煙草と大麻

  云うまでもなく「いつも少数派」である。たまに多くの人と意見が合うことがあるが、その場合は理由が全く異なるのが常である。お前はへそが曲がりすぎて一回りしただけだと褒められるほどだ。社会において説得されなければならない存在と云うことだろう。本人は、自らの意見が通らないのが社会であるという認識を持っている。つまり、いつになっても子供であり書生である。従って、生真面目に生きていると身も心も持たなくなる可能性が高い。その結果、馬鹿話と駄洒落れで韜晦し続ける人生を歩むしかなくなっていたようだ。ガバナビリティー(被統治能力)の向上が、いわゆる普通の生活を送る上で欠かせないとモノとなっていた。

  「いつも少数派」にとっては、民主主義とは多数派による押しつけを合理化する方法の別称である。ソクラテスの徒として長い間「ガバナビリティー」を育ててきたいつも少数派としては、交通規則はたまに破ったときがあるとはいえ、基本的に「法」は守る。悪法と思われる法であっても法は法であるとの意識は持っている。そうであるが故に、説明と説得を抜きにした多数派の横暴は許せない。民主主義が良いものとは少しも思わない。手続き論として認めているだけである。それ故に、民主主義をお題目にして権力を握っている人々は説得と説明という手続きを端折ってはいけない。何の話をしているか、人それぞれに思い当たる件があるだろう。私だって、幾つも思いつく。但し、ここで政治の話はしない。

  私、煙草の害なんてあまり信じていない。副流煙の方が危険などという話がどうして世の中で通用するのかも、全く理解できない。お前は喫煙擁護派かと云われるが、そんなつもりもない。煙が嫌なヒトがいることを考えて、礼儀ある吸い方は求める。それだけである。私が小さかった頃、もう60年近い昔の話になるが、映画は庶民の大きな娯楽であった。田舎の、小さな安普請の映画館であっても、土曜・日曜は客で溢れていた。この映画館、当時は換気装置もなく、何時ももうもうとした煙が立ちこめていた。幕間には、「映写効果を上げるために窓をお開け下さい」というアナウンスがあり、寒い時期であっても窓を開け煙抜きをしていた。

  私の親父は絵に描いたような真面目な人間であり、タバコは吸わなかったが、周囲の大人の男達は、殆どが喫煙者であった。統計を調べると、喫煙率は成人男性の80%を超していたようだ。そして、ぎりぎりまで吸うために、皆人差し指と中指が茶色に染まっていたのを記憶している。それから時間が経って、タバコにフィルターがついた。フィルターに活性炭が入った。燃焼温度を下げるために、巻紙に微少な穴が空けられた。フィルターの性能が良くなり、タール分が減りニコチン量もどんどん減って、スカスカのタバコになってきた。時を同じくして、タバコの害が大きく取りざたされるようになり、喫煙率も低下してきた。ところが、肺ガンの患者数は増え続けている。若い頃の喫煙が後で効いてくる可能性が取りざたされるが、明治から大正期にフィルターなしで吸っていた世代の発ガン率が高くなかったのである。きっと何か他の理由があるに違いない。これまたいくつか思いつくものはあるが、思いつくだけで証明するものがない。「風説の流布」あるいは「風評」と云われ、訴訟でも起こされたらかなわないので、これ以上は書かない。各自考えて下さい。

  麻(敢えて大麻とは言わない)についても、同じような状況が見られる。麻は極めて有用な植物である。日本人は長い間麻と共に生きてきた。麻柄という日本人になじみの深い模様は、麻の葉っぱを図案化したものであるし、迎え火・送り火として焚く麻殻も、繊維をとった後の麻の茎を干したものである。伊勢神宮のお札は大麻とよぶ。日本の麻は紀元前から栽培され、日本文化の中に違和感なく溶け込んでいたのだ。この間、いわゆる耽溺した人の報告例は殆どない。麻生などという姓を持つ人は、麻が自生しているところに住んでいた人であろう。

  多くの人が大きな誤解をしているが、大麻(マリファナ)は麻薬ではない。正しく云えば、大麻は麻薬取締法の対象ではないのである。大麻に対しては、大麻取締法という別の法律が存在する。だが、この法律がまた何処かいかがわしいのである。昭和23年の制定までの経緯が、アメリカ主導で行われており極めて分かりにくい。さらに不可解なのは、この法律には前文がない。そもそも法律というものには、何故その法律を制定するかという必要性を書いた前文が付くのが常である。この法律には、その前文がないのである。歴史的に見ると、この法律制定に対して当時まともだった農林省と通産省の役人が強く反対していた。彼らはアメリカからの圧力に抗して、何とか日本産の麻の栽培を残そうと努力していた。しかし、力及ばず大麻取締法の制定となったようである。その無念さの表現として、提出した法案に前文を付記しなかったというのが真相ではないだろうか。

  これまた、多くの人は知ろうともしない事実だが、麻は極めて有用な植物である。非常に生長が早く、荒れ地でもよく育つ。茎から強靱な麻の繊維が取れるだけでなく、実は食用になる。実を搾って得られる油は麻実油(ヘンプオイル)と呼ばれ、良質の食用油となる。現在、オーストラリア産のヘンプオイルが輸入され、2,500円/250 mlという価格で販売されている。言いかえれば、オーストラリアでは麻の栽培が認められ、これを原料とした繊維、オイル、麻実タンパク質など多くの麻製品がオーガニック認証を受け、輸出されるまでになっているのである。

  日本では、某女性タレントがごく少量の大麻を持っていたとして、マスコミを挙げての大騒ぎが起こった。まあ、大麻取締法という法律があるのだから仕方がないと云えばその通りである。しかしながら、麻の栽培禁止を無理強いしたアメリカでは、23の州で医療用としての大麻使用が認められただけでなく、ワシントン州とコロラド州においては嗜好品としての使用を認めるまでになっている。どうも、何が起こっているのか理解するのが難しい。

  少なくとも日本の在来種、あるいはトチギシロという品種であれば、マリファナの主成分であるテトラヒドロカンナビオールの含量は少なく、何の問題もなく栽培できると思っている。こう書くととんでもない奴だと思われそうだが、わたしは大麻を吸うこともないし煙草も吸わない。当然だが、麻薬と覚醒剤に関しては決して認めない。ただ、麻については、それらとは区別して考えるべき極めて有用な植物であると考えている。さらに、いわゆる向精神性を持つテトラヒドロカンナビオールについては、現在多発性硬化症、緑内障、肺ガン、繊維筋痛症などを初めとして広範囲の病気に効果があるだけでなく、モルヒネ、コカイン、ヘロイン、覚醒剤、アルコールなどの薬物依存症患者の治療に使われはじめている。

  要するに、世人の誤解と無理解を助長・増幅し、理不尽な規制をかけようとする過剰な善意を持つヒトと、それらの規制を通して金儲けを企む下品なヒトたちを忌み嫌っているだけである。

  と書いてアップしようとしたら、またもやムカッとするニュースがあった。Nutiva社というアメリカの自然食品会社が、麻(ヘンプ)製品をオーガニックヘンプシードシリーズ《ヘンプナッツ、ヘンプオイル、ヘンプパウダー(プロテイン)》として日本で売るという。原料となる麻(ヘンプ)栽培地がカナダであるとはいえ、これは納得できない。

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