歴史生物学 TCA回路への異論 6

 その後、色々な酵素に関するデータベースを覗いてみたが、カイコの持つこれらの酵素について、プロキラルなレベルでの選択性にまで言及しているものはなさそうだが、私の探す能力の問題かもしれない。どなたかこの辺りのことをご存知の人がおられたら、是非教えて下さい。そこで、上記の2つの酵素の問題は未解決の問題として、話を続けることにする。

 つまり報告のある両酵素についてはプロキラルなレベルでの選択性を持つことより、カイコの両酵素がともに同じ選択性を持っていると仮定して議論を続けるということになる。この仮定の下では、先に述べたようにオギザロ酢酸に固定された二酸化炭素に由来する炭素原子は、脱炭酸によって除去されてしまうことになる。そうすると、もう少し考えなければならない。

  図 3-11 はBombyx mori(カイコ)の持つピルビン酸代謝系を示している。丁寧に見て欲しいのだが、通常の TCA 回路図には描いてないバイパスが存在する。

 カイコはpyruvic-malic carboxylase (ambiguous) [EC:1.1.1.40]という酵素を持ちNADPH +H+を補酵素としてピルビン酸からリンゴ酸を生合成する。また、pyruvate carboxylase [EC: 6.4.1.1]によりATPを消費しながらオギザロ酢酸をつくる経路と phosphoenolpyruvate carboxykinase (GTP) [EC:4.1.1.32]によりPEPからオギザロ酢酸を作りながらGTPを生産する経路を持つ。リンゴ酸がオギザロ酢酸に酸化されれば、オギザロ酢酸の4位のカルボキシル基に13Cが取り込まれることになる。すると図3-12に示すように、アスパラギン酸のγ位のカルボン酸は上記の3つの系で生成したオギザロ酢酸にアミノ基転移が起こったと考えればよい。ここまでは著者等は間違っていない。

図3-12 γ-位が13Cでラベルされたアスパラギン酸の生合成

 この論文の著者達は、オギザロ酢酸から始まる TCA 回路が、炭素固定を行うことにきっと感激したのだと思う。しかし、オギザロ酢酸の4位のカルボキシル基に存在する13Cは脱炭酸で除かれてしまう。オギザロ酢酸とリンゴ酸の間を行き来したとしても、オギザロ酢酸やリンゴ酸の 1 位のカルボキシル基に13Cが移動することはない。

 リンゴ酸の 4 位のカルボキシル基を 1 位のカルボキシル基に合理的に移動させるにはどうすればよいか。TCA回路を1段階だけ反対向きに回せばよいのである。fumarate hydratase, class II [EC:4.2.1.2]という酵素はリンゴ酸とフマル酸の相互変換を触媒する。この反応はフマル酸に対する水の付加反応であり、リンゴ酸に対する脱水反応である。リンゴ酸に対する脱水反応は選択的にフマル酸を与えマレイン酸は生成しない。それはよく知られた事実である。ではフマル酸に対する水付加反応はどのように起こるのか。マクマリーの生化学反応機能(ケミカルバイオロジー理解のために)によれば、この反応は次のように起こるという。図3-13に示すようにフマル酸分子に対して水がアンチ型の付加を行うという。

図3-13 リンゴ酸とフマル酸の相互変換

 フマル酸は分子内に回転中心を持つが故に、右側に示したように平面上で180度回転させたフマル酸は全く同一の分子となる。このフマル酸に水付加が起こったとき、両者ともに(S)-リンゴ酸を与えるのだが、1位と4位の炭素は入れ代わっている。つまり、図3-13に示すようにリンゴ酸がフマル酸に変換され、再度リンゴ酸に戻ったとき、4位にあった13Cラベルの半分は1位へと移動することになる。(図3-14参照)この後再酸化されてオギザロ酢酸となった後、トランスアミナーゼが作用すると1位が13Cでラベルされたアスパラギン酸が生成することになる。

図3-14 オギザロ酢酸の1位と4位の相互変換反応

 上記の1位がラベルされたオギザロ酢酸から、1位に由来するカルボキシル基の炭素がラベルされたピルビン酸あるいはホスホエノールピルビン酸(PEP)が各段階で働く酵素の可逆反応により作られるとすれば、13Cでラベルされた各アミノ酸は図3-15に示す経路で生合成が可能になる。

図3-15 13Cでラベルされた各種アミノ酸の生合成経路

 もしそうであれば、著者等の云う動物による炭素固定という概念は生き残るにしても、TCA回路を回す必要はなくなってしまう。まあ、TCA 回路を回転させた後、オギザロ酢酸あるいはリンゴ酸から同じ経路を通しても別に間違いというわけではない。でも、ここではオッカムの剃刀を使うことにしよう。話は単純なほうが良い。もし、グルタミン酸のカルボキシル基に13C比率の増大が認められるのであれば、カルボキシル基に13CラベルをもつPEPやピルビン酸が α-ケトグルタル酸まで代謝されていったことを意味するだろう。

 さて、以上の議論から、TCA回路の始点をどこに置けば良いのだろうか、とか、TCA回路は炭素を固定する回路だろうかなどと夢想するのは、楽しいものである。もっとも、それでは論文は書けない。論文が書けないと職が遠くなる。現役の皆さんにとって、そんな楽しみは老後に取っておくべきかもしれない。次回は、もう少し厳しくTCA回路を分断することにする。

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