Nectar guide

  少しばかりブログの更新が遅れている。行き詰まっているわけではないが、公開前に読んでおきたい論文があって、この入手に手間取っている。現職であればと思わないでもないが、考えを醗酵させる時間が取れたと考えておこう。この間、書き足りなかったいくつかのことを、単発的な形で書くことにした。

  以前に植物の色素について述べた。「人間、バケツの穴理論」のことである。我々が感知できる可視域の光にかまけて、紫外域の光を見落としてきたのではないかという内容であった。この議論の中で、煩瑣になることを恐れて素通りした項目がいくつか存在する。それについて少しだけ付け加えておきたい。

  紫外線写真というものがある。可視光線と赤外線をシャットアウトして、紫外線の反射光で写真を撮ったものである。当然の話として、可視光線で採った写真とは異なった画像がえられる。以下に二つのホームページのアドレスを示す。

1. http://www.fukuoka-edu.ac.jp/~fukuhara/uvir/hana_uv.html:このページには紫外線写真の取り方を含めいくつかの花の紫外線写真が紹介されている。

2. http://www.naturfotograf.com/UV_flowers_list.html :多種類の植物の花の可視光での写真、紫外線写真、蛍光写真、赤外線写真など、豊富な写真が見られる。

  紫外線部分を使って花の写真を撮ると、当然ながら可視光で撮ったものと違う模様が現れることがある。この現象は、植物の花の部分におけるUV 吸収を持つ物質あるいはUVを反射する物質の分布を反映するものである。私は先に述べたように、花における葉緑素の消失と、花色色素であるカロテノイド、フラボノイドそしてベタレインの存在を、UV光、可視光を含めた光傷害(直接的な核酸やタンパク質に対する傷害と光照射に伴い発生する活性酸素傷害)からの防御の観点から好ましかったであろうと考えている。もう少し正確に言えば、「葉緑素を持たず、かつ有害な紫外部と可視部で光を吸収するカロテノイド、フラボノイドそしてベタレインを含む花を持つ植物のほうが、有害な突然変異が少なかったであろう」と考えている。

  一方、この模様を虫や鳥に蜜のありかを教える印だとして解釈する考え方がある。蜜標(Nectar guide)という概念をもって、虫や鳥が紫外部で見ると黒く見える部分に導かれると説くのだが、余りにも筋の悪い仮説のようだ。花の中心に黒く写る部分があると、それは蜜のありかを示すシグナルであると説明し、アルストロメリアやツツジのように花弁上に黒い部分があると、それは昆虫が着地する位置を示す役割を持つという。そうした吸収パターンを持たない植物も多数存在する。多くの虫を集めるヤブカラシの花には特徴的なパターンは存在しない。花全体がUV吸収を持つ花もあれば、UVを反射する花もある。この辺りの議論については、次の和文の文献を見て欲しい。

福原達人(2008a)植物形態学、紫外線透過フィルタで撮った花。

http://www.fukuoka-edu.ac.jp/~fukuhara/uvir/hana_uv.html

山岡景行、文系学生のための生物学教材の改良、IV:被子植物の蜜標、その2 蜜標の擬似紫外線力ラー画像、東洋大学紀要 自然科学篇 第53号 69-87(2009) http://id.nii.ac.jp/1060/00002546/

  山岡氏はその中で、「筆者の自宅がある千葉県柏市郊外ではホシホウジャクMacro-glossum pyrrhostictaが、オオマツヨイグサが開花する時間帯である日没前に花々を求めて庭を乱舞する。同種はこの時間帯にメドウセージSalvia gztaraniticaやチェリーセージS.microphylla、オオマツヨイグサに群がる。日没後を過ぎるとオオマツヨイグサを訪れる昆虫は、ブドウスズメAcosmeryx castaneaやオオマツヨイグサを食草とするベニスズメDeilephila elpenor lewisiiに交替する。黄昏時ならばいざ知らず、日没後で灰かに見えるだけのオオマツヨイグサに刻まれた蜜標紋様が役に立つとは考えにくい。

