天気は良い、空気も旨い、水も良い、飯は旨い。育てている作物にちょっと以上に害虫といわれる虫が集っていることが悩みの種である。さて、私は高齢者と呼ばれる区分に分類される生き物らしいのだが、高齢者とはいくつからなのか改めて考えたことはなかった。
高齢化率と呼ばれる数値がある。これはある国家を構成する国民の中で高齢者が占める割合をいい、7%超で「高齢化社会」、14%超で「高齢社会」、21%超になると「超高齢社会」としているようだ。では高齢者とは何歳からを意味するのか。上記の高齢化率は、国連やWHOが定義したとされているようだが、困ったことに国連は「国連として高齢者や高齢化の定義はしていない」としているし、WHOも「WHOが定義したものではない」と云っているらしい。高齢化を定義せずして高齢化率を決める。おかしな話だが、国際的に広く用いられているのは六十五歳以上の人口に占める割合である。総務省の人口推計でも六十五歳以上を「老年人口」とする区分が用いられている。
分類は分類として、社会政策の策定や施行に必要だとは思うが、高齢者、後期高齢者、終期高齢者、末期高齢者、超高齢者などあまり響きが良くないものばかりである。ボケを認知症に言い換えても実態は何も換わらないように、高齢者をシルバーなどと言い換えてもらっても鬱陶しいだけである。末期高齢者などという言い方は、棺桶に片足突っ込んでいると云うより、棺桶から片足だけが出ているような響きを持っている。
このブログを読まれている人の年齢構成は分からないが、高年齢者雇用安定法における高齢者の定義は、「55歳以上のものを言う」となっている。この法律で高年齢者等という表現においては、「高年齢者と45歳から54歳までの中高年齢者を指す」ことになっているようだ。つまり中高年齢者とは、中年齢者と高年齢者の集合ではなく、中程度に高齢の45歳から54歳までの人をさすらしい。言葉のバランスを考えると、低高年齢者というのがあっても良さそうだ。35歳から44歳までになるのだろうか?
55歳から高年齢者に分類されるとはいえ、老齢年金は65歳から、しかし、これを70歳、或いは75歳からの支給にしようなどという話が流れている。逃げ水みたいなものである。
私に関しては、ただの老人か老体で結構、おかしくなったらボケと評価して頂いてよい。いまは老年の真っ只中、「老中」であると自称している。ご老中と呼ばれればニンマリするかも知れない。(昔の老中はもう少し若かったな。幕末の阿部正弘は25歳で老中に就任したと書いてあった。)もう少し年を取ったら、「老中首座」を経て「大老」を襲名する予定である。