いらない装備と付録コロ

 さすがに所有している車が古くなった。何しろ、25万キロ以上を走っている。一昨年の12月頃だったか、買い替えようと思いあれこれとネットを彷徨ったあげく、マツダ車を買おうと決めた。この歳で大きな車はいらない、速い車もいらない、燃費が良く小回りが利くMT車という条件で探すと、MAZDA2が候補に上がってきた。なぜMT車か、走行速度から適切なギアの選定もできなくなったら車に乗るのは止めるべきだと思っているし、AT車やCVT車で感じるエンジンの回転数と車速のズレが嫌いだからである。坂道発進の楽しみが無くなるのもいやである。MTのMAZDA車、売れている車ではない。いつも少数派にとっては似合いかもしれない。いつも少数派と云うことをもう少し進めれば、ガソリン車ではなくディーゼル車になるなと考えた。そうすればカタログ値とはいえリッターあたり25Km 程度は走るし軽油はガソリンより少しばかり安い。

 あれこれ考えながら販売店に行った。車の販売店と云うところは、どこも明るくてきれいで必要以上に慇懃に扱ってくれる場所である。販売員の立ち居振る舞いも、訓練されているらしい。年中、きちんとした服装をした担当者が、標準語を使ってセールストークを繰り広げるのである。来店する客を考えれば、1人で200万円とか500万円とか、場合によってはそれ以上の買い物をする場合があるのだから、そうした対応は仕方ないだろう、とはいえ、私にとっては居心地の良い場所ではない。様付けで細々とした説明を標準語でなされると、だんだん背中が痒くなってくる。そうだった、接待言葉に対するアレルギーも持っていた。

 もういいよと言っても、最後まで説明は続く。義務なんだろう。そしてご試乗はという話になる。でもね、余り売れないMTのディーゼル車が試乗車としてあるはずもない。今回の話は横において、前回購入した時も同じ状況だった。「試乗は不要、市場で売られている車であれば、どんな車であっても乗りこなす自信はある。今回の購入する車に求めているのは燃費だけだ。燃費は試乗ではわからない。メーカーが出してくる「10モード燃費」に0.65倍すればほぼ実燃費になるだろう。それでいい。FFだろうとFRだろうと、通常走行時にその特性が露骨に現れるような設定はしていないだろう。緊急時の車の特性を知りたいと思えば、少々過酷な運転をしないといけないけど、試乗車でやっていいですか」と聞くと、それは困りますという。購入後、こんなはずではなかったというクレームが来ないようにという事だろうが、乗り味で文句は言わない。それが私のポリシーである。

 それにしても車が変に賢くなり過ぎた。この調子で行くと運転者のすることは居眠りくらいしか残らないかもしれない。先日聞いた話だが、自動ブレーキがついた車で、本当に止まるかどうか試してみたそうだ。本当に止まるかどうか不安だったのでフットブレーキに足を置いていたら、自動ブレーキが働かずに追突したという。メーカーに文句を言ったら、ブレーキに足を乗せた時点でドライバーがコントロールすると判断し、コンピュータは介入しない設定になっているという返事だったそうだ。ブレーキングの量が足りないからコンピュータが介入するのが安全装置ではないのかと思うのだが、そうではないらしい。

 オートのエアコンは使いにくい。タッチパネルを使うコントロールシステムなんて、よそ見をしなさいと言うようなものである。FM−AMラジオも選局システムがタッチパネルがインターフェイスとして使われていれば、強制よそ見装置である。視線を動かさずに使えるように工夫するのが進歩だと思うのだが私が古いのだろうか。オーディオとナビのシステムを付けようとすると必ずTVがついてくる。運転中にTVを見るの?と聞いたら、同乗者の人が見るためだそうである。我が家には20年近くTVはない。中華鍋をひっくり返したようなパラボラアンテナもない。当然NHKの人も来ないわけだ。でも、車にTVがついていれば受信契約をしなければならないらしい。今の車、ナビシステムにTVは付いていたが、アナログ設定の古いものでありスイッチを入れても雨が降るだけである。嬉しい事に義父から借りている車も同じくらい古いため、アナログでここでも雨が降っている。

