歴史生物学・・・一次代謝と二次代謝 3

  熱についてどう考えるか。本当に熱を捨てなくてはならないのか。これはちょっと難しい。暑い時期であれば、もう少し同意してもらいやすいかも知れないが、ここ2日ほどの寒さでは熱は取り入れたいものだと思ってしまう。地球温暖化の警鐘演説を、吹雪の中でやるようなものであろう。やはりエアコンを切って、うだる暑さの中でやらねばならない。あらぬ方向に話が駆け出しそうである。

  熱の問題は変温動物と恒温動物で全く違う話になるだけでなく、動物のサイズによっても著しくフェーズの違う問題となる。この辺りの事は、私が半端な知識を振り回すより、本川 達夫博士がお書きになった、ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学(中公新書)、サンゴ礁の生物たち―共生と適応の生物学(中公新書)、生物学的文明論(新潮新書)などを読んで頂いた方が、より面白く、より正確であろう。ついでに歌って頂ければ、もっとよく分かるかもしれない。

  これらを読んで導かれる結論は、様々な動物が、それぞれの動物固有の論理と時間のなかで生きているという事実であろう。余りにも簡単にまとめるなと怒られそうだ。動物の形は、いくつかの必須な条件を満たせば、その範囲の中では自由である。必須な条件とは、生きるのに必要な物質の取り込みと、不要になった物質の廃棄、生きるのに必要な体温の維持になるのだろうか。この3つの要件を満たせば、取り敢えずは生きられる。そして、この取り敢えず生きられる範囲の中で、色々な形や行動の創製が起こり、次に環境との相互作用の中で選抜が起こると考えていいだろう。

  熱廃棄の立場から少しだけ付け加えるとすれば、動物のサイズ、すなわち長さがn倍になると表面積はn2倍に体積はn3倍になるというべき乗則が問題になるのは、ある程度以上の大きさを持つ恒温動物の熱廃棄という局面においてであろう。この法則は、ある動物の長さが2倍になった場合、熱の発生量は8倍になるにもかかわらず、放熱に係わる表面積は4倍にしかならないことを意味している(但し、形は相似である)。2倍であればまだ良い。10倍になると、放熱できる面積は100倍にしかならないのに発熱量は1,000倍にまで急増する。熱発生量に対し放熱が追いつかない状況が発生するのである。その辺りの事は「ゾウの耳はなぜ大きい」(クリス・レイヴァーズ・早川書房)のなかに書かれている。代謝エンジンなどという用語を使っているが、要するに小さな動物においては全く問題にならない熱廃棄の問題が、一定の大きさを超えた動物では避けることの出来ない問題になることを論じている。ただし、熱廃棄の問題を解決するためにあるデザインをもつ動物になったのではなく、何らかの方法でこの問題を解決できるデザインになった動物が生き延びているわけだ。ここで使うデザインという用語は、単に形だけでなく行動様式をも含む概念と考えて欲しい。そこに動物の持つ生き方が千差万別である原因がある。

  動物の形の問題は、余りにも面白いが故に、何を述べるつもりだったか忘れてしまいそうだ。要するに、動物の形や行動の中には、放熱を目的として機能しているものがある。放熱しないと致命的な影響を受ける動物がいると云いたいだけである。そして、そのような動物の存在こそが、私の云う熱廃棄の必要性を具現化していると考えるからである。シロクマの赤ちゃんはとても寒く、ゾウの両親はとても暑いのである。

                 歴史生物学・・・一次代謝と二次代謝 4 に続く

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