最初に宣言しておくが、キサントフィルサイクルはどうにもわからない。このわからなさが実に魅力的であるため、この系について考え続けていたら20年近い時間が過ぎ去っていた。下手の考え休むに似たりとは言え、長い間愚直に考え続けると、関連するいろんな知識が積み上がってくることは間違いない。この場を借りて、少し整理をすることにする。
そこでキサントフィルサイクル、またもやKEGGサイトから一部を切り取り、一寸だけ細工した図を載せることにする。
この図において黄色い四角で囲った部分がキサントフィルサイクルと呼ばれている部分である。図を見ると、ゼアキサンチン-アンテラキサンチン-ビオラキサンチンの間で、光強度に依存して系が回っているように見えるのだが、さてこの系をわざわざキサントフィルサイクルとして切り取り、その意義を問う行為の原点は何処にあるのだろう。多分だが注釈抜きにこの図をみせれば、多くの研究者はアブシジン酸生合成経路の一部としてみるのではないだろうか。私のような変人には β-カロテンの分解経路の一部であるようにも見える。この現象は、我々がある既知の枠組みの中で物事を位置づけようとする無意識の傾向を示しているようだ。
アブシジン酸に関するブログを書いていた時、このサイクルに触れようかと思ったのだが、余りにも論旨が錯綜してしまうと思い素知らぬ顔で通り過ぎてきた。この系をアブシジン酸の生合成系の一部とする認識の下で理解しようとした場合、どこかに矛盾がありそうで嘘っぽい説明にならざるを得ないからである。次の図を見てほしい。
キサントフィルサイクルの前後を構造式まで含めて描いたものである。先ほど述べたように、緑の枠内だけを独立させて考える枠組みがどういうものであるのか、私にはさっぱり分からない。同じく、これをアブシジン酸生合成系の一部とみた場合、強光下においてアブシジン酸生合成が逆行しているように見えるのである。通常の理解では強光は高温とセットである。そのような状況においては、アブシジン酸生合成は促進されるべきであろう。ところが、強光下においては、ビオラキサンチンからゼアキサンチンへと向かう代謝が促進されゼアキサンチンからビオラキサンチンへの代謝は低下するのである。(勿論強光下においては、光合成が昂進するので酸素分子の生産が高まると同時に二酸化炭素の需要が増えるため、気孔を開けるべきであるとする考え方も十分にロジカルではあるが、植物は水を失うわけにはいかない。アブシジン酸生合成系を欠く植物は萎凋しやすく、水不足の状況ではすぐに枯死することを考えると、植物は水分保持を優先するベクトルの下で動いている。)
さて、これらの一見すると矛盾しそうな状況をなんとか整理できる考え方はあるのだろうか。もっとも一般的な説明は、ゼアキサンチンとビオラキサンチンの性質の違いに依拠するものである。ビオラキサンチンはアンテナ色素として機能するのだが、ゼアキサンチンは、クロロフィルへエネルギーを渡すアンテナ色素としてはほとんど機能せず、励起状態にある三重項クロロフィルからエネルギーを受け取りそれを熱として捨てる役割を持つ。アンテラキサンチンは両者の中間的な性質を持つという。つまり、光が強すぎてエネルギーが過剰な場合にはゼアキサンチンを作る方向に、光が弱くてエネルギーが欲しい状況ではビオラキサンチンを作る方向に反応を進めることで、エネルギーが余る時にはそれを熱に変え、エネルギーが不足する時には、光合成を促進するという非常に合理的な反応系であるとする考え方である。この説明はとてもわかりやすく、二種の変換酵素の活性変化は光合成に伴ってチラコイド膜の内外に生じるpH勾配によると言われれば、一瞬どころか10年くらい納得してしまいそうだ。但し、ABAの生合成に必要なビオラキサンチンが十分に備蓄されていることが条件になるだろう。
上記の説明は、ある程度成立するかもしれないと思えないこともないのだが、少し違った解釈ができるかもしれない。我々がこうした代謝系を眺めて何らかの解釈をなそうとするとき、思わず落ち込んでしまう陥穽がある。それは酵素の基質特異性を過大評価してしまうことである。酵素化学の初期に成立した酵素の基質特異性の概念は、有機化学における触媒と比較して考えられた故に、余りにも過大評価され続けてきたように思う。いま一つは、記述式の試験問題として出題しやすい概念であったが故に、大多数の学生が「酵素は基質特異性が高い」、「酵素には反応特異性がある」という思い込みで回答を書き、単位を取得し続けてきたことも原因だろう。
