降る降る詐偽とは言わないが

 農民とは天気予報に振り回される存在である。朝起きると天気予報を見る。午後1時頃から雨などという予報があると、朝は早めに仕事を始め、1時頃には上がるつもりで働く。ところが2時になっても3時になっても一滴も降らない。体力の配分を間違った事で、夕方には足が上がらない。普通なら、フカフカした畑の土は好ましく感じるのだが、こんな時疲れた足がめり込む畑の土は疎ましく感じる。土が悪いのではなくこちらが疲れて勝手に感じているだけである。

 ここ10日程の間に何回か雨の予報があったが土の表面さへ濡れない程度の雨しか降らなかった。6月とはいえ、ここまで晴れの日が続くと作物は水が不足する。何とか次の雨まで持たせようと300Lにタンクと動噴を軽トラの背中に積みこんで、水まきに走ることになる。ナスは水切れに弱い。樹勢が落ちると後のなりがすごく悪くなるため、何とかしようとあがいているわけである。さらにだが、農薬をまく場合、雨の前に撒くのが常道だと聞く。雨が降る時には風も吹く。風で煽られて葉っぱに傷がつき、その傷に病原菌を含んだ雨の飛沫がかかるからだという。雨の前の薬剤散布は予防散布であり、雨の後の薬剤散布は治療散布ということになる。でも、雨の度に薬を2回も撒くはずもなく、病気になった葉っぱは切り取るようにしている。

 白いゴーヤの初収穫が昨日だった。去年は8月1日が初出荷だったので、ひと月ほど早い収穫である。理由はわからないが、すべての作物が半月から一月ほど収穫期が早まっているようだ。残念だが、出荷に必要な申請書の提出が遅れていたため、出荷は出来ない。自家消費するには多すぎたので、近所の人のお裾分けした。明日も採れるかもしれない。どうしよう。この季節、することは同じで、唯々草刈りである。無我の境地で草刈り三昧と洒落込みたいのだがそうもいかない。さらにこの時期、草刈り中にオオアワガエリだと思うのだが、イネ科の植物の花粉による花粉症を発症することが多い。草を切っている時はまだ良いのだが、その後がいけない。コロナコロナの世の中では、人中でのクシャミと鼻水はご法度である。従って、草刈りをした日、時には次の日まで人には会わないように心がけている。なんとも暮らしにくい世の中になったものだ。

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