足日木乃 山鳥之尾乃 四垂尾乃 長永夜乎 一鴨将宿

  昨日は山の道路整備であった。山と言っても果樹園のある里山で、今から50年近く前に行われたパイロット事業の流れを汲んで、今では先を見据えた事業と言うより山を荒らさないために継続しているとような感がある。昨年までは40人を超える参加者がいたのだが、今年は高齢化による離脱者が続出し、20人台にまで落ち込んだようだ。とはいえ、自分の所有地周りは草切りをしてくれた人が多かったため、作業量は昨年までと変わらなかった気がする。ただ、側溝が埋まってしまった部分がかなり存在するため、これが原因となる土砂崩れがちょっと気になるところである。

 書きたいのはそういうことではなく、ちょっとした人の入らない脇道で山鳥に出会った。突然目の前に現れたのでビックリしたのだが、相手も驚いたに違いない。それにしても、山鳥は綺麗である。細身の身体に長い尾羽、雉も綺麗だが山鳥の美しさはその方向が違う。長い尾羽が印象的である。カメラを持っていなかったのが残念だったが、記憶に残しておけば良いだろう。さらにだが足が速い。コジュケイも早足だが山鳥の方がもっと早いのではなかろうか。昔々、山鳥とニワトリを交配したという触れ込みの雛を入手して飼ったたことがある。ニワトリと山鳥の交配は可能なのだろうか。ちょっと怪しい気がしている。ただ、雛の背中の模様はやまどりとそっくりだったし、行動様式も普通のニワトリ(チャボと尾長)とはかなり違っていた。他愛ない妄想だが、山鳥が早足で歩く姿は何となくミクロラプトル・グイ Microraptor guiに似ているななどと思った。類縁関係にある事は間違いないだろう。

 山鳥の尾羽は長い。表題の歌において、秋の夜の長さをに対する枕詞となっている。作者は柿本人麻呂となっており、人麻呂が晩年に山陰の地に流刑となったときの歌とされているが、じつは人麻呂作ではないらしい。確かに、人麻呂の他の歌に較べると響きあまりにもが違う。人麻呂は、こんなに観念的な詠嘆を歌う人ではない気がしている。大学を辞めたとき、間違って処分した幾つかの段ボール箱の中に、「水底の歌」の上下巻と「歌の復籍」が梱包してあったらしく、今は手元にない。もう一度読みたくなる季節である。

 

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