これは批判ではなく歴史的事実である。私もそう教わり、一時はそう信じ、そういう解答を書いた。私の中でこの概念が壊れたのは、農薬の中でアセチルコリンエステラーゼ阻害剤の一覧を見たときである。有機リン系の化合物と、フィゾスチグミンをモデルとしたカーバメート系の化合物をあわせて百種類を越える構造式が羅列してある書籍を見て、その呪縛から解放された。酵素の基質特異性は大したことはない。酵素なんて容易に騙すことができるとする視座から見れば、農薬だけではなく医薬であっても、代謝阻害剤の多くが本来の基質のミミックである。酵素を似て有らざるもので騙しているのである。要するに基質の反応する部位が酵素の活性部位になんとかはまるものであれば、そこからある程度離れたところの構造には大きな自由度が存在する。(勿論、例外の存在を否定するわけではない)
そこで先ほどの図をもう一度見てほしいのだが、ゼアキサンチンからアンテラキサンチンを通ってビオラキサンチンへ向かう系で働く酵素はあまりよくわかっていないzeaxanthin epoxidase [EC:1.14.13.90]であり、ビオラキサンチンからアンテラキサンチンを通ってゼアキサンチンになる系で働く酵素はviolaxanthin de-epoxidase [EC:1.23.5.1]である。アンテラキサンチンをわざわざ書くから大層なサイクル(回路)に見えるが、ビオラキサンチンとゼアキサンチンが行ったり来たりしていると考えて良い。アンテラキサンチンは単なる反応中間体として捉えることが可能だろう。つまり同じ酵素が2つの段階を触媒しているのである。少々長めの炭素鎖の両端に同じものがついているのだから、そうであってもさほど不思議ではない。さてこの二つの酵素だが、キサントフィルサイクルを構成している化合物以外のものを基質として認識することはないのだろうか。
余り知られていないが、次に示すような良く似たいくつかの系が存在する。ルテインエポキシドサイクルと呼ばれるlutein とlutein-5,6-epoxide の間起こる相互変換系、β-クリプトキサンチンサイクルという名があるかどうか知らないがβ-cryptoxanthinとβ-cryptoxanthin-5,6-epoxide間で起こる相互変換系、Phaeodactylum tricornutumと呼ばれる珪藻に存在するdiadinoxanthin cycle、そしてβ-carotenとbeta-caroten-5,6-opoxide間に存在する相互変換系もあるらしい。下に図を示す。
ひょっとすると、β-ヨノン環を持つ他のテルペンにおいても、このような変換系があるかもしれない。これらの系でエポキシ化で働く酵素がゼアチンエポキシ化酵素であるかどうかはわかっていない例が多いが、脱エポキシ化酵素はゼアチン脱エポキシ化酵素である場合が多い。その時、いわゆるキサントフィルサイクルで行われた説明ーエポキシ化物とでエポキシ化物の補助色素としての合理的機能変化—は、これらの系においても成立するのだろうか?この説明が成立するためには、それぞれのサイクルらしきものにおいて、通常はエポキシ体が沢山存在し光照射に伴い脱エポキシ体が形成されるという現象が見られなければならないだろう。しかしながら、植物中のカロテノイド含量を測った Delia B. Rodriguez-Amaya, A GUIDE TO CAROTENOID ANALYSIS IN FOODS(http://www.beauty-review.nl/wp-content/uploads/2014/11/A-guide-to-carotenoid-analysis-in-foods.pdf pp 6-9)の結果を見てみると、エポキシ体の方が量が多く脱エポキシ体の方が量が少ないのはゼアチン-ビオラキサンチンの場合だけである。その他の場合においては、脱エポキシ体である β-カロテン、β-クリプトキサンチン、ルテインの存在は検出されているが、対応する5,6-エポキシドは検出されていないようだ。この事実をいかに説明するか、更にエポキシ体と脱エポキシ体の持つ補助色素としての性質は先の仮説に適合するのか、これは問題提起である。
