イソキノリンアルカロイドというグループに分類されている一見複雑に見えるモルヒネだが、この化合物は2分子のチロシンから生合成される。チロシンからモルヒネまでの生合成を(R)-Reticulineまでの系路と、(R)-Reticulineからモルヒネまでに分けて記述したい。何故(R)-Reticulineで区切るのか?他意はない。ChemDrawの図1枚では描ききれないからに過ぎない。各段階に記載している数字は、いつもの通りECナンバーである。
まず、図6-3から始めよう。モルヒネの生合成に於いては、1分子のチロシンがオキシゲナーゼの作用で水酸化を受けたあと脱炭酸を受けてドーパミンが生成する。もう1分子のチロシンは酸化的に脱アミノを起こして4-ヒドロキシフェニルピルビン酸となった後、4-ヒドロキシフェニルピルビン酸デカルボキシラーゼの触媒下に4-ヒドロキシフェニルアセトアルデヒドとなる。このアルデヒドが先に生成したドーパミンとの間で脱水縮合を起こしてシッフ塩基となった後、すぐにキノリン環を形成して (S)-Norcoclaurineとなる。(S)-Norcoclaurineに存在するテトラヒドロイソキノリン環の2位の窒素原子と6位の水酸基がメチル基転位を受けて(S)-N-Methylcoclaurineとなった後、もう一つの芳香環の3’位がモノオキシゲナーゼによる水酸化を受けて3′-Hydroxy-N-methyl-(S)-coclaurineへ、3′-Hydroxy-N-methyl-(S)-coclaurineの4’位の水酸基がメチル化を受けて(S)-Reticulineを与える。
この辺りの酸化反応のメカニズムはリグニン生合成の8辺りに書いたものと同様であろう。モルヒネへ向かう反応系は、(S)-Reticulineから(R)-Reticulineへと変換された後進んでいくのだが、この一対の光学異性体間の変換反応はいくぶん不可解である。図6-3に示した下側の系を通るのであれば一旦酸化して不整炭素を消した後、立体特異性を持つ還元酵素1.5.1.27の作用で(R)-Reticulineを生合成すると説明できるのだが、Laudanineの存在がどうも気になるのである。酵素2.1.1.291の反応の方向が(R)-Reticulineからも(S)-ReticulineからもLaudanine生成の方向に向かっているのである。この点については、平衡定数がLaudanine側に寄っていると云うことで、反応自体は可逆反応であると理解しておくことにする。それにしても7位の水酸基のメチル化あるいは脱メチル化に伴い、どのようなメカニズムで1位のラセミ化が起こるのか、私自身が理解できていない。
図6-4は(S)-Reticulineまでのもうひとつの生合成を示している。この系は図6-3の系と混在して動いている系であろう。働いている酵素にも共通な物がある。しかし、混ざった状況で記述すると分かりにくくなるので、まず独立して動いているという立場から述べることにする。
この場合も2分子のチロシンから始めよう。まず2分子のチロシンが脱炭酸反応を受けて、2分子のチラミンが生じる。このチラミンがmonophenol oxidaseによる水酸化を受けて2分子のドーパミンに変換される。勿論、この系にはL-DOPAを通る系も存在する。生成したドーパミンのうち1分子はaromatic amine dehydrogenaseあるいはamine oxidase と呼ばれる酸化酵素の作用により3,4-Dihydroxyphenylacetaldehydeへと酸化される。この時発生するアンモニアは再利用されるのであろう。生成した3,4-Dihydroxyphenylacetaldehydeはもう1分子のドーパミンと脱水縮合してシッフ塩基を形成した後イソキノリン間を形成して(S)-Norlaudanosolineを与える。この後、3段階に渡るメチル基転移によって(S)-Reticulineに変換され、図6-3の系に合流するわけである。量的な問題は余りに複雑すぎてここでは考慮しないことにする。
図6-5に移る。Salutaridine synthaseと呼ばれるP450に分類されるオキシダーゼが、2つのベンゼン環でC-Cフェノールカップリングと呼ばれる結合が起こりSalutaridineが生成する。この反応については、後で少し補足するかも知れない。次ぎにSalutaridineのカルボニル基が立体選択的に還元されてSalutaridinol、生成したSalutaridinolの水酸基がAcetylCoAによるアセチル化を受けて7-O-Acetylsalutaridinolになると、フェノール性水酸基による攻撃と同時にアセトキシル基が脱離する反応が酵素の存在なしに進行してThebaineが生成する。
モルヒネ生合成に於いては、メトキシ基を酸化的に水酸基に変更しながら反応を進める見慣れない酵素が重要な役を果たしている場面があるが、ThebaineからNeopinoneへの変換はその例である。多分だが、メチル基が水酸化を受け生成したヘミアセタールがホルムアルデヒドとエノールへと変換される反応であろう。こうして得られるNeopinoneはより安定なab不飽和ケトンへと自動的に変化しCodeinoneとなる。後は簡単である。Codeinoneは立体選択的にre面からのヒドリド還元によりCodeineに、Codeineに残っているもう一つのメトキシ基がやはり酸化的に水酸基へと変換されてMorphineが完成する。
Thebaineを基点とするもう一つの生合成系は、反応の順序が入れ代わった系と見ればよい。Thebaineの4’位に由来するメトキシ基が先に酸化的に水酸基へと変換されてOripavineとなった後、6位のメトキシ基が同じく酸化されてMorphinoneとなり、続いて立体選択的にre面からのヒドリド還元が起こりMorphineが完成する。
さて、これら3枚の図を連続して並べて上記の説明を付ければ、初学者を「これがモルヒネの生合成系だ」と納得させることは難しいことではない。似たことを私もやってきた。「だが」である、図6-7を見て、モルヒネの生合成系はという議論をすることができるのか。図6-7はモルヒネを含むイソキノリンアルカロイドの生合成系を示しているが、左側の縦に降りてモルヒネに連なる部分のみを恣意的に切り出してモルヒネ生合成系として描いたわけである。
さらに図6-8をみれば、イソキノリンアルカロイド生合成さえも、チロシン代謝のほんの一部分に過ぎないことは明白である。要するに、モルヒネという1つの代謝物が、ヒトに対して特異的な活性を持ち薬学という分野で大きな興味をもたれたが故に描かれる系に過ぎない。モルヒネもまた、二酸化炭素から糖へ、糖からアミノ酸へと変換されて役割を果たし再度二酸化炭素とアンモニアへ戻っていく過程に存在する一つの微量物質に過ぎないのである。
歴史生物学・・・一次代謝と二次代謝 10 に続く