書き続ける意欲を無くしかけている

 何から書いていいか、いまだに迷い続けている。色々と書き溜めてはいるのだが、どうも公開するのが憚られるような内容を含んでいるため、下書きが溜まり続けているという事だ。考えるべき論点が多すぎて、なかなかオープンにできるような出来栄えではない。浅学非才である事を自認している身としては、私が考え感じている事が、戯言であり、聞くに値しない陰謀論であれば良いなと願っている。しかしながら、学問的な裏付けを基に考えを進めると、望ましきない未来がやって来そうだという事だ。『つれづれなるままに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。』などと言う気分とは懸け離れている。

 数人の人から生存確認の電話があった。ブログが止まったままだけど、生きているか、健康を害しているのではないかという問い合わせであり気遣いでもある。ありがとうございます。憎まれっ子世に憚ると云うように、精神的には少々きついなと思いつつも、身体的にはまあ元気にしています。タケノコイモ、サツマイモ、トウガラシ、柿と渋柿の収穫、そしてジャガイモやジャンボニンニク、ダイコン、タマネギなどの植え付けに追われているだけである。この肉体労働が精神の安定にとても役立っていることを実感している。ブログが止まっているのは、あれこれと書いてきたコロナについての予想が悪い意味で当たり過ぎた事にある。今後の成り行きを考えても、余りにもあって欲しくない未来を予想せざるを得ない。この社会的発狂現象を後押ししている政府とマスコミに限りない怒りを感じているのだが、残念な事にそうした怒りを発言できる雰囲気が次第になくなってきているような気がする。

 当然の事だが、私の意見は世の一般的な意見とは常に大きく異なる。いつも少数派として生きてきたので、個人としての孤独感には慣れているのだが、今回はなんとも空気の匂いが違う。21世紀の世紀末がもう来たような感じがする。

 と書いてから、また4週間近くが経過した。このコロナ騒ぎについて考えに考え続けてきたのだが、今後どんな形で進むのか、余り嬉しくない予想が現実化しそうな状況である。だが、それは書かない。他の人たちが十分に書いているからだ。新型コロナ感染症並びにそのワクチン擬の影響については、前回紹介した荒川央 (あらかわ ひろし)さんが note というブログサイトで連載されている一連のブログ、これを読む事でそれなりの理解は得られればいいなと思う。彼は自然科学者として、陰謀論扱いされないよう、そして恐怖を必要以上にあおる事がないように、学問的事実とそこから導かれる推論を平易に分かりやすく書いている。さらに、科学者として専門外の論点については見事なくらい自制した書き方となっている。実に良心的な書き方であるが、それ故に普通の人が読んだ場合インパクトが今ひとつという感は免れない。彼自身ももどかしく感じているのではないだろうか。

 だが、問題がないわけではない。平易にかいてあるとはいえ、その内容を正確に理解できる人がどれだけいるか。読む側のリテラシーの問題になるのだが、これを考え始めると、頭を抱えてしまう。この問題は誰が書くとしても必ず起こってくる問題で、科学的にわかっている範囲で、良心的に書こうと思えば思うほど分かりにくくなるのである。科学的な事実など無視して、安全だから打て打てというマスメディアの意見の方が、一般人に対してははるかに説得力を持つように聞こえるようだ。もっとも、科学的な事実など無視して怖い怖いと煽る記事も存在する。人類が未だに解明しきれていない免疫と呼ばれる現象、感覚として捉えがたい分子生物学の知識と実験手法、ワクチンという言葉に付随する病気から人を守るものという常識、ワクチンの定義を飛び越えた核酸ワクチン擬、副作用と副反応という用語に伴う誤解と混乱、薬事法に伴う認可システムの暴走、さらには政治家達の無知と危険な政治利用などなどが相まって、まだしばらくは迷走いや暴走を続けるだろう。

 他人のブログを褒め、それを読めと書いて自分の意見は言わないなど、無責任で酷いと思うのだが、言霊をどこかで信じている爺にとって、悲惨な事を書き続ける事は可能な限り避けることにする。

 そうした悲惨な未来が予想できる段階でどうすればいいか、かなり危険な発想だと自認しているがそれを少し紹介したい。とはいえ、読者はこれを信じる必要は全くない。私としては、こんな見解を押し付けるつもりも理解してくれというつもりも全く持ち合わせていない。そんな見方もあるのかなとお話として読んで頂ける方がいれば良いなという程度である。ただ、結論の部分だけは重要であるとと考えている。

