランゲ酸が中程度の結合能を示すという報告がなされている。

​ナプタラム

  上にナプタラムの構造を示すが、この構造を見ればルヌラリン酸あるいはヒドランゲ酸と似た活性を持つといわれても納得されるのではないだろうか。とはいうもののこの化合物はスチルベンとは何の関係もない。一寸だけ書いただけです。

  少しは、ルヌラリン酸の仲間に親近感を持ってもらえただろうか?さほど大きな期待はしていないが、少しだけでも興味を持って頂けることを願っている。それにしてもアブシジン酸の理解のために、一見関係なさそうな化合物について、ここまでマニアックな議論をした人間は私だけだろうと思う。人生も学問も寄り道に面白みがあるのです。

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