我田引水、何でも自分のことに託つけて考えたり書いたりするようだが、今日以下のようなニュースがあった。
長崎県
長崎県では、西海市で14日夜、近所の人の様子を見に行った民生委員の女性など、70代の女性2人が用水路で見つかり、その後、死亡が確認されました。
そうなんです。私も民生委員をしているため、先日からの豪雨に際して一人暮らしのご老人の様子と、場合によっては避難の諾否などを確認するために、戸別訪問をした。途中に小さな川が流れているのだが、いつもの小川ではなく落ちたら絶対に助からないほどの水量と流速で流れていた。一旦渡ると、帰れないかもしれない。さらにだが、回ったご老人の家は、ハザードマップでは崖崩れの危険地帯に指定されている。一人で回るのは心細かったので区長と相談の上、いつも持ち歩くことのない携帯電話を持って二人で回ってきた。余りにも強雨が続くので、次の日にも再度訪問した。
家にいると、携帯電話に緊急速報メールが次々とはいる。でも、その度にアタフタと動けるわけではないし、ご老人方は避難には消極的である。いままでここは安全だった、砂防ダムが出来たのでもう大丈夫だろう、足が痛いので床で寝たら起き上がれない、トイレが近いので他の人に迷惑をかける、何人も集まる場所はコロナが怖い、知らない人たちと一緒では眠れないし落ち着けないなど理由はさまざまだ。本人達の立場に立てば、そうだろうと理解できる。当然の話だが、無理強いなんか出来るはずもない。区長と二人で、何かあった時のアリバイと言い訳作りみたいなもんですなと話しながら帰ってきた。
アマチュアに毛の生えたレベルの農業でも、実際にやっていると天気予報は欠かせない。薬撒き、肥料撒き、種まき、苗の移植、収穫、どれも天気を見ながらの作業である。では天気予報は信頼できるかといえば、これが思った以上に信頼できない。梅雨明け十日とか秋晴れの期間など、天候の安定した時期であれば予報は当たる。でも、そんな時期であれば、天気図を見るだけで誰でも予報できる。予報が難しい梅雨末期の豪雨、何処で激しい雨が降るか、住んでいる地域の明日の天気はどうなるのかという予報は、余り当たらない。気象庁が出している降雨予報の的中率は70%程度である。何もしなくても絶対当たる時期の日数を引いて計算し直せば、50%程度まで落ちるのではないだろうか。であれば、予報なんてコインを投げ上げる博打と同じである。自己責任で天気図を見るしかないと達観している。
気象庁を貶しているのではなく天気とはそういうもんだと云っているだけだ。線状降水帯が発生する時刻と位置を事前に正確に予想できると考えるほうが間違っている。ほんの数キロ離れているだけで、片方は洪水で死者が出ているのに、他方は宴会の真っ最中などということは起こるのである。数年前、朝倉市で大水害が起こったのだが、5キロどころか3キロも離れていないのに、そんなことが起こった。筑後川を挟んで浮羽側では大した被害はなかったのに、次の日に見た朝倉側の山肌は崖崩ればかりだった。と書いていたら、雨は降っていないのに高齢者等避難情報が携帯に入った。困ったな、余り頻繁に訪問しても狼老人になってしまう。
気象庁は今月13日に、小笠原諸島の硫黄島の南にある海底火山である福徳岡ノ場で噴火が起こり、海底からの噴火でありながら噴煙の高さは海面から1万6000メートルに達したと発表した。対流圏をはるかに超える噴煙の高さから見てかなり大きな噴火であったことは間違いないだろう。14日にはやはり小笠原諸島の西之島で、去年8月以来の噴火が起こったそうだ。一つ一つの噴火でどうこう言うつもりはないが、東北大震災以降「富士火山帯」と「霧島火山帯」が活動期に入ったとされている。今回の二つの爆発がガス抜きとして働くのか、それとも箱根山、富士山へと連なる活動であるのかは注意しておく必要はあるだろう。さらにだが、この火山帯の活動が南海、東南海あるいは首都直下型地震と連動する傾向を持つことを考えれば、日時を指定した予知に脅える必要はないと思うが、何らかの備えが必要な時期に来ているような気がする。