知識は怖い 1

 知識が豊富である事は、悪い事ではない、むしろ望ましい事であろう。しかしながら、その知識の正しさについての吟味は、常に続けなければならない。さらに、その知識から演繹して得られた自らの認識についても、演繹の正しさについての検証が欠かせない。またややこしい事を言い始めたと思われそうだが、知るという事は人の目を開かせる場合だけでなく、同時に人の目を曇らせる場合もあるという事を忘れてはならない。言い換えれば、一つの知識は次の知識を取り入れるに際して、ある時は助けとなりまたある時は障害になるということである。我々は、生きてきた間に身に付けた知識という偏見のフィルターに翻弄されながら暮らしているのかもしれない。

 何故そんなことを書き始めたかといえば、免疫と云う言葉の持つ概念が色々な混乱をもたらしているからだ。現在のコロナ問題がその一つである。専門家ではない大多数の人々は、免疫とは疫病から免れる現象という意味であり、免疫現象が自らを傷つけるネガティブな側面を持つとは考えていないようだ。しかし、現実には免疫反応は疫病からの回避メカニズムであると同時に、自己免疫疾患と呼ばれる治療が難しい多くの病気を引き起こしているのである。このブログを読み込んでいる人達にとっては釈迦に説法かもしれないが、実社会においてはこの理解が出来ていない人達が大多数である。そうでなければ免疫力を上げる事で健康な生活が送れると説く嘘まみれの免疫本が売れるはずはないではないか。

 先に云う免疫反応を人為的に起こさせるもの、それをワクチンという。そのように多くの人が理解している。そして、これを言い換えれば、免疫反応を人為的に起こさせ人を疫病から守るものがワクチンという事になる。ここにおいて、過去に幾つもあったワクチンの後遺症など極めて稀な例外に過ぎず、ワクチンは安全で望ましいものになる。この安全で疫病から人を守ってくれるワクチンという概念が偏見のフィルターとなって、危険かもしれないワクチンという概念の侵入を排斥する。まるでウィルス干渉みたいなものである。

 今回のコロナショックは、通常の風邪の治療+イベルメクチン又は5-ヒドロキシクロロキン+肺炎を起こしたらアジスロマイシンという治療方針を貫いていれば大した問題にならなかったと思っているのだが、初期のイベルメクチン又は5-ヒドロキシクロロキンが有効であるというデータは、いつの間にか効く効かないという報道の混乱の中で消えて行った。まだ強い影響力を持っていた安倍首相が押していたアビガンでさえも、どうなってしまったのか、後追いの報道さえ見当たらない。研究結果は無視され、新型コロナ感染症をとんでもない怖い病気であると報じ続けたマスコミの圧勝である。数日前、イベルメクチンがコロナ感染症(オミクロン株)にも効くという報告があったが、これも雑音の中に埋もれてしまうと予想する。

 アナグラム、言葉遊びの一つで、単語や文の中の文字を入れ替えることによって、全く別の意味の単語や文を作る遊びである。ダ・ビンチコードの中で謎解きの場面で使われていたのが記憶に残っているが、今回のコロナ感染症もそうした少し変わった角度から見たほうが良いのかもしれない。今回の新型コロナ感染症COVID-19 は SARS-CoV-2( 重症急性呼吸器症候群コロナウイルス2 )によって引き起こされるのだが、当初は2019-nCovという名称 が推奨されていた。ところが、WHO(世界保健機関)はそれを退け、 COVID-19 と決めた。それがどうしたと云われそうだが、 COVIDを反転させるとDIVOC、これをヘブライ語の文字に変換すると「 死者の霊 」、あるいは「 悪霊 」という意味になるそうだ。もともと、ヘブライ語は右から左に読むと聞く。とすればこの命名がユダヤの民俗信仰を意識している可能性は捨てがたい。嫌な名前だな。

 それだけならまだ偶然として扱うことができなくもないのだが、続きがあった。昨年流行ったDELTA株といま流行っているOMICURON株、何でイプシロンに行かないのかと不審に思っていた。ところがである、DELTAとOMICURONを組み合わせてアナグラムを生成させると、MEDIA CONTROL(メディアコントロール)やDEMONICAL ROT (悪霊的な腐敗)、DEMOCRAT LION (民主党のライオン)などが得られるそうだ。なんだか裏のありそうな意味深な命名である。アナグラム自動生成ジェネレーターなどというサイトも存在する。少し遊んでみられたら如何だろう。現在の物語を裏で進めているのはこうした高度な言語遊びを操る人々かもしれない。いやいや、陰謀論です。遊びです。陰謀論的遊びに過ぎません。知識の怖さについては次回にまた書きます。

