半分愚痴

9/2

  昨日(日曜日)は一日中よく降った。気温は20度台まで落ちたし、湿度は高い。イネの穂首イモチが発生するのに最適な天候になっている。余り薬は使いたくないが、この状況では仕方がないかなと考えている。とにかく現場を見なければ判断はできないと、雨ではあったが出かけていった。状況は余り良くない。ここ数日の間に決めなければならないだろう。ただ、断続的な雨が降るという予報の下では、薬を撒くタイミングが難しい。通作農民のつらさである。ついでに栗園にも行ってみた。雨が強く降っている時の山道は、かなり怖いものである。私の土地に生えている大きくなった臭木の枝が雨粒の重みで折れ、道をふさいでいた。雨合羽の用意もなかったしチェーンソウも持ち合わせていなかったが、そのままでは通行の邪魔になる。仕方なく刃渡り15cmくらいの鋸で、枝を落とし何とか通れるようにした。ずぶ濡れである。さらに周回道路を歩いてみると、水路にフタが落ちてゴミがつまり水が道路上を流れている。このままで豪雨にでもなれば、路肩へと水があふれて道路崩壊の可能性もある。ということで、山小屋に戻りクワを持ち出して水路の清掃、それから帰途につく。結構疲れたらしく途中で眠たくなった。セブンイレブンの駐車場に入って1時間程仮眠した後、帰宅した。カキ畑も心配である。この天候では、フジコナカイガラムシ、炭疽病、カメムシには注意を払わねばならない。

9/7

  天気予報は今日一日、降水確率は50%だという。なんとも頼りない予報である。昔から、気象台、気象台、気象台と三度唱えて食えば、フグ毒には当たらないという話があった。近頃、予報精度が上がったと言われている。だが、時々雨という予報と、降水確率50%という予報のどこが違うかと考えると、余り違わないのが実感だろう。もちろんお金を掛けてレーダーを作り、いまある地域では激しい雨が降っています、隣の市では30分後から雨が降り始めますというタイプの予想は発達した。しかし、6時間後、12時間後のある地点での天気に関しては、殆ど進歩していないように感じる。これは批判しているのではなく、こうした予報がとてつもなく難しいことを理解した上での述懐である。言い換えれば、いまの2倍のお金をかければ、2倍の予報精度が得られるものではないと言っているだけである。明日は晴れ、時々曇り、ところによってはにわか雨と言う予報を受け入れるくらいの余裕を持とうではありませんか。

  とはいえ、農薬をいつ撒くかという判断において、雨の情報は重要である。散布した直後に雨に降られれば、薬の効きが悪くなるだけではない。薬代が無駄になる。さらに、各薬剤について、収穫までにある回数しか使ってはいけないという規則がある。その1回分のカードが無駄になることを意味する。カキの炭疽病とカメムシ防除剤、イネのイモチ病防除剤、撒こうか撒くまいかと空を見上げながら、庭の手入れをしていたら午後6時を過ぎた。一時に比べると日も短くなったことでもあり、諦めて帰宅。

9/8

  急に涼しくなったとはいえ、昼間はまだ暑い。今日を逃すと、防除が1週間伸びてしまうと、朝早めに出発して午前中にカキ畑の下草刈りを終わらせ。近所にある道の駅は客であふれている。昼飯を買いに行こうにも入り口が渋滞していて近づけないほどだ。再来年くらいからは私も出品するかもしれないので文句は言えない。家から持ってきたお握り1つを食べただけで、水田でのイモチ、カメムシの防除剤の散布をおこなう。ついでに、先日の雨で詰まってしまった水路の掃除と大きく伸びたヒエの抜き取り、畦の草刈りまで終わらせた。続いて、カキ園での農薬散布、雨合羽を着てゴーグルとマスクを着用し、ゴム手袋と長靴を履いての作業であるため、少し涼しくなったとはいえ暑いことこの上ない。まして、余り周囲に飛散しないようにと手掛けモードでの散布をしているため、長いホースを持って園内を歩き回ることになる。汗が目に入るのだが、これが拭けない。拭こうとすると散布を止めて、手袋を外し、ゴーグルを外さねばならないのだが、汗でゴム手袋が中々外れない。我慢しながら続けていると、今度はゴーグルの内側が水滴で曇ってくる。散々である。

9/16

  初めて農民をなった時、クリ畑7反が所有農地であった。その後、3反の水田が、そして2反余りのカキ畑が増えた。いままた、3反ほどの水田を買わないかと言われている。田舎は人手不足である。だが、若い人に農業をしないかとは、とても言えない。余り報道はされないが、今年の3月段階でも44カ国で日本産の農産物に輸入制限をかけている。昨今の、汚染水の報道を観ていると、その報道に関してはunder control かもしれないが、実態はout of control であろう。外国の通信社の記事は、極めて辛辣である。そのような状況下に、日本の農産物は外国で売れる、農業はTPPで成長産業になるなどという報道には違和感を感じざるを得ない。さらに世界的な異常気象の連続である。食糧がふんだんにあるという時代は長くは続くまい。では、日本の農地を誰が維持するか。

  農民になるためには農地がいる。農地の購入は農地法によって一定の制限が課せられている。私がクリ畑(当時はクリも植えてない)を買おうとしたとき、地域の農業委員会はパスしたのだが、県の農業事務所から呼び出しがあった。その席で、年収400万を達成できますかと言う質問が出た。「7反のクリ畑だけで400万の収益、そりゃないでしょう。一般農家の平均年収はどのくらいですか」と尋ねたが答えはなかった。いや年収400万が、県として目標としている値だからというのが回答だった。「目標が年収400万であれば、現状はもっと低いと判断します。永年農業をやってきた方がそうであるのに、この爺の新米がそんなに稼げると思いますか。それは過大評価です。私は、間違いなく半分も稼げない。しかし、私には少しだが年金がある。農業で稼げなくとも、何とか食える。いまから、健康の続く限り、買った農地を荒らすことはしない。農地を使える状態で維持していくことは約束します。耕作放棄地を増やさないという観点からの許可をお願いします」と答えて帰ってきた。

  それで許可になった。従って、私の農業はお墨付きの儲からない農業である。金銭的に大赤字である。無駄な労力をつぎ込んでいる。時間についても浪費に近い。働いた後は飯がうまい。これは食費がかさむことを意味する。思わず、ビールを飲む。納める酒税が増える。だが、濡れ落ち葉的な老後の生活よりはるかに楽しい。

  いくぶん惚け気味である。日付けに間違いがあるかもしれない。愛嬌であろう。

カテゴリー: 未分類 パーマリンク