 ミツバチを使ったFrish達の鮮やかな実験の印象が強すぎて、訪花昆虫が全てRを見えずにUVを見ると考えがちであるが、これは問題でありUVだけに着目するのは危険である。」と書いている。

  論文中の「Rを見えずに」の部分は意味不明だが、「可視域での光を見ずに」という意味だと解釈した。そう考えれば、彼の発言に同意できる。UV域での像だけでなく可視域での像も含めて議論すべきであるし、彼が述べているとおり誘引性を持つ、花の香気成分も当然考慮すべきであろう。私に云わせてもらえば、花のサイズも考えるべきである。西洋アブラナ(菜の花)の中心部分に紫外線写真で黒く写る部分があり、これが蜜標だと云われても納得できない。ミツバチと花のサイズはほぼ同じで、ハチが止まればその下に蜜腺がある。止まった状態で蜜標がなければ蜜腺にたどり着けないミツバチなどいるはずがないだろう。

  さらに、植物は花以外の部分からでも蜜を分泌する。花外蜜腺と云われているもので、ソメイヨシノやアカメガシワ、カラスノエンドウ以外にも多くの植物に存在する。どう説明するのだろう。そうか、アリ植物という概念があった??

http://www.agr.kyushu-u.ac.jp/lab/ine/ueno/attract2.html
http://www.fukuoka-edu.ac.jp/~fukuhara/keitai/kagaimitsusen.html

  さて、世の中には擬似相関(Spurious relationship)と呼ばれる相関のない関係が存在する。2つの事象間に相関がないにもかかわらず、いかにも因果関係がありそうに見える場合を指す。「ガスストーブの使用時間が長くなると脳卒中患者が増える」とか、「朝食を規則正しく食べると成績がよくなる」「髪の毛の長い小学生は言語能力が高い」「アイスクリームの消費量が増えると水死者が増える」など、色々な例がある。

  多くのデータがあるとき、恣意的にある傾向を持つ例だけを抽出すれば、どんな結果でも導くことができるということだろう。科学を志すものとしては、決してやってはいけないことである。紫外線写真の解釈においても、肉眼で見えないものを初めて見つけたという喜びと興奮はあったことは理解できるが、蜜標(Nectar guide)という概念を提案するについては、もう少し冷静にかつ理性的に考えるべきであったと思う。

  山岡氏も、あそこまで蜜標(Nectar guide)という現象に疑問を呈したのであれば、一歩進めてこの概念を否定しても良かったのではないか。紫外線吸収パターンに基づくNectar guide という概念の前に、ハチが食料である蜜と花粉を見つけるためにFlower guides を利用するという先行する概念があったとはいえ、検討した母集団の選択が余りにも不適切であろう。私は過激だから、Nectar guideを含む Flower guidesというアドホックな定義そのものを否定する。

  植物が蜜の分泌をはじめたのと、昆虫が蜜の利用をはじめたことを時系列で並べれば、前者が先行することは論を待たない。とすれば、なぜ植物は蜜を分泌するのかという問いにまず答えなければならない。殆どすべての植物が蜜を分泌するとすれば、蜜の分泌をしなければならない必然が植物側にあると考えるべきである。その分泌された蜜に対して、昆虫がどう絡んでくるかは、次の段階の問題である。植物は虫を呼び寄せるために蜜を分泌したのではなく、植物が蜜を分泌したから虫がよってきたのである。

  分からないものを分からないままにおいておくことに、たまらない不安感を感じる人がいるらしい。私にはその傾向はない。分からない事柄について記憶はするし考えることを止めはしないが、時には人智を越えたものだとして残しておくことが少しも苦痛ではない。考えるネタがあるということは幸せではないか。アリ植物という概念においても、Nectar guideの場合と同種の時間錯誤が起こっている。この件については次回に書こう。

  近頃、植物が蜜を分泌する理由が分かってきた‥・気がしている。物理学における統一理論みたいな話になるが、植物における色々な現象を包括的に説明できそうである。この話は、章を改めて近いうちに論じることにする。

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