老中会

 大学を卒業して52年、コロナ禍で開けずにいた50周年同窓会に出席してきた。浮羽には線状降水帯が居着いてしまい、二日前までは陸の孤島だったが。当日は何とか動けたので久しぶりの博多詣でである。

 52年というより半世紀余りと云ったほうがといったほうが雰囲気が出る氣がする。学科定員が40人でほぼ半数の出席だった。私の老化は着実に進んでいるらしく、貌を見ても誰であったか即座には分からない人が何人もいた。話し始めると昔のイメージがよみがえり、いまの貌の中に昔の貌が浮かんでくる。皆、変わったけど変わらないな。色々と話しながら、当時の苦い思い出もよみがえってくる。

 あの頃、私は小児喘息を引きずっていたため長時間の運動が出来なかった。インターバルを開ければ動けるのだが長距離を連続して走るのは全くダメ、それが原因で体育会系のクラブに入部することはなかった。山に登るのは好きだったが、いつ発作が起こるか分からず、ほぼいつも単独行、スライドショーで昔の山行きの写真が流れていたが何処にも私はいなかった。友人達が連れ立って九重山登っていた時、私は標高の低い宝満山・三郡山、四王寺山、古処山・屏山、浅間山・岳滅鬼山、英彦山から浅間山・岳滅鬼山などを彷徨っていたわけである。

 そんな事はどうでもよいとして、久しぶりの出会いは楽しかった。幹事をやってくれたM君と数人の方々に、改めて感謝である。さらに素晴らしい話ーF君が立派な賞を授与されたーもあって、会は盛り上がった。私は次の日に所要があって一次会で抜けたのだが、最後までいたかったな。

 一つだけ心残りがあるとすれば、この52年の間に亡くなった友人がいる。会の何処かで黙祷の時間を考えていたが、忘れてしまっていた。次回は忘れないようにしよう。

 さて、我々は後期高齢者という厚生労働省の官僚が名付けた、血も涙もないような名前で分類されるようになりつつあるのだが、この名前では前を向いて生きる気になれない。先はないよと冷酷にいわれているようで反発している。もし、このブログに出会った後期高齢者の方々、せめて名前だけでも反抗しようではないか。以前にこのブログの中で書いたかもしれないが、70~79歳を老中、80~84歳を筆頭老中、85~94歳を大老と呼ぶのはどうだろう。95歳以上をどう呼ぶか、神老ではどうだろう。少なくとも聞いて氣持ち明るくなる名を付けべきであると考えている。

 氣と気、顔と貌は意識的に使い分けています。本来の老中、大老に年齢の意味が含まれていないのも承知の上です。

 

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