 足踏みパーキングブレーキも嫌いだ。足踏み式では細かいコントロールがしにくい。そういうとパーキングブレーキはしっかり踏むものだと教えられるのだが、坂道発進をする場合はエンジンの回転数とそのトルクを感じながらパーキングブレーキを解除しなければならない。別に後輪を滑らせながらヘアピンカーブを回ろうとなどとは思わないが、適切な制動力を使いたいと思うときに使いにくい。後退防止のためにはヒルストップシステムが付いていますからなどと販売員は言うのだが、私には要らない機能である。AT車の売り上げが90%を超えた今日では、やはりこの愚痴も少数派のものである。ついでだ、キーレスエントリーも要らないな。昔ながらのキーシステムで十分。ドアミラーも視線が動き過ぎて不快である。安全安全と言うのであれば、大きめのミラーをフェンダーミラーとドアミラーの中間に設置したらどうだろう。見かけが悪いって、なにマスコミでこれが最新のスタイルです、皆様はこのタイプを選ばれますよと騒げば、8割以上の国民はすぐに同調するでしょう、日本人ならばね。

 そんなことより、フォグランプを標準装備してくれないかな。当地は一寸ばかり霧が多い、リアフォグも欲しいと思うがまあこれは我が侭だろう。それより2つほど役立ちそうなのに実用化されていないコンピュータも要らない簡単なものがある。1つはアクセルオンオフの表示灯である。リアにアクセルを踏んでいる時はグリーンのーライトを、アクセルオフの場合は黄色のライトを付けてくれないかなと思う。アクセルオフの場合の黄色のライトだけでも良い。車間距離を十分とればいいではないかとの反論もあるかと思うが、混雑している高速道路で車間を確保できない状況では有効ではないかと考える。いまひとつ、前輪がどちらを向いているかを示すメーター、通常は乗り込む前に確認するのだが、急いでいる時に思わぬ方向に発進する事を経験するし、バックする際に大きくハンドルを操作した後、前輪の向きがわからなくなる場合が発生する。

 最後にコロナワクチンの件だが、ようやく厚生省が「ワクチン接種後の健康被害や長期間の体調不良、ワクチン後遺症を訴える患者の声が相次いでいるため、患者が必要とする相談窓口を整備するよう全国の都道府県に通達した。」というニュースが、サンテレビで放送された。Too Late だとは思うものの一歩前進だ。ついでに、イベルメクチンもレムデシビルと同じ日に特例承認されているのだが、医者がこの事実を知らない場合が多い。通達文書を厚生労働省のサイトで探したが、探せなかった。ただ、新型コロナウィルス感染症診療の手引き第5・2版の薬物療法の中にはイベルメクチンが記載してあるので、医師の判断による保険診療が可能なはずだ。但し、効果はないと書いてある。読んでいる人が少ないこんなブログであっても書きにくくて書かずにいたが、近い将来にサッカー、ラグビー、マラソン、水泳、陸上競技など強度の運動を伴うスポーツは禁止になるのではないかと危惧していた。理由はご想像にお任せするが、次のようなニュースがでていた。

Insanity is the New Norm in the U.S. as Professional Sports Players can be Exempt from COVID Vaccine Mandates but Navy Seals Cannot – Vaccine Impact 

 こんなことばかり読んだり書いたりしていると気分が優れない。寝る前にはほっこりした気分になりたい。のび太の気分で寝る事にしよう。

 

 

 

カテゴリー: 新型コロナ感染症, 雑念雑話 | いらない装備と付録コロ はコメントを受け付けていません

疲れました・・・明日は休みいい雨だ

 ジャガイモの植え付けが終わった。ワケギとニンニクの草取りも終わった。柑橘類の剪定、カキの剪定、桑の剪定も終わった。雀の混群が分裂し、同種の仲間で行動するようになった。数日前、久しぶりに山雀の声を聞いた。四十雀よりも透き通った高音で、ツツピー・ツツピーと鳴く。麻の実を好物とする可愛い鳥である。野には春が漲っている。ハコベ、ホトケノザ、オオイヌノフグリ、ナズナなど、花を楽しむことなくタマネギ周りの雑草として抜いてはいるが、その花々はタマネギのものより可憐である。

