過剰と蕩尽 2

抗生物質

 抗生物質(Antibiotics)が、20世紀の薬学界においてというよりも人類の感染症治療において、一つの革命を起こした物質群であることは間違いないであろう。1928年にA. フレミングが青カビの生産物として見つけたペニシリンを、H.W.フローリーとE.B. チェインが感染症に卓効ある医薬へと育て上げた。この3人は、医学界に新たな風をもたらしたことが評価され、1945年にノーベル生理学・医学賞を授与された。彼等の輝かしい成功の後、1944年にはストレプトマイシン、1948年にはクロロテトラサイクリン、1949年にはクロラムフェニコールと次々と新たな抗生物質の発見が続き、1960年頃までは「人類は感染症を克服した」かのようにな時代が続いた。こうした抗生物質の黄金時代に影を落とし始めたのが、耐性菌の出現である。1961年、MRSAすなわちメシチリン耐性黄色ブドウ球菌の出現を嚆矢として、医療現場で使われていた抗生物質に耐性を持つ細菌が出現することになった。そして、1986年には、最後の砦といわれていたバンコマイシンに耐性を持つVRE(バンコマイシン耐性腸球菌)が、2002年にはVRS(バンコマイシン耐性ブドウ球菌)が見つかり、抗生物質全能の時代は終わりを告げつつあるのかもしれない。

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よく知られた抗生物質類

 団塊という言葉で括られる私たちの親の世代は、第二次世界大戦という未曾有の困難をくぐり抜けると同時に、戦後に抗生物質の信じられない効果を実体験した。それまでの常識ではもう助からないと判断される肺炎患者、赤痢患者、結核患者たちが、抗生物質の投与によって何事もなかったかのように生還する姿を見たこの世代の人たちが、現代に続く日本人の薬好きという性癖を作ったように感じている。

 抗生物質の小史でも書いているのかと突っ込まれそうだが、ここまでは落語で云うところの枕である。

 さて私は、植物ホルモンは noisy minority 分子の一例であるという決めつけをおこなった。Noisy minority 分子とは、量的には微量であるにもかかわらず異常に生物活性の高い化合物であるという意味である。さらに植物体内に存在する種々の化合物の中で、これらの分子は活性が高い故に、不当に大きく取り扱われているとも述べた。ヒトという生き物は、少々知的水準が高い人であっても一つのことに目を奪われると、いとも簡単に総合的視座を見失う生き物であるらしい。持って回った云い方だが、抗生物質についての世の基本的理解は、微生物が生産する薬剤あるいは薬剤のリードとなる物質群であるというものであろう。もっと簡単に云えば、抗生物質は薬である。世間はその理解で渡っていける、いやその理解が正当とされる空間である。そうした世間の中では、「なぜ微生物は抗生物質を作るのか」などという大上段に振りかぶった疑問は発しにくい。いつも俎上に上げ批判している日本薬学会の「薬学用語解説」においても、残念ながらこの疑問については全く触れず抗生物質の定義と分類、そして耐性菌について淡々と記述している。

 勿論、「なぜ微生物は抗生物質を作るのか」という疑問が世の中に存在しないわけではない。抗生物質の説明の付け足しとして、簡単な説明が存在する場合もあるのだが、そこでは抗生物質の持つ機能、つまり抗菌性を基礎として、時系列を無視した説明がなされている。私が比較的頻繁に訪れ楽しんでいるサイトに、「有機って面白いよね:http://www.chem-station.com/yukitopics.htm」というサイトがある。有機化学を中心にいろいろな話題をタイムリーに伝えてくれるかなりレベルの高いサイトである。私も高い評価をしているのだが、このサイトに抗生物質に関するコラム(http://www.chem-station.com/yukitopics/antibiotics.htm)が存在する。このコラムも良くまとまっているのだが、「なぜ微生物は抗生物質を作るのか」という疑問に対する説明には納得できない。さらに、抗生物質耐性菌の説明の中に、「なぜ微生物は抗生物質を作るのか」という疑問への説明が位置している点についても違和感を禁じ得ない。議論の敲き台として、その部分を引用したい。

「薬剤耐性菌

 抗生物質絡みでよく話題にあげられるのが薬剤耐性菌の増加問題です。昔と違い、抗生物質が効かない菌が増えてきたのです。たとえばPenicillin耐性菌はpenicillinase (β-lactamase)という酵素の産生遺伝子を突然変異により獲得しています。これにより菌がβラクタム環を分解できるようになってPenicillinが失活してしまい、効果を発揮できません。」

 「そもそもなぜ菌は抗生物質を産生するのでしょうか?Louis Pasteurの行った実験で、2種の異なる微生物を同じ培地で培養すると、一方の菌が他方の菌の産生する物質によって発育が阻止される、という現象(抗生現象)が発見されました。光合成機能を持たない菌は、培地から栄養を摂取して増殖するのですが、そこに他の菌が介入してくると当然自分の栄養が減ります。栄養分を奪い合う結果になるのです。ここで菌は抗生物質を使用し、他の菌を排除して自分の領地を確保しようとするのです。つまり抗生物質は、微生物が自分の身を保つ為に、進化の仮定で獲得した産物だと言えます。」

「ここで他の菌と抗生物質を置き換えて考えてみましょう。抗生物質は菌に対して抑制的に働きます。菌は自分に害を及ぼすものを克服すべく変異・進化します。つまり抗生物質を沢山使うと、それに対して抵抗性を持つように、菌は進化してゆくのです。菌のように単純な生物だと進化のスピードも速く、かなりすさまじい勢いで耐性が獲得されてゆきます。」

 これで良いではないかと考える方々は少なからずいると思うし、こう書くしかないと思う人が大部分だろう。私であっても、20年ほど前まではこの説明で満足していたはずである。だが、現在の私の立場からすれば、生合成された抗生物質の活性をもって、創られた理由を説明している点に矛盾が存在すると考える。さらにここでの説明は、抗生物質とはある微生物が生合成して他の微生物の生育を阻害したり殺したりするものであるとする抗生物質の定義に縛られている。さらにだが、抗生物質が他の微生物を殺すよりもはるかに低濃度において、クオルモンとしての機能を持つなどという報告がなされているが、それとて構成物質が生産される原理由になるはずはない。(原理由と云う日本語はないかもしれない。機能を元にした後付けの理由ではなく、ある物質を作り出す前段階の代謝がもつ意味として造語した)すべてのモノはつくられた後に機能を獲得するのであり、生物がある機能を意図してつくる事はない。こうした機能を中心に置く考え方は、よく考えると科学的ではなく、明確な目的をどのように具現化するかという事に重きを置く工学的な発想に親和性が高い。微生物の行動を少しだけ普遍化して考えたとき、放線菌の仲間が抗生物質をつくることと、納豆菌(Bacillus subtilis natto )がポリグルタミン酸をつくること、Cupriavidus necatorAlcaligenes latusAzotobacter chrococcumなどが生分解性プラスチックであるPHB(ポリ 3-ヒドロキシ酪酸)をつくることと何が違うのか。どうもヒトの都合で、生物界の現象を分類しているような気がするのだが、考えすぎだろうか?

過剰と蕩尽 3 に続く

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