歴史生物学・・・一次代謝と二次代謝 12

  二次代謝という用語が嫌いになって20年以上経つ。何故嫌いになったのかと聞かれれば、理解できなくなったからと答えるしかない。私も40歳くらいまではこの用語を多用していた。どうして植物は多様な二次代謝系を持つのかと。

  さて、生物が持つ代謝系は複雑多岐にわたる。その複雑きわまりないものをうまく分けることが可能かどうか、少し考えたい。歴史的に見れば、これらの代謝系を異化と同化に分ける考え方があった。いくぶん荒っぽい分類だが、グリコリシス、TCA cycle、Hexose monophosphate shunt、β酸化系など、取り込んだ物質を壊してエネルギーを得る代謝群を異化とし、光合成とそれに続く糖新生、アミノ酸・タンパク質生合成、脂質の生合成など、簡単な物質から複雑な生態成分を生合成する代謝群を同化としているように見える。もちろん、いわゆる解毒代謝と呼ばれる反応群もあるのだが、この群については後に議論する事にしよう。

  異化・同化という分類法は、多分にヒトいや動物の代謝系を念頭に置いているように見える。光合成系が同化の中に含まれているのは全ての動物の糖質源として、この系は分類の中から外すことができないという判断があったのではないだろうか。時代が進んで、植物がこの2つの代謝系解釈から逸脱する化合物群を多種多量に作ることが明らかになるとともに、別の分類があるのではないかという考えが出てきてもおかしくはない。「二次代謝」という概念を最初に提出したのは、19世紀後半のドイツの植物生理学者である Kossel であるようだ。その後、この二次代謝・二次代謝物質というtechnical term(科学用語)が広く使用されるようになったのは、1950年に Paech や Bonner がその著書の中で用いてからである。微生物がつくる多様な構造を持つ抗生物質の発見も、この二次代謝概念の拡散を後押ししたように思える。

  重ねて私見だが、この二次代謝・二次代謝産物という概念は、一次代謝・一次代謝産物という概念に先行したように思う。私が学生だった頃に学んだいくぶん古い定義であるが、二次代謝とは生命の維持に直接には関与しないが、各生物の特異性を担う代謝系として定義されていた。その定義に沿うものとして、植物の二次代謝産物や微生物のつくる抗生物質が在ったのである。つまり、生物が持つ代謝系の集合の中から、生命の維持に必要ではなくその生物の特異性を担保する物質を生産すると代謝を二次代謝として切り取ったわけである。そうすると残りの代謝系、つまり「生命の維持に不可欠な代謝系の集まり」を一次代謝系として定義せざるを得なかったのであろう。概念としては二次代謝が先行したかもしれないが、一次代謝という言葉は二次代謝という言葉に触発されて、ほぼ同時に出現したと思われる。

  そこで具体的な話に入るが、現在でも生物の代謝系を一次代謝系と二次代謝系とに分類して考えることが主流になっているようだが、とても面白い現象がある。小さな事は別にして、一次代謝(Primary metabolism)についてWikipediaで検索をかけても、一次代謝の項目もPrimary metabolismの項目も存在しない。一次代謝が生物に共通で、生命の維持に不可欠な系であれば、二次代謝はなくても一次代謝の説明があってしかるべきだと思うのだが、そうではない。二次代謝という項目も Secondary metabolism という項目も存在するのにである。

  そんな話は横に置いて、いつも引用している薬学会のサイトでは、2つの系をどう説明しているか。そこから始めよう。

Primary metabolism

  生物の体内で酵素や補酵素の作用により物質を合成するときの化学反応を代謝といい、その中で生物個体の維持、増殖、再生産に必須で生物界に普遍的に存在している糖、タンパク質、脂質、核酸などを生成する代謝を一次代謝という。また、これらの物質を一次代謝産物(primary metabolites)という。 代表的な代謝系として解糖経路、クエン酸回路(クレブス回路、TCA回路)、ペントースリン酸回路などがあり、これらはおのおの独立した物ではなく、高度に相互作用、相互依存している。(2006.10.17 掲載)