 これから彼岸に向けて春野菜の種まきが続く。タキイ種苗、野口種苗、中原採種場、松永種苗、藤田種子さんなどいろいろな種屋さんのサイトを開き、今年はどれを植えようかと悩む時間は至福のひとときである。とはいえ、世の中は乱れに乱れている。先日とある会合に行ってきたのだが、マスクをした人ばかりだった。私は昨年の6月頃からマスク不要論者である。アメリカの50の州すべてでマスクの着用義務が解除されただけでなく、ヨーロッパ各国でもマスクを不必要とす国々が主流となり始めている。にもかかわらず、何で学問的裏付けのないマスクを同調強制するのか分からない。勿論、他の国々がそうしたから日本も追従せよとといっているのではない。きちんとした裏付けをとった後、自らの主体的判断で行動したらどうだと云っているだけである。ほんの数年前までは、サングラスとマスクを付けて銀行に行くと警備員が飛んできた。いまは素顔のままで銀行に入ると顔を隠して下さいとマスクを持った行員が飛んでくる。時代は変わったな。

 ワクチンを接種していない私は、もちろんいつもの少数派である。それが原因で差別(区別)されることには慣れた。私は私の学問的な知識と経験を基に、主体的に判断しただけのことである。少なくとも10年以上PCR という手法を使ってきたし、イムノアッセイも経験してきた。今回のコロナウィルス騒動で、カラクリの核心とも云うべき技術については、教科書的知識のみならず実践的なknow-howも身に付けているつもりである。私が納得できるようなPCRに関する説明、免疫学的説明、医学的説明がなされるのであれば、意見を変えることに異存はないのだが、残念ながらそうした理知的・論理的な説明を見聞きしたことはない。それどころか、経産省所管の研究所が分析調査したら、ワクチン接種をしない人の傾向として「女性、低学歴者、預貯金額の少ない人々、全般的な不安傾向がある人々、新型コロナへの恐怖の小さい人、うつ傾向のある人、痩せている人」という結果が出たなどという、未接種者を貶めるかのような報道が出る始末である。まあ執筆者を見れば、こういう内容になることは容易に予想できる。但し、経産省の研究所が委託したものであるからといって、その内容に関して経産省が責任を負う訳ではない。原報には{RIETIディスカッション・ペーパーは、専門論文の形式でまとめられた研究成果を公開し、活発な議論を喚起する事を目的としています。論文に述べられている見解は執筆者個人の責任で発表するものであり、所属する組織及び(独)経済産業研究所としての見解を示すものではありません。}と注釈が入れてあった。うむ、公務員としてはそうだろうな。

 それはそうとしてこのコロナ騒ぎ、よくよく振り返ってみれば私の思考様式を再確認するものであったようだ。私はアブシジン酸を考えるにあたり、カロテノイドと呼ばれる化合物群の歴史をたどり、どこか構造が似ているルヌラリン酸の歴史をたどって、その結節点を求め、さらにはフラボノイドと呼ばれる化合物群との分岐点を時系列の中に置くという常識から外れた布置の上で考察を行った。要するに歴史を重視する視座に依拠した訳である。同じく国際間で何か問題が起こった場合、少なくとも100年、場合によっては1000年でも2000年でも遡って考えることにしている。民族と宗教の問題はそういう深いところに重要な原因を潜ませている。一つの紛争、一つの戦争を単純化した善悪や損得で見るなど愚の骨頂であると考えている。コロナ騒ぎであっても、少なくとも1970年頃にローマクラブから出された「成長の限界」までは遡らないと、大枠は見えないだろう。さらに遡ると陰謀論と呼ばれる世界に入ってしまう。さて、損得で見てはいけないとは言うものの、損得は大事だな。この事件、この戦争、この政策、最終的には誰が儲かるのかという視点は、必須である。

 そんなふうに考え続けてきた結果、金太郎飴のような意見をもつことができなくなり、社会的にはいつも負け続ける「いつも少数派」として生きてきた。とはいえ、何人かの信頼してくれる仲間ができてきた。それで不満はない。

 

 

