ABA 沈思黙考 1

 「上陸を果たし、維管束植物への歩みを始めた原始陸生植物は、持っていたスチルベンシンターゼをカルコンシンターゼへと進化させた。」と書いた。これもよく考えてみればリスキーな表現である。一般に植物という生き物は、それほど軽薄な生き物ではない。彼らのゲノムを見ると、同義遺伝子が極めて多数存在している。ルヌラリン酸が生育抑制型の生長調整物質であり、この調節機構が必須であるならば、遺伝子の重複、あるいはゲノムの倍加を通して複数の遺伝子を獲得し、いくつも存在するSTSの一部をCHSへと進化させれば良いではないか。何故に、スチルベノイドが消失するような変異が、一挙に全ての遺伝子群に起こったのか、それは有り得ないだろうとする反論があっても良い。いや、あってしかるべきであろう。私だってそう考える。

 ところが、面白い事実がある。ゼニゴケのゲノムサイズは約280Mbと特別小さいわけではないが、遺伝子数が少なく遺伝子の冗長性が少ない特徴があるとの報告がなされている。確かに調べてみるとCHS/STSに対しては2種の配列があるだけである。アラビドプシス(シロイヌナズナ)であれば24種の配列が、ヨーロッパブドウ(Vitis vinifera)であれば34本の配列が、予想配列まで加えると71本の配列が存在する。

 上記の結果を加味して考えれば、どうやら、遺伝子数の少ないゼニゴケ様の原始陸生植物の段階で、CHS からSTSへの変化が起こったと考えられる。これが、いくつかの例外を除くと、高等植物はスチルベンシンターゼを持っていないことの説明になるのだろう。マツ科、ブドウ科、マメ科植物の一部など、例外的にSTSを持つ植物においては、CHS遺伝子が何回かの重複やゲノムの倍加を行ったあと、一部のCHS遺伝子に復帰変異あるいは機能の先祖返りを起こす進化が起こり、STSが再度出現したようだ。

 さて、繰り返しになるようだが、後に高等植物へと進化する原始植物はSTSからCHSへの進化に伴ってフラボノイド類の合成能力を獲得した。これは太陽光に含まれる紫外線への抵抗性を増強し陸上へ進出するために必要な防御能力を獲得したことと同義である。しかし、この進化は、内生の生長調整物質であるルヌラリン酸の生合成能を失うことを意味する。水中にいたときに比べ、重力、乾燥、高酸素分圧、さらに高強度の可視光線と紫外線など、ストレスの高い新たな生態域に進出した植物が、ストレス耐性に関与する内生生長調整物質の生合成系を失うとは考えにくい。

 つまり、スチルベン合成系を失った原始植物は、ルヌラリン酸に替わる内生生長調整物質を前もって用意しておかねばならなかっただろう。現代の高等植物がアブシジン酸を抗ストレス性生長調節物質として使っているならば、まさにこの時点でルヌラリン酸からアブシジン酸へのリガンドの変更があったと考えるのが妥当であろう。ただ、そう考えるためには、きちんとしたアブシジン酸生合成と生分解のメカニズムが成立している必要がある。ルヌラリン酸からアブシジン酸への移行が円滑に進んだ理由を少し真面目に考えてみよう。ふう、ようやくアブシジン酸に話が戻ってきた気がする。

「アブシジン酸代謝に関して、そんな制御メカニズムが初めから用意されているはずはない」と考えれば、この乗り換え仮説は否定するしかない。確かに、何人かの研究者に断定的に否定されたことがある。否定されてもかまわないが、否定するのであれば、その理由とこの考え方を超える包括的解釈を示すべきであろう。

 何人かの人に、「面白いね、でも証明が難しいね」と、まあお話として認められたこともある。この評価は最悪、否定されるよりもっと悪い。科学は証拠に立脚した正しいものでなければならないというドグマに染まってしまい、科学とは想像力を駆使するものであることを忘れ去った所からの評価である。間違った仮説であっても、時として正しい理論構築の礎となるのである。量子論や宇宙論を一寸でもかじれば、最先端の仮説の殆ど全てが、こういう仮定を導入すれば、この現象の説明ができるという話ばかりではないか。ダークマターしかり、タキオンしかり、超弦理論しかり、大統一理論だってそんなものであろう。(こんなことを書いて、お前は理解しているのかと聞かれると、それは辛い。理解するどころか、学問の入り口にさえ立っていない。お話レベルで概念を知っているだけである。)そのレベルでの発言ではあるが、陽子であっても崩壊するのかしないのか分かっていない。崩壊しないとすれば標準理論が、崩壊するのであれば大統一理論が成立すると聞く。

 つまり「我々が観測できる世界から推測すると、その根源にはこんな世界があるはずだ」という言明は、科学である。そこにエビデンス、エビデンスと原理主義的実証主義を持ち込むことは、科学における楽しさを否定し、創造性を毀損してしまうことにつながってしまうのではないか。

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