Secondary metabolism

 生物の体内で酵素や補酵素の作用により物質を合成するときの化学反応を代謝といい、その中ですべての生物に含まれることはなく、生物の共通の生命現象に直接関与しない物質を生合成する代謝を二次代謝といい、できた天然物を二次代謝産物(secondary metabolites)という。二次代謝産物はアミノ酸やアセチルCoAなど一次代謝の限られた中間物質を材料にして生合成され、一種類の植物の中でも莫大な数の物質を生成するが、生産者である植物自身にとっての役割は不明な物が多い。一方で、人類にとっては天然由来の医薬品又は、新薬へのリード化合物として重要な役割を果たしている。(2006.10.17 掲載)

  言葉遣いにとても苦労した痕跡が見られる。その結果が、文の構成の不一致につながっているように読めるのだが、深読みが過ぎるだろうか。生物体内の代謝を考えるとき、この2分法で全てを網羅できるかという問題が存在する。表6-2に示しているA欄あるいはB欄に対応する代謝群はないかという問である。

スクリーンショット(2015-02-05 21.51.07)

  かなり長い間考えてきたがB欄に相当する「どの生物にもあって生命維持に不要な代謝系」は思いつかない。もう一つのA欄に対応する代謝系は、思いつかないわけではない。色々な動物に於いてビタミンと呼ばれている物質群をつくる代謝系は、ここに相当するのではないか。ヒトにとってのチアミンピロリン酸やアスコルビン酸の生合成系、昆虫にとってのコレステロールの生合成系などかなりな数の代謝系がA欄に含まれる。そんなのは例外だよ。歴史の中で、一寸した系路の欠失が起こったにすぎない。小さな事につべこべと言うことなく、一次代謝系は・・・だ、二次代謝系は・・・だ、と言い切った方が楽であることは間違いない。

  またお前が、鬱陶しい言いがかりをつけると言われそうだが、現実の問題としてそう簡単に分類できないだけでなく、定義自身が曖昧なものに変化してきているのである。ウィキペディアに記事を盲信するわけではないが、ウィキペディアの二次代謝の説明には以下のように書いてある。

  「二次代謝(にじたいしゃ)とは、生物自身が生合成し、生物が生育する上で必要不可欠ではない(と考えられていた)代謝経路および低分子化合物のことであり、有名なものとして抗菌物質や色素などが挙げられる。二次代謝は様々な生物種が行っており、様々な生理活性を持つものがある。代表的な二次代謝産物として、テルペノイド系化合物、ポリケタイド系化合物、アルカロイド化合物などがある。」

  後半の部分はどうでも良いが、アンダーラインの部分に意義付け上での揺らぎが反映されているわけだ。それにしてもこの部分をどう読めばいいのだろう。二次代謝産物は生命に必要なのだろうか、それとも必要ではないのだろうか。

  察するに、多くの科学者といわれる人々が一次代謝と二次代謝でうまく定義できないことに気付いているに違いない。ただ、それらの言葉が歴史的な背景を持ち、かつ手軽に使いやすい概念であるが故に、広く使われているにすぎないのであろう。しかし、そうした事実が積み重なって、一次代謝・二次代謝という概念は収拾がつかなくなってしまったと思う。

  長い間、このような考えを細切れに出し続けてきたのだが、時々細切れの話を聞かされる方は堪ったものではなかったろう。「また訳のわからんことを云ってるよ、彼奴が」と受け取られても仕方なかったと思う。「真実は常に少数派にあり」などという言説はあるものの、こういう言説が世の中で通用すると云うこと自体、少数派がほとんど無視されているということの証明でもある。このブログを始めた頃から読んでおられる方々は、「アルカロイドは植物の意図しない窒素廃棄物である」などという文章をよんで、笑いながらも私の意図を少しは理解してもらえると思うが、「モルヒネ」をキーワードとして辿り着いた新たな読者は、「何という基地外ブログ」だと判断するに違いない。そういう風に判断されるに違いないと考える程度の理性は、まだ保っているようだ。

歴史生物学・・・一次代謝と二次代謝 13 に続く

カテゴリー: 未分類 パーマリンク