カテゴリー: 新型コロナ感染症, 新米農民の日々, 雑念雑話 | 疲れました・・・明日は休みいい雨だ はコメントを受け付けていません

演繹の射程

 一つの事象からどのような推論を導くかという問題において、一つの事象と推論を結ぶ糸の長さを射程と表現した。例えばだが、家に帰る途中でカレーの匂いがした。この事象からいくつもの推論を導くことができる。隣の家族はカレーライスが好きだから、隣の今日の夕食はそうに違いない。あるいは、隣の家族はカレーライスが好きではあるが昨日がそうだった。匂いも一寸弱い。カレーライスの夕食はわが家かな。カレーの匂いに詳しい人であれば、カレー粉の銘柄まで分かるかもしれないし、カレーの香り付けに詳しい人であれば、八角(大茴香)ガ使われていたが、成分としてシキミ酸が含まれているため鳥インフルエンザガはやった頃タミフルの原料として品薄になった時期があった、現在はシキミ酸の製造は発酵によって作られるので価格は落ち着いているだろう、などなど、いろいろと推論をするのが人と云う生き物らしい。いやいや下手な比喩である、株価が急に上がったー原因はなんだろうなどとしたほうが分かりやすそうな話が作れそうだ。(もっとも、株など買ったことがないので、私が作ったら話が破綻しそうだ)

 まあいいや、話を続けよう。風が吹くと桶屋が儲かるという諺を、真剣に「成程と受け取る」か、笑って「成程と受け取る」か「馬鹿馬鹿しい」と受け取るか、それは受け取る側の感受性の問題である。とはいえ、見方を変えれば受け取る側の思考の柔軟性を反映しているとも云える。私は馬鹿馬鹿しく思えても、ある事象から推論(結論)までの間にいくつものノード(結節点)がある推論群の方が面白い。ある事象から思い掛けないいくつもの推論を導く人の方が、物知りであり且つ演繹力に富んだ人であると思っているからだ。そうやって導かれる推論の中に正しくない推論が紛れ込むのは避けられない。しかしながら、正しいか正しくないかではなくそうした思考能力を評価しているのである。極めて真っ当な社会においては、そういう人は奇人変人、異端の人として扱われる場合が多いとはいえ、異常な社会情勢下においては役に立つ場合もある。半分自己弁護かな??

 またコロナ関連の話である。以前に一寸書いたが、新型コロナ用ワクチン擬に関する報道からどのような推論が導けるのか、いわゆる真っ当なではなく異常な社会情勢下ににあるという前提から見てみたい。

 などとノンビリ書いていたら、いきなりという訳ではないがロシアがウクライナに侵攻と云うニュースが飛び込んできた。困った。1991年のソビエト崩壊、私は大手新聞を丹念に読み比べる程度のナイーブで善良な市民だったため、その裏で動いていたお金の問題はほとんど知らなかった。その後、佐藤優氏の著作を始めとして十数冊の本を読んで、ある程度の知識は得ていた。大まかな枠組みを見れば、アメリカの諜報機関が常に裏側でしかけ続けてきたと云うのが事実だろう。またいつも少数派になってしまうのだが、プーチンが行動を起こさざるを得ないところまで追い込まれていたと云うのが実感である。私が中学2年であった1962年、共産化していたキューバにソビエトの核ミサイルが配備されるという事態に対し、アメリカが半狂乱になってこれを阻止した。今回はその逆バージョンである。2014年のオレンジ革命は見るからに胡散臭かったし、その後のウクライナの行動は是認できる範囲を超えていると思う。

 困ったことに、上記の判断を口に出すとお前は赤かと云う常套句が飛んでくる。困ったことである。政治であるから、少なくとも現状を可能な限り正確に認識した後で、いくつもの選択肢の中から実現可能な案を選ばなければならない。そのためには、少なくとも30年ほど前のロシアの崩壊まで考慮の範囲に入れるべきであると云っているだけである。国のトップは単に善悪の問題として判断するのではなく、国益(余り好きな言葉ではないが)つまり国民の生活を守るための判断をしなければならない。日本はアメリカの支配の下にいるのだからその自由度が制限されていることは間違いないにしても、そこに抜け穴を作るのが頭の良い官僚の仕事だろう。