 

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時代がようやく追いついてきた

 時代がようやく追いついてきたような気がする。私がくだらない御託を並べるより説得力のある動画が公開されていた。もちろんYouTubeではない。陰謀論者と見られている私の解説などどうでも良い。是非見て、考えて欲しい。これは、世に言う陰謀論者への入り口になるでしょう。疑問を持つととても暮らしにくくなります。でも嘘にからめ捕られて生きたくはないと思っています。

https://rumble.com/vsu08h-planet-lockdown-a-documentary-japanese.html

 再生スピードを0.75に落とすと聞きやすいし、日本語へのアクセスも楽になると思います。もう少し英語のヒアリング能力を高めておくべきだったと、すごく反省している。

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遅発性圧迫性アレルギー

 我々の子供時代は、予防注射なんて目茶苦茶な時代であった。注射を打つ医者はお年寄りが多く、注入量を間違うことはよくあった。異なったサイズのガラス製の注射器がトレーの中に並んでいたのだから、仕方ない部分があったと思う。横についていた看護婦さんが、先生そこまでですなどといって制止していたのを記憶している。当時は、注射針も使い回しで針も換えずそのまま使っていた。まあそれで生き延びてきたのだから、幸運の星を背負ってきたと感謝すべきであろう。

 良く覚えていないのだが多分高校1年の時だった、ワクチンでひどい目にあったことがある。北九州市になっていたかどうかも不明だが、とにかく北九州にコレラ患者が発生した。市民が感染したのか、外国航路の船員の持ち込みであったのかも覚えていない。とにかく体育館で予防注射という名のワクチンを打たれた。教室に戻ると目の前の景色が回り始め、熱がぐんぐん上がってくるのを感じた。早退すると担任に告げ、帰り始めたのだが、とにかくまっすぐに歩けない。電信柱と壁を伝いながら、玄関に倒れ込んだのを覚えている。熱を計ると40,5℃あった。呼吸が苦しく吐き気があったので仰向きには寝られない、胎児のような格好で2日間寝ていた。途中、近所の医者に往診してもらったのだが、解熱剤をくれただけだった。でも吐き気が強く、熱が引くまで薬は飲めなかった。3日目にようやく起き上がったのだが、憔悴しきっていてやはりまっすぐ歩けなかったような記憶がある。ワクチンの副作用なんて欠片も考える事なく、なんか拾って食ったんだろうで終わった。

 それ以降、ワクチン接種は出来るだけ避けながら暮らしてきた。現在でもハウスダストで咳・クシャミ・呼吸困難を起こすし、花粉症も継続している。何度か接種したインフルエンザワクチンも、接種すると一月以上体調の悪化が続くのが常だった。従って、こうした抗原類には可能な限り近寄らない生活を続けてきたわけだ。さらに、聞きなれないアレルギー症状だが、遅発性の圧迫性アレルギーを持っている。重たいものを肩に担うと、数時間経って強い痒みとともに肩の筋肉が腫れてくる。もちろん肩だけではなく、圧迫があれば体のどの部分であっても同じ反応が起こる。小さめの靴下を履いた時など、ふくら脛の堪え難い痒みに悩まされるわけだ。このアレルギーが起こると、その状態が10時間くらい続くため、寝不足になるのが常である。皮膚科の友人から抗ヒスタミン剤を処方してもらってはいるのだが、余り効かない。夏ならば水風呂に入ると幾分楽になるが、冬はそういうわけには行かない。

 山に登るのは好きだったのだが、そういう訳で重いリュックを背負うような山行きは出来なかった。他の人と同行した山行きは3回のみ、そのうちの1回は韓国岳の登山口から少し行った所で硫化水素にやられて呼吸困難を起こし、動けなくなってしまった。こんなことは事前に説明しても分かってもらえない。分かってもらえるのは、迷惑をかけてしまった場合である。それはいやであるし、周りの人々も迷惑に思うに違いない。とすれば単独で最小限の荷物を持って、体調に異変があれば直ぐに中止するという選択肢を持った上で、近隣の山に登るしかなかった。まあ、ここでも少数派として行動するしかなかったという事である。

 そうした理由もあって、アレルギーやそれに連なる 書籍はかなり読んできた。研究においてもイムノアッセイをやっていたので、それなりの理解はしていた思う。しかしながら、抗原抗体反応の全貌理解しているとはとても言い難い。今でも抗原抗体反応は謎である。ニールス・イェルネのネットワーク仮説など、真剣に読んでいると脳のワーキングメモリーの不足に絶望したくなる程である。もう20年程前になるが、多田富男氏の書かれた「免疫の意味論」を読んだ。当時、私の中でもやもやしていた免疫学だが、この本のおかげでそれなりの整理ができた思っている。発行から時間が経ったため具体的な内容に少し古い記述がある事は仕方ないとしても、もし読まれていないのであれば入門書として読まる事をお勧めする。コロナウイルス感染症についても、その辺りから考え始める必要があると感じている。

