ABA 思えば遠くへきたもんだ!

最終章 思えば遠くにきたもんだ!!

 考えてみれば四半世紀ほど昔のことであった。バブルに踊り前のめりにお金を追い求める風潮に反発を覚えて、生長にブレーキをかけるホルモン−アブシジン酸—を研究の対象とした。ところがアブシジン酸研究のフィールドにおいても、アブシジン酸の有効利用、高活性なアナログの合成、安価なアブシジン酸の製造などと、現代文明の流れに沿った研究が主流であり、落ち着いた科学としての研究を行うような雰囲気はすくなかったような気がする。多くの研究者にとって、「アブシジン酸の生合成が、何故C40のカロテノイド、キサントフィルを経由するという迂遠な経路を通るのか」などと言う疑問は、路端にうち捨てるべき雑音にすぎなかったようだ。まして「アブシジン酸はどうして植物ホルモンなのか」などという懐疑は、学会において存在するはずもなかった。

 現代においてこの傾向はいっそう強まり、すぐにあるいは近い将来に金銭的利益を生み出す研究だけが評価されるようになってきている。グーグルあるいはヤフーでアブシジン酸を検索してみられたらよい。まず、物質としてのアブシジン酸はどんなものかというサイト群がある。次に、アブシジン酸は植物ホルモンであることを前提とした研究についての発信が並んでいる。これをどう使えばあるいはどう制御すれば有益であるかという話に連なる発信群である。今ひとつは、アブシジン酸が動物における抗炎症性サイトカインとして働くという報告が基になったのかどうかは知らないが、アブシジン酸は健康に悪いと声高に述べ立てるサイト群が並んでいる。私のサイトはウイルスの進入で破壊され、しばらく行方不明が続いていた。

 科学から技術へと、時代の要請が変化してしまったようだ。「しかし、それでよいのか?」などという疑問は、時代遅れの人間がもつ述懐に過ぎないのだろう。さりとて、持ってしまった懐疑は、無かったものにするわけにはいかない。本来、アブシジン酸は何であったのかと考え続けていたとき、3つの大きな転機があったように思っている。

 一つは生理活性天然物化学・高橋 信孝、丸茂 晋吾、大岳 望 (1973)の中にルヌラリン酸を見つけ、Pryceらの論文に出会ったことにある。ルヌラリン酸の構造式をあれこれといじっていたとき、平面構造ではあるにしても両化合物の官能基の配置が似ていることに気が付いた。ここから、両化合物の類似性についての研究をはじめた。

 しかし、構造の類似性と両化合物の植物界での分布だけでは、「アブシジン酸によるルヌラリン酸のニッチの乗っ取り」に必然性を感じさせる説明をすることができない。両化合物の類似性について、色々な方向からデータを取りながら考えていたのは、高等植物においてルヌラリン酸はなぜ消えたのかと言う疑問である。高等植物においてルヌラリン酸が消えてしまった理由は何か?この疑問を追いかけていった結果、ルヌラリン酸(スチルベノイド)とフラボノイドとの進化的な関係に気付いた。同じく、アブシジン酸とルヌラリン酸の問題を理解し解決するには、時間軸の導入が不可欠であると思い至った。これが第二の転機であろう。

 いま一つの大きな転機は、「活性酸素―生物での生成・消去・作用の分子機構 」edited by中野 稔・浅田浩二・大柳 善彦 (1989)との出会いである。この中にアブシジン酸やルヌラリン酸について記述があるわけではない。しかし、活性酸素の物性、P450に代表されるオキシゲナーゼによる活性酸素の消去、カロテノイドを含む低分子物質による活性酸素の消去などの項目を何度も読みながら、オキシゲナーゼと呼ばれる一群の酵素といわゆる二次代謝物質の関連などについて考え続けた。その結果が、ルヌラリン酸とアブシジン酸の歴史の長さに関する考察、酸素添加による代謝爆発:Oxygenative Burst仮説となったわけである。

 さらに、全体を大きな矛盾なく考えるに当たって重要な意味を持ったのが、オーファンレセプターのミラーイメージとなるオーファンリガンドの概念である。Oxygenative Burst仮説から導かれるオーファンリガンドとオーファンレセプターの概念を組み合わせて考えていたとき、ある生理活性をもつ化合物の「化合物としての歴史」と「生理活性物質としての歴史」の長さが一致しないことに気付いた。これが種々の物質や生物現象の出現の歴史を重視する仮説群を基礎とする歴史生物学という分野を提唱する原因となった。

 こうしたいくつかの新しい仮説の組み合わせで、アブシジン酸によるルヌラリン酸レセプターの乗っ取り仮説を大きな矛盾なく論証できるようになったし、高等植物におけるルヌラリン酸の消失が、フラボノイドの分布とも重なる非常に大きな広がりをもつ事象群であることも明らかになった。ルヌラリン酸、アブシジン酸、これらに係わるカロテノイド、フラボノイド、スチルベノイドなどについて、いままでにない総合的な視座からの説明ができたのではないかと考えている。勿論、これは自己評価にすぎず、他の方々がどう評価するかは全くわからない。とはいえ、私が25年ほど前に何気なく持った疑問—高等植物になるときに植物はその抗ストレスホルモンをルヌラリン酸からアブシジン酸へと変更したのではないか−という些細な疑問は、当初思いがけないほどの広がりと深みを持った問いであったようだ。

 考えてみれば、アブシジン酸とルヌラリン酸という2つの化合物を通して、私は植物の進化を追いかけていたことになる。この間、お金に溺れることなく愛知者(フィロソフォス)としての道を踏み外さなかったことだけは誇って良いのかもしれない。

カテゴリー: アブシジン酸の総合的理解に向けて, 歴史生物学 パーマリンク