 いつものことだが、マスコミはロシアが悪い、ウクライナ市民が可哀そうという感情論で報道を続けている。私もロシアを全面的に良いなどとは思わない。マスコミでは、いくつかの写真の使い回しや昔の写真を今回の紛争のものとして使用するなど、悪質な誘導報道も見られるようだ。さらにウクライナ政府は、引っ込めたとはいえ日本においても義勇兵の募集まで行った。この募集に応じた人がかなりの数に上ったのみならず、その中に元自衛官が多数含まれていたと云う報道を見てとても驚いた。自衛隊の中ではもう少し高いレベルでの政治教育がされていると思っていたからだ。今の自衛隊においては、仮想敵国として中国、ロシア、北朝鮮が考えられていると思う。近隣諸国はいつ敵になるかわからないというのが、国防においては基本的スタンスだと思っているからだ。さらにだが、朝鮮戦争時の韓国の行動や現在の反日的行動を見ると韓国も入っているかもしれないし、半導体の不足問題の元凶である台湾が含まれていてもおかしくはない。本来ならアメリカも入れるべきかもしれない。何しろ国内にすでに基地があるからである。

 それはそうと何故驚いたかと云えば、ウクライナの過去の行動にある。中国にスクラップと云う名目で航空母艦(防衛省はクズネツォフ級空母「遼寧」と呼び、現在正式に就役している)を売ったのはウクライナであった。安倍政権下でJアラートの発令試験により大騒ぎがあったのは記憶に新しいが、北朝鮮のミサイルのエンジンはウクライナ製であるというのが常識である。(ロシア製と云う可能性もなくはないが)とすれば、中国に空母を売り北朝鮮にミサイルのエンジンを売ってきたウクライナを、全マスコミがなんの疑いも持たずに揃って支援するのは何故だろう。誰か明快な理由があるのなら教えて下さい。

 NHKのサイトからの引用だが、「ロシアによるウクライナへの軍事侵攻をめぐって開かれていた国連総会の緊急特別会合で、ロシアを非難し、軍の即時撤退などを求める決議案が賛成多数で採択されました。決議案には欧米や日本など合わせて141か国が賛成し、ウクライナ情勢をめぐるロシアの国際的な孤立がいっそう際立つ形となりました。」と書いてある。我が家にはTVがないためリアルタイムで見た訳ではないが、ここだけを読めば世界中がロシアを批判しているのだなと思うだろう。でも、ロシア制裁に参加した国は32カ国に過ぎない。ロシアを非難し軍の即時撤退を求めた残りの109カ国は制裁には参加しなかった。形だけはアメリカを始めとする西欧諸国に同調したが、本音ではそうでもないのだろう。国際政治とはそういうものである。後ろに中国の影が伺えるとは言え、アメリカがやり続けてきた諸外国への内政干渉に対して、多くの国が距離をとり始めているように感じる。同時にこの紛争(戦争)の中で動いている人達、裏に隠れている人達の多くが、コロナ感染症のみならずそのワクチン擬に大きく関与していることを抜きにして判断するのは難しそうだ。

 昨日、ロシア制裁に参加した国は32カ国と書いたが、ウクライナへの軍事侵攻を受けた経済制裁への報復措置としてロシア政府は7日、米英や欧州連合(EU)など対立を続けてきた国のほか、日本や韓国、台湾など48の国・地域を含む「非友好国」とするリストを発表した。制裁に参加した国と非友好国とが同一であるかどうか分からないが、誤解を招いてはいけないので付記しておくことにする。

カテゴリー: 新型コロナ感染症, 雑念雑話 | 演繹の射程 はコメントを受け付けていません

老いたな

 少しばかり体調不良だなとは思いながらも普通通りの仕事を続けているのだが、今日は一寸ばかり違っていた。極めてプライベイトな野暮用で、午後から福岡市まで行ってきた。ついでに乗って行った車を旧家に置き、代わりの車に乗り換えて帰ってきたのだが、昔ずっと乗っていた車であったにも関わらずエアコンのスイッチの入れ方の記憶にない。外気温3℃、寒い中車を止めてあれこれと運転席周りのスイッチを探し、何とか暖房が効くようになった。何でこんな手順を忘れたのだろうと少々戸惑いながら乗っていたのだが、異変はこれで終わらなかった。

