ABA 沈思黙考 2

 さて、地球の歴史を見たとき、大気中の酸素濃度は22±2億年ほど前に1度目の急激な上昇を起こしたという。それまで現在の酸素濃度の10万分の1以下だった酸素が、現在の100分の1程度まで急上昇した。酸素を基質とする酸化酵素、酸素添加酵素の出現は、この「大酸化イベント」と呼ばれる大気中の酸素濃度の上昇に対応する生物側の反応であった考えて良い。

  アブシジン酸の生合成に部分で書いたが、ステロイドの生合成は27億年程前まで遡るようだ。ステロイドの生合成がスクアレンモノオキシゲナーゼによるスクアレン分子のエポキシ化反応であることを考慮すれば、オキシゲナーゼ即ち酸素添加酵素の歴史は、少なくとも酸素濃度のジャンプ時期に5億年ほど先行することになる。思うに、ストロマトライトつまりシアノバクテリアが作るマットの中で、活性酸素だけでなく酸素自身の消去を含め、酸素に由来する毒性を軽減するために、種々の反応群が試されていたのであろう。アブシジン酸の生合成では、β-カロテンからクリプトキサンチンへの反応が、酸素添加酵素によって起こる最初の反応である。従って、シアノバクテリアにおけるこの反応の開始を25億年程度昔であると措定しても、大きくは間違わないであろう。このβ-カロテンからアブシジン酸までの6段階に及ぶオキシゲナーゼが関与する酸化反応と1段階の基質レベルでの酸化反応が完成するのにどれくらいの時間がかかったのかについて、正しく推定することは難しい。とはいえ、アブシジン酸が緑藻だけではなく紅藻類にも褐藻類にも存在することから、これら藻類が分岐する前の段階で生合成系が成立していたと考えてよいだろう。

 ここで雑談、以前一度書いたような気もするが、現在ではCYPすなわち酸素添加酵素は薬物代謝酵素として考えられるようだ。しかし、この考え方は間違っていると思う。なぜか?

 またもや薬学会のホームページから「薬物代謝」の第一相反応の部分を引用する。そこには次のように書いてある。

【薬物、毒物などの生体外物質(Xenobiotics、異物)の代謝反応の総称であり、対象物質の親水性を高め分解・排出しやすくすることが多い。これらを行う酵素を薬物代謝酵素といい、主に肝細胞内にあるミクロソームで行われる。医薬品の効き目や副作用の個人差、複数の薬の間での相互作用などに大きく関わる過程である。不要となった生体内活性物質(ステロイドホルモン、甲状腺ホルモン、胆汁酸、ビリルビンなど)の分解も含まれる。生体に対する作用を軽減することが多いが、代謝によって薬理活性を発揮する場合(プロドラッグ)や、生体にとって毒性の高い化合物に変換される場合もある。多くの発がん物質は、それ自体ではなく代謝された生成物が発がん性を示している。薬物代謝は、第1相および第2相の反応に分類される。 第1相反応では、対象物質の分子量は大きく変化しないか、あるいは分解により低減化する。エステルなどの加水分解、シトクロムP450(CYP)による酸化反応、還元反応などがある。CYPによる酸化反応は特に重要で、CYP酵素は生物種ごとに数十種あり、それぞれ基質特異性が異なる。CYPのことを限定して薬物代謝酵素と呼ぶ場合もある。CYP酵素は薬物などの投与により発現誘導されたり、薬物に阻害されたりすることがあり、薬物相互作用の原因となる事が多い。】

 さて、少し内容をまとめてみよう。「薬物代謝酵素が反応することで、薬物の毒性は増えたり減ったりする。多くの発がん物質は、薬物代謝酵素により代謝されて生じた代謝物に発がん性がある。代謝によって、薬物の分子量は大きく変化しないか、低減化する。薬物代謝酵素の代表とも言えるCYPは、薬物によって発現が誘導されたり阻害されたりする。」

 定義ではなく用語解説であるから、これで良いのかもしれないが、何を言っているのか皆目分からない。知識のあるヒトは、それぞれの項に対応する個別の事象を思い浮かべながら何とかごまかして読むことができるのかもしれない。しかし、一般の人向けの用語解説としては分かりにくいという以上に、支離滅裂であると言わざるを得ない。

 我々が服用する薬物のみならず、食物に由来する毒物や食物と共に摂取する残留農薬、呼吸時に取り込む環境汚染物質などは、薬物代謝酵素と呼ばれる酵素群によって代謝を受ける。そこで起こる反応には加水分解反応、還元反応、酸化反応、酸素添加反応などいくつかの種類が存在する。ここまでの議論の進め方に厳しく反論することはないが、我々が食べる毒物はきわめて多岐にわたる。その一つ一つに○○分解毒酵素などというものがあるという前提あるいは決めつけは間違いだと考える。例えば、加水分解酵素、これには多くの基質の異なる酵素群が存在するだけではなく、その酵素の一つ一つに複数のアイソザイムが存在する。中には何を基質にしているのかいまだに知られていないものも存在し、それらは non-specific esterase と呼ばれている。つまり、体内に存在する加水分解酵素のなかで、ある植物の毒成分を加水分解できる酵素を解毒酵素として読んでいるだけに過ぎない。こうした薬物代謝は既存の酵素の基質特異性の甘さに依存しているわけである。

 もう少し、世の中で云われていないことを指摘するとすれば、加水分解酵素の反応を考えるに当たって、どんな酵素においても共通して働いているにもかかわらず、意識されない基質は水である。水分子が水分子が形成するクラスターの末端で水素イオンと水酸化物イオンとして働き、一般的に基質といわれている物質と反応しているのである。加水分解酵素、すなわち水によって基質を分解する機能を持つ酵素であると命名されているにもかかわらず、反応の中で主体的に動いている水をほとんど無視する形で説明していると思う。こう書くと屁理屈だといわれる場合が多いのだが、次の例を見れば少しばかり納得してもらえるかもしれない。

 酸素添加反応を行うオキシゲナーゼについても、もう少し違った視点から考えるべきだと思う。以前はP450と呼ばれていた酵素だが、現在はCYP(Cytochromes P450 )と呼ばれることが多いこの酵素は、酸素添加を受ける基質群に基づいて分類されている。亜群で7群、分子種レベルでは11種があり、個別の酵素の総数などとても数えきれない。しかし、この分類法は間違っているとまでは云わないが、この酵素の本質を見間違えた分類だと思う。何故そう考えるのか。私見だが、CYPの役割は、酸素濃度の上昇に伴う活性酸素量の増加に対して、活性酸素の原料である酸素分子そのものを消去するのが本来の役割である考える。酸素分子を引き受ける分子としては、酸素と結合する能力を持っていれば何でも良かった、とにかく急激な酸素濃度の上昇期を生きのびるためには酸素分子そのものをクエンチする必要があったのである。私から見ればCYPの本来の基質は酸素分子であり、一般的に基質といわれている物質群は、薬物代謝酵素によって活性化された酸素分子と結合して、酸素分子そのものを消去するための分子に過ぎない、こう考えると一般的に認められているCYPの酸素ではない基質に対する特異性の広さ・甘さと酸素という基質に対する厳しい特異性が矛盾なく説明できると思うのだが?

 と、ある会合で発言したことがある。無駄だった。

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