牽強付会

  言葉とは便利なものである。或るものを○○と命名し、ムニャムニャであると定義してやると、○○はムニャムニャという概念を含む言葉として独り立ちする。たとえその定義が不完全なものであったとしても、一旦市民権を得た言葉は生き続けるのである。生き続けるだけではなく、包含する概念の範囲を広げたり狭めたり、発音を変化させたり、あるいは語尾を補充して品詞を変えたりと、その変化の様相は進化という言葉があてはまるようだ。そういえば、進化言語学という学問分野が存在する。進化言語学においては、ヒト側の言語能力の仕組みと機能、個体発生と系統発生などを扱うようだが、一旦生まれた言語はヒトの思惑を越えて展開していくように思う。本来の意味でのEvolutionである。利己的遺伝子ではないが、言語がヒトという乗り物を利用して変化、進化しているとする視座からの学問があったら面白いに違いない。言語空間に於いて生まれた或る言葉は、生き物である。生き残るために、ヒトという生き物を支配して、自らを補強し変化し続けていく。定義論でやり合っている人々を見ると、まるで言語がヒトを支配しているかのような錯覚を感じるのである。

  こんな駄文を書いていても、言葉の壁を感じることが多い。言葉にならない概念は概念にはなり得ない。言葉が概念の限界を規定しているのである。新しい概念は新しい言葉の創造なくしては成立しない。フッサールかヴィトゲンシュタインの焼き直しのような感想だと言いたい所だが、悔しくかつ残念なことにフッサールもヴィトゲンシュタインも難しすぎて理解しているとは言い難い。

  アロモンという言葉(科学用語)がある。ある生物が生産する物質がその生産者に害を与える他生物に対してある反応を引き起こし、生産者にとって有利に機能する場合、その物質をアロモンと呼ぶ。だが、この言葉はいろんな意味で、複雑怪奇な言葉である。少し整理をしてみよう。歴史的に見ると、まずホルモンという言葉があった。ホルモンは「ある生物に於いて特定の分泌器官で生合成され、血流を通して標的器官(臓器)に運ばれ、標的器官(臓器)において特定の応答を引き起こす微量物質である」と定義されている。ホルモンは一個体内での応答に限定されていた。その後、ある個体が生産し、体外に放出した微量物質が、同種の個体に一定の行動や生理状態の変化を引き起こす現象の存在が明らかにされ、この微量物質をフェロモンと呼ぶことになった。さて、個体内で働くホルモン、同種個体間で働くフェロモンがあるのであれば、異種の生物間で働く似たような物質があっても良いではないかと考えるのは、極めて安易な演繹であろう。すぐにそうした作用を持つ物質群が見つかった訳だが、その物質群には他感作用(Allelopathy)に基づいてアレロケミカル(Allelochemical)という命名がなされた。ときにはアレロケミックス(Allelochemics)という用語も使われる。ここから名称のヒエラルキーに混乱が起こっているように感じている。アレロケミカルには、物質を生産する生物と受容する生物が存在するため、アレロケミカルによって受ける影響により4種に分類される。発信者・受信者がともに利益を受ける場合がシノモン、発信者に利益・受信者に不利益が生じる場合はアロモン、発信者に不利益・受信者に利益が生じる場合はカイロモン、発信者・受信者がともに不利益を被る場合がアンチモンとなるのである。問題はフェロモンと対応する用語がアレロケミカルであり、アレロケミカルの下にあるモンモンズがフェロモンとは対応せずに、○○フェロモンと対応している点にある。言葉のヒエラルキーが一寸違う気がする。とはいえ、現時点では○○アロモンとか○○シノモンという用語が存在しないので、これはこれで仕方ないのかもしれない。

  また命名で躓いてしまった。これではまるで命名クレーマーである。だが、名前は少々不適切であっても、その不適切さは歴史の流れを反映するものである。従って、いく分かの不適切さはあっても、その用語を安易に変えるべきではない。そういう意味では私は保守派に属する。学問の進歩を口実に、名称、単位、測定方法などを煩雑に変える学問分野は信用できない。

  とはいえ、アレロケミカルに関する用語とその概念類は、ダブルスタンダードとかトリプルスタンダードというレベルではなく、アドホックスタンダードとも云うべき構成となっており、このままでは混乱を助長するだけだと思う。化学生態学を指向する研究者の集まりの中で再検討されたらどうだろう。以下に理由を述べることにする。

  再度確認しておくが、アレロケミカルはその影響により4種に分類されている。発信者・受信者がともに利益を受ける場合がシノモン、発信者に利益・受信者に不利益が生じる場合はアロモン、発信者に不利益・受信者に利益が生じる場合はカイロモン、発信者・受信者がともに不利益を被る場合がアンチモンとなるのである。アンチモンについてはこれを認めない考えもありそうである。自分に不利に働くものを出すということ自体が一寸以上に合目的性を損なう概念であるからであろう。ただ、偉い先生が、壇上で自信満々にそう言われると、一瞬そうかと信じそうになる。しかしながら、この定義はすぐに破綻する。例えばシノモン、例えば花蜜、放出する植物にとってミツバチがきて花粉を運んでくれればシノモン、しかし、マルハナバチがきて花を横から食い破って盗蜜されたらカイロモンとなる。アゲハチョウの幼虫が臭角から酪酸を含む匂いを出して、相手が逃げてくれればアロモン、その匂いで寄生蜂がやってくればカイロモンとなる。

  こんなブログを読んでいるヒトであれば、植物のアレロパシー現象については当然ご存じだと思う。セイタカアワダチソウは外来のキク科植物で今の時期に花を付ける。この植物は、根からシス-デヒドロマトリカリアエステルを分泌する。この物質は他の植物の発芽・生育を阻害する。従って、セイタカアワダチソウが繁茂する群落ができると云うのだが、この物質の濃度が高まってくると分泌しているセイタカアワダチソウ自身にも生育抑制が起こるという。そうなると、どうなるか。当初はアロモンとして機能していたシスデヒドロマトリカリアエステルが、時間の経過とともにアンチモンに変貌していく。

  もっといろんな場合が考えられる。あなたがスパイに追われているとする。机の下に隠れてようやく逃げ切れたかなと思ったときおならがでてしまった。この匂いでスパイが逃げ出せばアロモン、この匂いで発見され拉致される場合はカイロモン、火災報知器が反応して自動消火設備が作動し二人とも窒息死したらアンチモン、これでは一寸以上に困ってしまう。

  この定義の底流には、私がこの言葉を作ったと云いたそうな雰囲気が見える。だが、批判はできない。その程度の名誉欲であれば、研究者の誰もが持つものであろう。化学生態学の発展途上において、色々な現象をどうまとめて概念化するかという試行錯誤の一例として捉えればいいだろう。この場合の定義の失敗は、放出する側と受容する側の種数の多さだけでなく、応答の多様性を甘く見たことによる。要するに、生物の種類と生き方の多様性を甘く見て、味や匂いに対する好みを定義に含ませた時点で混乱が生じたわけである。

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