 ここ数日、桑畑の剪定枝の片づけと富有柿の剪定を続けている。昨日、知り合いの柿農家の人が焚き火にあたりにきた。こんな時が質問するには良い機会である。私が剪定すると木が高くなってしまう。さらに残す成り枝の質が良くない。何が不味いのかを聞いたら、親切に教えてくれた。以前にも同じ事を尋ねた事があったのだが、その時は答えの意味が分からなかった。柿の剪定を初めて6年、今回話を聞くとよくわかる。実際に手を動かした経験は重要だなと改めて実感した。但し、分かったからといってすぐに実行できるものではない。まだまだ手探りの日々が続きそうだ。

 

 

 

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死都日本

 トンガでの噴火、大きなものでした。あの画像を見ていると、船も航空機もなかなか近づくのが難しそうな気がしています。首都のあるトンガタプ島の最大標高は海抜30m弱だと聞く。降り積もった火山灰と雨による大規模な土石流はないかもしれないが、積もった量によっては建物も多くが倒壊しているのではないだろうか。首都の標高が2m位しかないのに、最大波高20mの津波が襲っているなどという報道(何処まで信じていいのかは考慮中)を見ると、電気、ガス、水道を含め生活インフラは壊滅したに違いないだろう。携帯は太陽光パネルを使って充電すれば良いなどと云う楽観論は成立しない。今の所、出来るだけ早い救助活動が行われるのを望むしか出来る事はない。

 2011年の東北の大地震の時、具体的な金額は忘れたがこの国からも援助金が送られてきたのを記憶している。何とか恩返しをしたいものだ。最近、我が国はトンガからは大量のカボチャを輸入している。日本のカボチャが値上がりする?そんなチャチな話ではなく、トンガの復興をどう支援できるのか、彼の国民の生活基盤をどう再生するのかと云う課題である。しばらくの間の食料援助は当然としても、食糧の自給体制を構築する事が不可欠であろう。とはいえ、火山灰に覆われた農地の復興はなかなか難しい。大規模な客土の持ち込みは地理的に困難だと思う。火山灰の量によるが、そのまますき込んでしまうと肥料成分、特にリン酸の不足で植物の生長は非常に悪くなる。大規模な天地返しで火山灰を埋め込んでしまえば何とかなるかもしれないが、これには大型の重機が必要となる。

 火山噴火の規模を表す火山爆発指数(VEI)は、噴出物の量によって決定され、破局的噴火と分類される大規模噴火はVEI7から最大の8に相当する。今回の噴火については、VEI7に相当するのではという推測が出始めている。日本には今回の噴火を超えるような大噴火をした火山がいくつも存在する。ウィキペディアでも参考にしてもらえば良いのだが、日本の西南部で起こる可能性のある巨大噴火は、何度か日本全土を火山灰で覆い尽くした。今回の噴火に対する支援活動は、我が国で起こるかもしれない災害への対策を立てる上で、貴重な機会となる可能性を持つ。情けは人のためならず、こんな時なら、大型の土木機械をODAとして援助する事に異論はない。但し、機械操作、整備、燃料供給などを遂行できる人の教育を同時に行う事が条件だ。「富士山の噴火が迫る」とか「南海トラフ巨大地震、40年以内の発生確率「90%程度に引き上げ」などという物騒なニュースが流れ続けている昨今、今少し科学的素養をもち、時間的スパンを広げた視野をもった政治家が増える事を願っている。

 それにしても、噴火の映像は衝撃的なものでした。世界的な日照の減少と気温の低下が起こるかどうか、大いに気にしています。ピナツボ山の噴火が起こった1991年、米の作凶指数が95まで落ち込み、タイ米の緊急輸入が行われました。あの頃はまだ日本経済はそこそこ強かったため、買い負ける事はなかったのですが(買えなかった国では食料不足が起こっていた)、現在はどうなのでしょう。中国には間違いなく買い負けるでしょうね。大きな事はできないが、私も定期購入を続けている人達に滞りなく供給できるように作付け等考えて行く必要があるかもしれない。

参考1  https://www.jiji.com/jc/v8?id=202201tatsumieqvx              参考2  著者 石黒耀 発行日 2002年9月1日 発行元 講談社 ISBN 978-4-06-276195-6

