書く気がしない

 近頃ブログを書く気がしなかった。原因は政治にある。何故あんな姑息な法案群が出てきたのか理解に苦しんでいる。この安全保障関連法案群に関しては、内容の是非を考える前に、あまりにも常識のない説明ばかりで嫌になっていたからだ。

 まず出だしが最悪だった。「紛争地から逃げようとする日本人(説明パネルは女性と子供)を乗せた米国船が、航行中に紛争相手国から攻撃を受けた場合、現行法ではこの米国船を自衛隊が守れないのは理不尽ではないか」という話から始まった。何とも情緒的なデマだなと思った。この時の表現は以下のようになっている。

「今や海外に住む日本人は150万人、さらに年間1,800万人の日本人が海外に出かけていく時代です。その場所で突然紛争が起こることも考えられます。そこから逃げようとする日本人を、同盟国であり、能力を有する米国が救助、輸送しているとき、日本近海で攻撃があるかもしれない。」

 まず、突然紛争が起こって、多数の日本人が逃げ惑うような状況が生まれるとしたら、これは外務省の極端な無能さを意味すると思うが、外務省の人間はこのパネルをどのような気持ちで見たのだろうか。税金で購われる外交予算を高級ワインに使うことを一概に否定はしないが、それはこうした事態を事前にキャッチするためのお金ではないのか。

 次に、「能力を有する米国が救助、輸送する」という文章をどう捉えるかの問題だ。「能力を有する」とは、どんな能力を意味するのか分からない。日本語としては稚拙であるが、内容を分からないようにするためには巧妙な表現であり、救助して輸送する船の所属を誤魔化しているように思える。紛争が起こっている中で救助能力を持つという意味であれば、軍事的能力を連想する。そうすると、そうした中で輸送を行うのは軍用艦船を意味している可能性が捨てきれない。しかし、軍事常識から言えば、これはまずあり得ない。軍の船には民間人は乗せない。紛争が起こった地域で、米軍が日本人を保護し、その艦船に乗せて脱出させてくれるなどあるはずがないではないか。だが、そのように聞き取った人が私の周りでも何人もいたのは事実である。

 さて、パネルにおいて日本に向かっている米国船が民間の船であるとして、突然起こった紛争後、日本近海にまで出撃して米国籍のこの船を攻撃する軍事力を持つ国とはどの国だろう。分からないのは、この紛争がどことどこの間で起こっていると想定しているかが全く分からない。さらにさらにだが、この船が米国船であれば、まず米国民を乗せ、イギリス人を乗せる。空きがあればフランス人とかイタリア人とかを乗せる。日本人の優先順位が、船1隻を占有する程高いなど夢物語であろうし、万一そうした事態が起こったにしても、近隣の安全と思われる港で下船させるに違いない。アレ、最も近い安全な港が日本にあるのかな?

 当初この法案群は、ホルムズ海峡での機雷を掃海することも1つのオプションとして提案されていたようだが(これは、後に安倍総理自らが否定した)、この想定も理解できなかった。ホルムズ海峡は確かにイランに面しているが、アラビア半島側はオマーンの領土である。湾岸戦争が行われたときに調べたのだが、ホルムズ海峡における国際航路はオマーン側を通っている。この航路に機雷を敷設するとすれば、イランとオマーンは戦争状態にあることを意味するだろう。イランは湾岸地域の安全保障を担っている湾岸協力会議諸国との軋轢を抱え込むことになる。まあ、後に総理自身が取り下げざるを得なくなった話とはいえ、余りにも当初の事態設定が杜撰すぎる。

 ひっくり返るほど驚いたのは後方支援の話しだった。安倍首相は党首討論で、「戦闘が起こった時は、ただちに(後方支援活動を)一時中止、あるいは退避することを明確に定めている」と、危険になったら現場の判断で直ちに撤退できると説明した。ゲームじゃあるまいし、そんな甘い判断で後方支援が出来るはずはない。後方支援部隊の撤退は、前線にいる兵員に武器・弾薬・食料が届かないことを意味する。場合によっては、前線にいる兵員を見殺しにすることさえ意味する場合もあるだろう。 もし前線にいる兵士が首相の言う友好国の兵士であった場合、安易な撤退行動はこの友好国との関係を破綻に導くと思うのだが。こう云うと、お前は死んでも兵站を維持しろというのかとお叱りを受ける場合がある。そうではない。参戦するという判断は、そうした場合もあり得ることを受け入れた上での「極めて極めて重たい判断」になると云っているのである。

 このブログでこんなことを書く気はなかったのだが、暗い気持ちでつい書いてしまった。田舎の桃源郷みたいなところで、気分よく暮らすのはやはり夢なのか?

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