このブログの読者数はあまり増えないのに、近頃自宅への来客が急に増えた。来客が多いということは少なくとも嫌われてはいないと言うことで喜んでおこう。博多に住んでいたときは年に数人もいなかった客が、現在では10倍以上になっているようだ。来客の話はまあいいや。
雑用の話である。一応農家である。従って農作業は雑用ではない。では、何をしているのか。再来年用の薪の運搬である。近所のSさんが、ナシ畑の梨の木を切った。大量の薪の原料がでたわけである。数日前の夕方、彼からあの梨の木を引き取るかと尋ねられた。いただきます、是非。それで決まった。3日ほど前から時間の合間に、この薪を薪棚のある山の畑に運んでいる。このブログを読んでいる数人の人は知っていると思うが、30年以上経った梨の木、それを1.8m位に切ったものは、1本で50Kgを超す場合もある。実に重い。軽トラの荷台にこんもりと積むと、空気圧を上げていてもタイヤは下膨れになる。多分1トンはゆうに超えているだろう。
顔見知りの警官に捕まるのは遠慮したいので、派出所の近くは通らない。本当にこんもり積むと、ハンドリングが心許ない。そこで、少しばかり控えめにこんもりと積み、パトカーの通らない峠道を通って山と山を行き来している。現在4トンくらい運んだかな。残りが10トンくらいありそうだ。それらを運び終わったら、玉切りして長さを揃え、それから薪割りという運びになる。去年は薪の収集量が少なかったので、今年は多めに集めるつもりだ。11月中に山にある15mサイズの薪棚に収納し、残りは今年の消費に伴って空いてゆく自宅の3台の薪棚に積んでいく予定だ。冬場でも汗だくになる雑用が続くのである。腕と肩と背中と腰が痛い。もうすぐ、膝も痛くなるだろう。身体が筋肉痛の塊になる。
さて、今年は米の売れ行きが例年になく早い。以前書いたように、備蓄量を増やしていたのだが少々心許なくなってきた。昨年産の古米がいくらか残っていたのだが、これを仲買人に売るのは止めた。昔の庄屋さんは、稲刈りが終わってすぐに新米を食べるのは生活に余裕のない貧乏人だと言ったそうだが、私も人には新米を売って自分は古米を食べることになってしまった。救いは、作っているヒノヒカリという品種が味の劣化が少ない品種であること、さらに低温保管庫で保存しているため、味の劣化がほとんどないということだ。それは良いとして、私からお米を買って食べている人のほうが、間違いなく私より裕福であるようにみえる。客筋が良いと喜ぶべきかな。確かにどう見ても私は庄屋さんという柄ではない。考えてみれば、何かしら作付けしている農地の半分以上が借り地である。とすれば、小作さんか。大作でも、不作でも豊作でもなく、田子作でもない。小作さん、結構しっくりとくる響きだな。大規模すぎないところが良い。どこかで使おう。