 時々続報をみていますが、火山爆発指数(VEI)7には届かないようだ。被害は風向きの大きく左右されるし、噴煙の高さの報道もまだ混乱しているが、当初伝えられていたよりは少なそうだ。とはいえ、迅速な水と食料の支援は必要だ。

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ホルツハウゼン

 今年になって10日が経った。そろそろブログのアップをと思っているのだが、一旦中断したものを再び立ち上げるのは結構エネルギーが要る事に改めて気付いてしまった。継続は力というがその通りである。

 そうは言うものの特別怠惰に暮らしている訳ではない。毎日、近所の果樹園から貰ってきた剪定枝や切り倒した要らない樹木をひたすら集め、数年先の冬に向けた薪を作っている。本と本棚までは買う事が出来るが、本を収納しておく書斎までは作る余裕がないのと同じ事で、集めた木材から薪を作る所までは何とかやれるが薪を収納しておく薪棚と薪小屋にまでは手が届かない。薪棚は就農直後に頑張って大きなもの一つを作ってもらい、小型のもの四つを自作した。この五つの薪棚で収納できる薪は一年半分程度である。今年は早めにある程度の薪を手に入れたため、満杯の状態にある。問題は、残りの薪をどう保存するかだ。

 とにかく保存すべき薪はあるのだが収納場所がないという状況に陥った。まあ放り投げて積んでおくだけのバラ積みであれば、出来ない事はないのだが場所をとるし美しくない。古来、日本には井桁積みと呼ばれるやり方があった。これを何列か横に並べればなんとかなりそうだがやって見ると上手くいかない。だからといって、新たに薪棚を作るとなれば、出費だけでなく製作にかなりな時間をとられてしまう。さらに農機具小屋の内部に作ると、薪に機械類が追い出されて野ざらしになる。ということで、薪をうまく野積みするやり方について調べていたのである。

 ホルツハウゼンと呼ばれる薪の積み方がある。日本ではスイス積みと呼ばれる場合が多いようだが、デンマークやノルウェーで行われている場合が多いそうだ。ではなぜスイス積みと云われるのか理由は知らない。ただ、形を見てこれなら何とかいけるかもしれないと判断した。しかし問題が2つある。1つは乾燥が上手くいくかどうかと云う問題である。スイスやベルギーに比べ、この地方の降水量ははるかに多い。特に薪の上面を如何に処理すれば良いのか、作りながら考える事にする。2つ目の問題は薪の形にある。YouTubeで薪の積み方で検索して見てもらえば明らかなのだが、アップしてある映像で使われているのは形が揃った立派な薪である。広葉樹である白樺・楢・桜や樫、あるいは針葉樹である杉・檜・松など、原木を一定の長さに切り揃えて割ったものである。そうした大きさと長さの揃った薪であれば積むのは簡単、ホルツハウゼンなどと云う必要はなく、どうにでも積む事が出来る。

スイス積み 使っている薪割り機は私のものとほとんど同じ

 しかしながら、私の持っている薪は長さは40cm以下でバラバラ、割れ方も統一性を欠く個性豊かな薪である。それは好意で譲ってもらった剪定枝が原料であるから仕方がない。この個性豊かな薪を、ある程度の統一性を持たせながら積み上げるとすればホルツハウゼンにするしかないと判断したわけである。外側の円形の壁さえ丈夫に組めれば、内側にはいろんな形の薪を自由に入れられる。そして、その内側の薪がもたれ掛かる外側の薪を支える構造である。近所の知り合いからパレット2枚を借用し、15cmの厚みのブロック12枚と10cm角のブロック10枚を使って基礎を作り、見様見まねで作り始めた。

 作るホルツハウゼン、直系は2m,高さは2.5mを予定している。体積は約8㎥となる。昨日、霰の降る天気だったが、薪を軽トラに満載して3度運び込んだ。何とか円形の外周を作り、内側に不揃いな薪を積んで行ったのだが、途中でパレット上に置いた薪が滑り外側に膨れ始めた。摩擦が小さく内側から押し出す力に負けているらしい。杭を打ってこの滑りを止めるか、予定の高さを少し抑えるか思案中である。この積み方、いまひとつの名称が蜂の巣積みと云うらしい、確かにアシナガバチの巣が沢山作られそうな雰囲気である。今日、軽トラ一杯の原木の玉切りを終わらせた。明日割った後で積みに行く予定であるが、その時の写真を載せる事にしよう。

 新春とはいえ春は遠そうだ。外では鹿が鳴いている。今日から寒くなると云う予報が出ている。風邪に注意。

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