それよりも、私にとっては「なぜ生物(植物?)はアルカロイドを作るのか」という問の方が大きな問題である。勿論世の中には、後付けの説明は捨てるほどある。ただアルカロイドについては、いくぶん控えめに書いてあるものが多い。確かにアルカロイドという物質群は「毒と薬の宝庫」である。化合物の持つ多様な活性から意義を説明するには事欠かないように見える。しかしながら、活性を示す対象が周りの植物や関連する昆虫だけではなく、生産する植物と余り関係のなさそうな動物であることがネックになっているようだ。こうした逡巡が、アルカロイドは窒素廃棄物という説をもたらしたようにも見える。
ケシがモルヒネをつくる目的を、ホモサピエンスを酩酊させることに求めるのは無理だろう。マタタビがアクチニジンを、ネコを酩酊させるために作るはずはない。アルカロイドに於いては、作られた後に発生するあるアルカロイドの生理活性をもって、そのアルカロイドが作られる理由とするスキームは使いづらいに違いない。他の二次代謝産物に対しては上手く機能したかに見えるこの考え方が、アルカロイドの説明に於いては破綻してしまうのである。そこに、ある化合物の生理活性を持ってその化合物の存在意義を説明するスキームそのものが間違っているではないかと異を唱える「何時もの私」がいるわけだ。
私の結論を最初に言っておくが、先祖返りの説であると云われるにしても、アルカロイドは植物の窒素廃棄物であると考えている。この説を解説するためには、まずアルカロイドと呼ばれる化合物群について、ある程度確かなイメージを示さなければと思うのだが、これはこれで大変な作業である。正面から攻撃するのでは時間と労力がかかりすぎる。ゲリラ戦的に攻めよう。
さて、窒素に対しては常に不足気味である植物が、何故窒素を捨てるのか。以前云われていた説をそのまま踏襲するのではなく、一言だけ言葉を付け加えたい。「アルカロイドは植物の意図しない窒素廃棄物である。」意図しないという言葉の中に、捨てたくない植物側の事情を反映していると考えて欲しい。
10年ほど前のことだが、科研費の萌芽研究に「生理活性物質のレトロ探索法の提案」という内容で応募した。エリシターという名で括られる化合物群がある。ここでは植物に抵抗反応を誘導する物質を総称してエリシターと呼ぶ事にするが、その中でもいわゆる内生エリシターの起源を推定し、その推定に基づきエリシター活性を持つ化合物を探索するという内容である。こう書いても何を言っているのか分からないに違いない。少し、分かりやすく説明しよう。
当時、図6-2に示すようなエリシター様活性を持つ化合物群が報告されていた。これらを見て起源を推定すれば、1はフェニルアラニンの脱炭酸で生じたフェネチルアミンとTCA回路中に存在するスクシニルCoAの反応生成物と見てよいだろう。2はトリプトファンの5位がオキシゲナーゼによる水酸化で生成した5-ヒドロキシトリプトファンが脱炭酸を受けて生成したセロトニンが、リグニン生合成系の中にあるクマロイルCoAと反応したと考えられる。(この推定に一寸だけ問題があるとすれば、5-ヒドロキシトリプトファン生合成酵素が植物では見つかっていないことである。この問題はオキシゲナーゼの基質特異性の甘さでクリアーしようと思っていた)3の化合物は2-アミノエタノール(エタノールアミン)と脂肪酸生合成系から漏れてきたAcyl CoAとの反応に由来するに違いない。4についても、チロシンが脱炭酸を受けて生成したチラミンのベンジル位がオキシゲナーゼによる水酸化を受けて生成する4-(2-amino-1-hydroxyethyl)phenolが、2の場合と同じくリグニン生合成系から漏れだしてきたクマロイルCoAと反応してできたものであると考える。
これらの化合物がエリシターという定義に当てはまるかどうかには疑問が残るにしても、生合成に関するここまでの推論には、間違いはないだろう。では、上記のような化合物群がなぜ生産されるのか。正常な状態の植物細胞において、例えばアミノ酸の脱炭酸は細胞質で起こるであろうし、Acyl CoAは葉緑体にスクシニルCoAはミトコンドリアに分布し、相互に出会う機会はないように調節されている。ところが、植物が物理的な、あるいは生物的な障害を受けた場合、障害を受けた細胞内でこれら細胞小器官の崩壊が起こり、上記の原料群が遭遇する状況が生起する。ここにおいて、正常な細胞内では作られるはずのない化合物群が、障害を受けた細胞内に出現すると考えたわけである。出現した化合物群の中に、エリシター的活性を持つ化合物があってもおかしくはない。我々は、そうした活性を持つ化合物をエリシターとして認識している考えた訳である。そうであれば、細胞小器官が崩壊に伴って生成してくるであろう化合物群を予め予想してそのライブラリーを作り、それらの生理活性を検討するという逆方向からのアプローチが成立するのではないか。それが萌芽研究の申請内容であった。評価はAであったのだが採択はされず、いつも通りお金はもらえなかった。その後、別の大きなプロジェクトに関わることになり、そちらに時間を取られこの研究に手を付けることはできなかった。
お前の話はまどろっこしいとよく云われる。それがどこで本論とつながるのか?上の萌芽研究の話もそうかも知れない。だが、植物細胞の中には、いろいろな成分が共存している。それらの成分が偶然に出会ったとき、思いも寄らぬ反応が生起し、予想もできない新たな化合物が形成される。多くのアルカロイドは、フェニルアラニン、トリプトファンあるいはチロシンなどのアミノ酸が脱炭酸反応を受けて生成したアミン類と、やはり植物細胞内で生成するアルデヒドあるいはケトンと反応してシッフの塩基となったところから生合成が開始する。私も、植物細胞に置いては窒素が過剰に存在するとは思わない。グルタミン酸、グルタミンを中心としたアミノ基転移反応群によってアミノ酸類が生合成されるのだが、作られたアミノ酸は役割を果たした後、アミノ基転移酵素の作用によりアンモニアとケト酸へ、あるいはアンモニアリアーゼの作用によりアンモニアと不飽和カルボン酸へ、でカルボキシラーゼにより生成したアミンはアンモニアとアルデヒドへと分解を受け、アンモニアは再利用されるようになっているようだ。ところが、この段階でアンモニアリアーゼによって作られる1級アミン類(トリプタミン、チラミン、フェネチルアミン、ヒスタミン)はアンモニアより反応性が高い。これらの1級アミン類がケト酸あるいはアルデヒドと反応してシッフの塩基を形成するところからアルカロイドの生合成が始まるのである。
こんな一般化した議論をしても、なかなか難しい。そこで、最も有名なアルカロイドであるモルフィンを例に、トレースする事にする。
歴史生物学 一次代謝と二次代謝 9 に続く