独立ドツボ

  プロフィールにも書いたが、16歳までは実に虚弱であった。その後、人が変わったように元気になったとはいえ、全ての症状が消えたわけではない。身体にストレスがかかったとき、時として呼吸困難が起こるのである。体調が悪いから起こるわけではないし、良いからといって起こらないわけでもない。もちろん、こんなことを他人に語ったことはない。語ったところで、解決する訳でもない。だが、これが原因で、誤解を招いたことは数え切れない。呼吸が苦しくなると、喋りがちょっと不自由になる。従って、無口になる。そうすると、機嫌が悪いと誤解される。この誤解はそのままにしておいた方が楽である。しゃべらなくて済む。

  山に行くのは大好きである。但し、単独行。他の人と一緒に登ったのは片手で数えられるほどしかない。山行きが好きと言うことでいろんな人に何度も誘われたが、断らざるをえなかった。先に言ったように、登り初めて10分も立たないのに突然呼吸が苦しくなることが、たまに起こる。その場で待ってもらったからといって、回復するかどうか分からない。一緒に行こうと前もって計画して出かけたのに、10分も歩かないうちに「調子悪いからここで抜けるわ」とはなかなか言えない。一人であれば、しばらく様子を見てまた歩き始めても良いし、山麓の散策に切り替えても良い。一人であれば、山頂目前であっても引き返すことができる。

  もう一つ、理由がある。それは行動原理と行動時間が他の人とかなりずれるからである。登山と言っても、山頂にたどりつくことは私の一義的な目的ではない。鳥の声を聞くことを目的にすれば、彼らがもっとも良く囀る朝の5時から7時頃に、探鳥のポイントにいなければならない。トラツグミやコノハズクなど夜行性の鳥たちの声を聞きたければ、深夜とは言わないまでも、夜の9時か10時頃までは現地にとどまることになる。さらに、これらのポイントは登山道から外れている場合が多い。

  虫も好きである。先日、職場の裏庭にイシガケチョウがいた。こんな平地にいるとは珍しいと座り込んで見ていたら、気分でも悪いのかと心配された。山道を歩いていて、突然ギフチョウだ、ひょっとしたらオオウラギンヒョウモンかもしれないと言って藪の中へ駆け込み、なかなか本道に出てこない人間としては、本道を粛々と歩き続ける人達と幾分かの距離を取らざるをえないではないか。

  こう書きながら、改めて私の人生によく似ていると思ってしまった。常に単独行、脇道大好き、頂はちょっぴり嫌い、仕方なく少数派、でも自由。精神が身体の行動様式を決めるのではなく、身体が精神構造を決めていたのである。

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