 まず、このコロナ感染症とコロナワクチン擬騒ぎの大きな絵を描いたのは誰かという問題である。五人や十人で企画できるような騒動ではない。食糧危機とインフレ、そして環境問題を絡めた現在の状況を考えれば、裏で超絶的な権力とお金を持ち、かつ宗教的な情熱と信念を持った人たちのグループであると考える。この段階でもう陰謀論のレッテルを貼られる事は間違いないとしても、空想を続ければこのグループの人々は、現在に至っても明確な形で表に出てきていないと予想する。私程度の情報しか持たない人間が、このグループの人達を名指しで断定できるはずはない。我々に見えるのは、上のグループが作った計画に沿って、マスコミやネット上で派手に動き回っている下部組織の人たちである。この中には大富豪と呼ばれるグループ、政治家、一部の自然科学者、人文科学者、社会科学社、ビッグファーマと呼ばれる世界的薬品会社のトップ達、そしてマスコミやSNSのCEO達、さらにWHO、FAOなど国際機関のトップたちが存在する。

 さてこれからも妄想が続く。信じてはいけない。このコロナ感染症とワクチン擬騒動についてだが、日本では一段落しているように見えるものの、諸外国の現状を見るとしばらくはもっと激しい混乱が続いて行くだろう。ワクチン擬を接種した人々とワクチン擬を拒否した人々との反目、政府機関によるワクチン擬接種誘導と強制が暫くの間強まるのは間違いない。ただ、ワクチン擬の副作用とされている本反応が顕在化してくるにつれ、政府機関、ワクチン擬を接種した人々、ワクチン擬を拒否した人々の間で相互不信が極限にまで高まってくるのではないかと予想する。誰を信じてよいのか皆目見当もつかない世の中になるだろう。歴史を眺めれば、この形での混乱が起こった国はいくつも存在する。不幸な事だが歴史は繰り返すに違いない。

 こうした相互不信の混乱の中で、どういう形になるか定かには予想できないが、混乱を収める救世主として白馬の騎士が出現すると思う。但し、このホワイトナイトこそが、ホワイトナイト仮面をかぶったコロナ騒動の首謀者だと推定する。そして次に起こるのが、「狡兔死、走狗烹。飛鳥尽、良弓藏。敵国破、謀臣亡。敵国破、謀臣亡」。韓信列伝からの引用だが、きっとそういう現象が起こるだろう。ここまで書けばその後がどんな形で進んで行くのかについては、容易に予測できるのではないだろうか。

 「シェディングと呼ばれる現象が存在する」と発言すると、即座に陰謀論者であると認定されるのだが、残念な事にこの断定は断定する人が無知蒙昧であることを意味しているに過ぎない。もしシェディングと呼ばれる現象を否定するとすれば、ワクチン研究者は全て陰謀論者という事になる。ワクチン研究者にとって、長い間使われてきた生ワクチンの非標的生物に対する影響(感染)が存在する事は常識であるからだ。卑近な例だが、生ポリオ・ワクチンにおいては、免疫が成立した赤ん坊から親にかなり高頻度で感染することがよく知られている。(http://dbarchive.biosciencedbc.jp/archive/diam_safety_literature/LATEST/document/059/059-fulltext.pdf) そうした現象が、新型コロナウィルスに対して作られたRNAワクチン擬においても起こっているのではないかという疑問は、陰謀論でも暴論でもなくきわめて正当な科学的な問いかけである。これを陰謀論として切り捨てる反知性的態度こそが陰謀論である事は間違いないだろう。

 では、この現象が新型コロナウィルスに対して作られたRNAワクチン擬においても起こっているのだろうか。この点については色々な報告が上がっているだけでなく自らの経験も含めて、何らかの現象があるように感じている。あからさまに言えば、ここまで接種した人が増えたという状況下において、新型コロナRNAワクチン擬の影響を免れている人はいないということだ。従って、新型コロナRNAワクチン擬について、接種者と非接種者の対立などあり得ない。この対立を煽っている人たちの無知さに呆れ果てているというのが私の感想だ。我々にとって目下の急務は、新型コロナRNAワクチン擬の後遺症と呼ばれている副反応ではない主反応に対する治療法の確立であろう。スパイクタンパク質という悪意の塊のような毒タンパクの作用を緩和し治療する方法の確立は、作用の発現メカニズムを考えると非常に難しいと思う。とはいえ、分断を煽って扇動する一部の人たちに騙されることなく、冷静かつ知的な対応が求められているというのが私の現状認識である。

カテゴリー: 新型コロナ感染症, 未分類 パーマリンク