 都市高速の太宰府インターで3号線に降り、200号線へと乗り換えた。少し眠くなったいたのでどこかで休もうと思っていた。200号線の筑紫大橋を降りて県道の53号に乗り換え少し走ると左側にセブンイレブンがある。ここで車を止めた。眠気覚ましにと飲み物と菓子を買い、しばらく休んだ。睡魔は去ったので539号へと左折したのである。何度も走ったことのある走りなれた道なので、突き当たりのT字路で右折すれば良いとゆっくり走っていたのだが、いくら走ってもT字路が来ない、あるはずの386号線にでないのである。延々と見知らぬ道が続くだけである。因にこの車、25万キロ以上乗っていてナビのシステムは壊れている。

 おかしいなおかしいなと走っていたのだが、どこをどう走ったか記憶が定かではない。途中、制限速度を守ってノロノロと走るものだからハイビームの車に煽られ気味であったことは微かに覚えている。気がついたら旧386号線を超えて新しい386号線の上にいた。道がわからないので丁寧に乗っていたと思うのだが、何か違反でもしたのではないかとすごく不安である。とにかく30〜40分程の間、記憶が完全に飛んでいる。

 キツネかタヌキに化かされたのでなければ、小さな脳梗塞が起こったのだろう。簡単にいえば脳の老化だ。スバルの1000を皮切りに11台の車を乗り継ぎ、130万キロ以上を走ってきた。道に迷ったことは勿論あった。しかしそれは、知らない道で行けるはずという判断から行ったところが道が消えた場合であり、どこで曲がったのか記憶がなくなったりしたわけではない。今日の場合は、良く知った道でありながら、どの交差点で曲がったのか、何故曲がったのかの記憶が全くない。さらに、その後数十分間の記憶も定かではない。知っているはずの言葉が出てこない、知っているはずの人の名が出てこない、それは時々あった。人の名を忘れるなんて若い頃からあったので、余り気にしていなかったとはいえ、こんな経験をするといろいろと考えなければならなくなりそうだ。

 キツネかタヌキかカワウソかに化かされていたほうが良かったのかもしれないと、考え始めている。でもまあ、きっと誰もが通る道であることは間違いない。今後は暗くなったら車に乗らないようにしよう。

カテゴリー: 雑念雑話 | 老いたな はコメントを受け付けていません

現況報告

 いつの間にかこのブログを書き始めて8年くらい経つ。その間、何だか分からないコメントが山ほどはいったり、データが消えたりと、散々な目に遭ったこともある。一時はかなりの数のアクセスがあったのだが、いまは記事にタグを付けていないため読者はほとんど増えない状況が続いている。要するに常連の人が主にやって来ているということだ。他の人が書いているブログに、どの程度の人が訪れ、どれくらいの時間内容を読んでいるのかは知らないが、このサイトに関してはログ解析機能を付けているので一応の状況は見ることができる。

 誰がきているなどと云うプライバシーに関することではない。どんな時間に訪れているか、サイトにどれくらいの時間滞在するか、お気に入りボタンを押してくれたかどうかなどが分かるだけである。少し紹介したい。どの月を見ても余り変わりがないので、今月の分を示すことにする。

 見てもらえば分かるように一日十人程度しか来ない弱小ブログであることが分かる。タグを付ければと思わないでもないが、タグ付けで時間をとるより書いたほうが良いと、いまの所考えている。ただ、読まれているページ数は多いのではないだろうか。次は訪問する時間帯について、

 深夜、11時から午前3時台が多い。ここに来る多くの人は夜更かしが好きな人と云うことだろう。健康と寝不足による交通事故に注意しましょう。次はサイトでの滞在時間、

 1時間以上の滞在者が38.1%、30分から1時間の滞在者が11.8%と、これだけでほぼ50%を占める。ということは、訪れた方々は時間をかけて結構まじめに読んでいると考えて良いだろう。

 興味深いのは上のデータ、なんと訪問者の96.9%がお気に入りに追加したことになっている。本当だろうか。もし本当なら、訪問数がいま少し増えても良いのではと感じているのだが、気には入ったがそれほどでもないと云う事かな。

 地道に書き続けていれば、訪問者は少しづつ増えてゆきそうな手応えはある。でも、コロナの話ではなくもう少し生産的なことを書きたいと願っている。

カテゴリー: 雑念雑話 | 現況報告 はコメントを受け付けていません