何が言いたいのか。解糖系とTCA回路の意義付けが変われば、必然的にこの系路に含まれる物質群や関連している系路群の意味付けも変わってくるに違いない。そこが悩ましい。
まず簡単に、いわゆる解糖系とTCA回路の存在意義をまとめておく。いわゆる解糖系、常識に従えば嫌気的にブドウ糖を分解して2分子のATPを生産するとともに、ピルビン酸を通って2分子のアセチルCoAをTCA回路に供給する意義を持つ。送り込まれたアセチルCoAはTCA回路と電子伝達系を通る間に大量のATPが作られ、この作られたATPが生物の主要なエネルギー源であるという形での常識的理解だけでなく、送り込まれたアセチルCoAは2−ケトグルタル酸から分岐するグルタミン酸・グルタミンを通って各種アミノ酸・タンパク質のみならず核酸塩基の生合成系の原料としての大きな役割を果たしていると明記すべきであろう。
先に解糖系について書いた際に、ブドウ糖(グルコース)は解糖系から突き出した盲腸であると書いた。これが書きすぎであることはある程度理解している。解糖系についての研究が行われた時代背景を考えれば、人のエネルギー代謝を念頭に置いた解糖系研究であったことは明らかであろう。とすれば、経口的に取り込んだ食品中の炭水化物がブドウ糖まで消化された後、小腸から吸収されて血液にはいり体中のエネルギー源になるというストーリーとの相性は良い。だが、高血糖で少し困っている一人として考えれば、血液にはいったブドウ糖は、G-6-P、G-1-Pを経由してグリコーゲンとなり、肝臓や筋肉中に貯蔵される系路の重要性を無視できないのである。大まかな計算だが、肝細胞は食後直後に肝臓の重量の8 %程度(大人で100~120 g)までのグリコーゲンを蓄えることができる。この肝臓に蓄えられたグリコーゲンは他の臓器でも利用することができる。骨格筋中ではグリコーゲンは骨格筋重量の1-2 %程度の低い濃度でしか貯蔵できない。筋肉は、体重比で成人男性の42%、同女性の36%を占める。このため体格等にもよるが大人で300g程度のグリコーゲンを蓄えることができる。
人によるこの2種類のグリコーゲンの利用様式を見てみると、肝臓のグリコーゲンはグリコーゲンホスホリラーゼの作用を受けグルコース−1−リン酸となった後、ホスホグルコムターゼによりグルコース 6-リン酸へと転換される。このグルコース 6-リン酸はグルコース-6-ホスファターゼによって加水分解を受けブドウ糖に変えられ血流中に放出されたあと体内の細胞中で解糖系を通って利用される。(肝細胞においてはグルコース 6-リン酸の形で、そのまま解糖系へ導入されている。そもそもグルコース 6-リン酸がグルコース-6-ホスファターゼによってブドウ糖に変えられ血流中に放出されること自体がエネルギーの無駄遣いと言えないこともない)。筋肉細胞においては、グリコーゲンホスホリラーゼの触媒下にグルコース−1−リン酸となった後、ホスホグルコムターゼによりグルコース 6-リン酸へと転換される。ここまでは肝細胞の場合と同じだが、筋肉細胞にはグルコース-6-ホスファターゼが発現していないため、グルコース 6-リン酸がそのまま解糖系へと流入し代謝される。さて、消化・吸収されてグリコーゲンまでの代謝は糖新生系として捉えるとして、グリコーゲンから解糖系に流れ込むに際して、グルコースを経由する物質量よりグルコース−1−リン酸を経由する物質量の方が多そうに見えるところが悩ましい。
植物においては、糖新生系から生じるブドウ糖をそのままの形である程度含む例は、ブドウ、プルーン、バナナなどに限られさほど多くない。大多数の植物では光合成で生産された3単糖リン酸すなわち3−ホスホグリセリン酸の形でいわゆる解糖系と糖新生系へと流入するのだが、下流へと流れる3−ホスホグリセリン酸はブドウ糖などを経由する事なくTCA回路へと流れ込んでゆく。一方糖新生系を流れる3−ホスホグリセリン酸は、これまたブドウ糖を経由せずに、セルロース、デンプンなど多糖類という分類される化合物群へと変換されて行くのである。ここにおいてもブドウ糖の影は限りなく薄い。植物においては、ブドウ糖(グルコース)は解糖系から突き出した盲腸であるという言明が成立しそうだ。上のように考えると、動物のエネルギー代謝に於けるブドウ糖の存在意義についてはある程度認めるにしても、植物の代謝におけるブドウ糖の存在意義はかなり低下してしまいそうだ。(植物が分泌する蜜にはブドウ糖が高濃度に含まれる。この現象に関する考察は別途せざるを得ない。)
植物生理学を専門とする研究者達は、何故動物で確立された解糖系の図をそのまま使うのだろう。植物には動物における消化器と連動して働く肝臓はないし筋肉もない。植物は独立栄養生物であり動物は従属栄養生物である。生き方において全く異なった二種の生物のエネルギー代謝が異なっているのが当然だと思うのだが、世の常識はどうもそうではないらしい。解糖系・TCA回路の意義づけを物質生産側に少しばかり拡大し、動物と植物におけるをれらの糖代謝の異なる側面を考慮すると、今まで糖代謝の中心的位置にあるとするブドウ糖の存在意義が思い掛けなく薄くなってしまった。まあいいか、どうせ少数派の遠吠えとして扱われるだろう。だが、解糖系とTCA回路の存在意義の変更は、思い掛けないほど周辺の代謝系に影響を与えるのである。