真理教は大嫌い

 何事にせよ、ある個人が彼・彼女の知り得ない世界があることを知らずに、これが正しい、これが一番良いと思い込むことはよくある事である。事の正否に関わらず、まあそこがその人の限界だと思えばよいだけの話だ。こう書くと偉そうに何を言うと怒る人がいるとは思うが、それは誤解が原因である。私にだって分からないことは山ほどある。何しろ算数はわかるが数学はわからない。絵画が分からない。焼き物もわからない。プログラミングも分からない、量子論も高級車の良ささえも分からない。日本酒の善し悪しもワインの善し悪しもほとんど分からない。ワインといえば赤玉ポートワインが一番美味しいという人達とさほど変わらないだろう。本音を言えば、一寸フルーティな石狩ワインの方が良いなと思う程度。詰まる所、分からないことがあることを自認し、それらについて私以上に識別・理解できる人がいることに気付いているかどうかの問題である。但し、ここで言う正否・善し悪しは、通常世間で認められてものであって、個人的好き嫌いとは別世界のものである。

 個人的好き嫌いは、その人の個性の一部である。私なんていわゆる高級なフルコース料理を美味しいと感じた事はほとんどない。何しろ、牛肉を食べると腹具合がおかしくなる。当然の話だが、吉野家へは付き合いで行ったほんの数回程度、バーベキューや焼き肉など親の敵みたいなものだ。つきあいで参加せざるを得ない時は、隅っこで半焼けの野菜をついばんでいる鶏と変わる所はない。甲殻類も性に合わない。タラバガニを食べたのも数回程度かな。海老天は何とか大丈夫だが、ごぼう天があれば間違いなくそちらを選ぶ。巻き貝も苦手である。一度、浜松だったかな、接待の席で巻き貝らしいやつの刺し身を食べ、その後二日程和式トイレに隠ったことがある。以来、サザエもアワビも食べていない。あれ、アワビは巻き貝だったかな。確かそうだったと記憶している。

 そういう個人的なことはどうでも良いとして、何が正しいのかと問われた場合、絶対的な自信を持ってこれが正しいなどと言えるはずもないことは分かっているつもりだ。だが世間には、知識に欠け、問題の本質を認識も理解も出来ていないにも関わらず、自分の意見や解釈を他人に押し付ける人々が沢山存在する。そんな人が嫌いだというだけである。

 これが嗜好品の話であればまだ何とか許せるのだがと書きかけて、そうでもないことに気が付いた。禁煙真理教、禁酒真理教、禁鯨真理教、禁豚真理教など、近頃とみに自らの嗜好を押し付けたり、自国の宗教的な慣習を押し付けたりする例が増えてきた。禁炭真理教、禁油真理教、禁肉真理教、数え上げれば切りがない。何でこんなに窮屈な社会になってきたのだろう。

 そこでまた新型コロナ感染症に戻るのだが、ここにも真理教信者が溢れている。コロナウィルスいない真理教、新型コロナ怖い怖い真理教と新型コロナは軽い風邪真理教、マスク真理教と反マスク真理教、コロナワクチン愛好真理教と反ワクチン真理教、もういいかげんにしてくれと言いたい。このワクチンが好ましくない事は間違いないだろう。

 https://ikenori.com/pdf/list_of_ae_pfizer.pdf

 今我々に必要な事は、何度も書くようだが有害なスパイクタンパク質を解毒する方法を見いだす事である。それはワクチンを接種した人達だけではなく、接種していない人達にとっても不可欠なことである。いま、打ったか打ってないかで人々を分断する政策を受け入れるのはこの政策を進めようとしているグループの思うつぼに嵌まってしまう。昔から言われている事だが、予防医学という分野は政治と結びついた時にとんでもない方向に走ってしまう性格を持っている。変な健康指向がいつの間にかそれを助長してきたようだ。

 大事な話だが、現在パンデミックが起こった場合に、その対応をWHOの権限下に置こうとする議論が進んでいる。現在の製薬会社の意向のみに従うWHOをそこまで信頼できるのだろうか。国際条約の形で決まるとするとすれば、日本では条約での決定は憲法の上位にくる。例えば、WHOがワクチンの強制接種を決めれば我々は無条件に従わなければならなくなるのである。世界中でこれに反対しているのはプーチンの率いるロシア1国だけらしい。確かアメリカは条約での決定より国内法を上に置いていると聞いた事がある。それなら賛成しても構わないと言う判断もありか。(アメリカの法制度のついての記述は確認が必要である。年寄りの記憶ほど信頼できないものはない・・・。自戒です。今日は人と話していてフォークリフトと言う単語が出てこなかった。)

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