いま一つの疑問は、ゼアチンエポキシ化酵素についてのものである。ゼアチン脱エポキシ化酵素についての研究がたくさん行われているのに比して、このエポキシ化酵素についての研究例は余り多くない。Clemens Reinholdらの研究によれば、シロイヌナズナのこの酵素活性は光照射によって10分の1程度まで低下するという。(Biochimica et Biophysica Acta (BBA) – Bioenergetics, 1777, 462–469, 2008)どうも分からないのだが、そうするとこのキサントフィルサイクルは二つの酵素が同時に駆動する、サイクル《回路)と呼ばれるに値するような循環反応を行っているのではなさそうである。更にだが、この酵素反応で消費される補酵素はNADPH+H+、いま一つの基質は分子状酸素である。とすればこれらは光照射を受けた葉緑体内部で増えてくる成分である。高照射によって基質と補酵素の濃度が増えるにもかかわらず酵素反応速度が落ちる、pHという反応速度を制御する別の要因があるとは言え、この速度低下もなかなか腑に落ちない。(https://library.naist.jp/mylimedio/dllimedio/showpdf2.cgi/DLPDFR006609_P1-104)この酵素の活性が落ちると、ABAの生合成に連なるビオラキサンチンの生合成が低下するではないか。もっとも、先述したようにビオラキサンチンの備蓄量が十二分にあればこの疑問はいらない。
脱エポキシ酵素についても、同じようなもやもやがある。この酵素はアスコルビン酸をいま一つの基質として使用する。脱エポキシ化に伴ってこのアスコルビン酸はデヒドロアスコルビン酸へと酸化されるのだが、光照射時に発生する活性酸素類の消去にアスコルビン酸は大きな役割を果たしている。ということは、活性酸素発生を抑制する系と発生した活性酸素を処理する系が、アスコルビン酸を奪い合う現象が起きていることになる。
ずっと理解できなかったことをグダグダと書いて、一寸疲れたようだ。上記の議論で欠けているのは、各成分の定量的な把握をせずに進めている点にあるだろう。とはいえ、そこまで突き詰めるのは研究から手を引いた私にとっていささか以上難しいことである。誰か、快刀乱麻を断つがごとき説明をしてくれないかなあ。期待はするが、余程のこじつけをしない限り、これはお金にならない研究にしかなり得ない。時代の価値観が変わるまで待たざるを得ないだろう。
さて物事を見るときに、より近くからより正確に見ようとする立場と、一旦距離を取ることで全貌を把握しようとする立場がある。大きな川が流れているとき、水全体のベクトルは下流に向かっているにしても、必ず逆流している極小部分が存在する。そこに意味を求めることに意味があるのか。私の視座に立てば、植物という光合成生物の中では、過去のある時点で活性酸素だけでなく酸素分子の消去が行われ始めたようにみえる。ほとんどの代謝系が、ある時点から一斉に酸化を中心にした代謝に切り替わっているからである。一例だが、このブログのアブシジン酸生合成 11に書いたように、19段階に及ぶアブシジン酸の生合成において、前半 β-carotenまでの11段階の反応は酸素が関与しない反応であるのに、後半の8段階の中で6段階はオキシゲナーゼが関与する酸化反応である。私はこの現象を「酸素添加による代謝物の爆発的多様化(Oxygenative Burst of Metabolites)」と定義している。活性酸素の原料となる酸素分子を消去するこの「Oxygenative Burst」はほとんどすべての二次代謝においてみられるものであり、植物体内で代謝の本流を形成している。この「Oxygenative Burst」が、植物という生物が膨大な二次代謝物と呼ばれるライブラリーを形成する理由であるとする仮説 (Oxygenative Burst Hypothesis)を提案しているわけだ。
上記の理解の下で考えると、酸素分子の消去を目的とする代謝の大河の中に、時としてこの流れに逆抗する小さな代謝が発生する。水や空気の流れに伴って発生する渦のようなものであろう。いわゆるキサントフィルサイクルを流れる物質量は、テルペンやリグニンに向かって流れている本流の流量とは比較にならないほど微量であることから、キサントフィルサイクルを流れの中に発生する小さな渦の一つとして軽く流しておく捉え方も一つの答えではないだろうか。
北朝鮮が核実験をした。地下核実験であるから放射性物質はほとんど漏れないとは言うが、ニュースでは漏れた場合の拡散のシミュレーション結果が報道されていた。この拡散のシミュレーションをしたソフトは何だったのだろう。まさか、国内での使用は止めることにしたSPEEDIでは。いらないことでした。
過剰と蕩尽 27 に続く