そうした立場から眺めるとすれば、poly-cis-carotenoid pathwayとかall-trans-carotenoid pathwayとかいう経路の中で、cisであるtransであるというような小さな差異で議論するのは適当ではなく、プラストキノンをはじめとするキノン類を酸化剤として用いる酵素群[EC 1.3.5.5 and 1.3.5.6]と酸素を酸化剤として用いる酵素群[EC 1.3.99.26, 1.3.99.28, 1.3.99.29, 1.3.99.30, 1.3.99.31]に分けて捉えればよいようだ。
図7-6に示すように、左側に示すpoly-cis-carotenoid pathwayで働く植物の脱水素酵素群は、酸化剤としてプラストキノンをはじめとするキノン類を酸化剤として、分子状酸素の関与なしに二重結合を形成し、リコペンまでの生合成を達成する。一方、図の右側に示すall-trans-carotenoid pathway において働くEC1.3.99.26、1.3.99.29、1.3.99.28、1.3.99.30、1.3.99.31の酵素群は酸素を酸化剤として機能する酵素群であり、これらの機能はシアノバクテリアの分子状酸素生産が始まった後で出現したものであると比定できる。面白いことにこのall-trans-carotenoid pathway系において働く植物由来の酵素EC1.3.5.6は、poly-cis-carotenoid patheay で働くEC1.3.5.6と異なり、酸素を酸化剤にして脱水素を行う。どうやらpoly-cis-carotenoid pathwayの起源は、all-trans-carotenoid pathwayに比べ遠い時代にあるに違いない。
植物は、細胞内に酸素を発生する細胞小器官を持ち、細胞内酸素濃度が非常に高いにもかかわらず酸素を用いずにリコペンを作る経路を持つ。カビやバクテリアは、細胞内酸素濃度が低いにもかかわらず、酸素分子を酸化剤にしてリコペンを作る。状況から見ると完全に矛盾しているように見えるが、歴史的に見ればこれでよい。
ちょっと困っている。このまま続けていくと話が、あまりに専門的なところに入ってしまい、いわゆる生合成オタクの人でないと読んでくれない。非常にデリケートで面白い部分ではあるが、思い切り内容を端折ってとにかく最後までたどり着くことにする。
こうして生合成されたリコペンは、lycopene-β-cyclase(lcyB, crtL, crtYと略記される異性化酵素)の作用により両側の末端が順に環化され、γ-caroteneを通って2つのヨノン環を持つ β-caroteneがようやく生合成されることになる。この閉環反応も無酸素的に進行する。改めて強調しておくべきことは、β-caroteneは分子状酸素の関与なしに生合成される事実である。
一般に「アブシジン酸生合成系」と呼ばれている一連の系においては、このβ-caroteneまでのプロセスで道半ばといったところだろう。残り半分、ここまでと同じような話が続くのかと辟易する方もおられるに違いない。確かに、反応を追っていくことにおいては同じだが、系の中で起こる反応の種類が激変する。少し先走るようだが、β-caroteneを歴史的視座からみた側面について、ここで一寸触れておくことにする。
植物における β-caroteneを含むカロテノイドやキサントフィルの存在意義は、長い間集光性色素として働くことにあると考えられてきた。しかし近年では、光照射に伴って生成する励起されたクロロフィルの消去に関与するだけではなく、植物体内で生成した一重項酸素やペルオキシラジカルの消去を通して、酸素傷害防御物質としての重要性が明らかになってきた。地球上で最初に酸素発生型光合成を始めた生物であるシアノバクテリアにおいても、β-caroteneは光合成中心の周りに分布し活性酸素の消去に機能している。
さらにいえば、KEEGでシアノバクテリアについてカロテノイド生合成系を持っているかどうか調べてみると、記載されている43種のシアノバクテリア全てが生合成能力を持つ。32億年ほど前に、嫌気的生物しかいなかった地球上で、初めて毒物である酸素を作り始めた生物として、シアノバクテリアが酸素に対する防御系を持っていたのは当然であろう。言い方を変えれば、嫌気的条件下において β-カロテンの生合成能力を持つことによって、酸素発生型光合成系の獲得が可能になったのであろう。とすれば、β-caroteneまでの系に存在する代謝物は、32億年より以前からこの地球に存在していたことを意味する。そして、β-カロテンに連なる全ての代謝中間体が、嫌気的に生合成可能な化合物群でなければならないのはは自明のことであろう。
1988年に出版された中野、浅田、大柳等の編集による「活性酸素」という大著がある。すり切れるほど読んだ本の一冊だが、この中の記述に従えば、20億年ほど前に、生物は酸化酵素・酸素添加酵素を獲得したという。その後、1999年になって、Brocks らは、27億年前には真核生物に特有なステロールの生合成がはじまっていたと報告した。ステロール生合成の最初の反応が、スクアレンからスクアレン1, 2-エポキシドへの酸化反応であることを考えると、この報告は生物による酸化酵素・酸素添加酵素獲得の時間を7億年近く早めたことになる。大気中の酸素濃度の本格的上昇はいまから23-24億年前にはじまったとはいえ、シアノバクテリアが活発に活動するマットと呼ばれる部分の酸素濃度はそれ以前にかなり高くなっており、ここでは多種多様な酸化反応が試されていたに違いない。
さて、図7-8に示すようにステロールの生合成とカロテノイドの生合成には多くの類似点が存在する。イソプレンユニットの伸長反応が共通なだけでなく、ステロイド生合成におけるファルネシルピロリン酸からスクアレンの生合成は、最終段階以外はカロテノイド生合成におけるgeranylgeranyl pyrophosphateからphytoeneの生合成の写し絵であり、両反応を触媒する酵素もphytoene/squalene synthase familyと呼ばれる同じグループに属している。では、スクアレンの生合成とphytoeneの生合成、どちらのと生合成反応が先行するのだろう。スクアレンはファルネシルピロリン酸から作られ、phytoeneはゲラニルゲラニルピロリン酸から作られる。ゲラニルゲラニルピロリン酸はファルネシルピロリン酸に1分子のIPPが結合して作られる。つまり、ファルネシルピロリン酸の生合成はゲラニルゲラニルピロリン酸の生合成に先んじて起こっている。この順序は変えられない。
では、ファルネシルピロリン酸を原料とするスクアレンの生合成が、遅れて作られたゲラニルゲラニルピロリン酸を原料とするphytoeneの生合成に先んじるのかといえば、どうやらそうではないらしい。嫌気的光合成を行う42種の細菌の全てがphytoeneを通ってlycopeneまでの生合成系を持つのに対して、スクアレン生合成能を持つのは紅色硫黄細菌に属する好塩菌Halorhodospira halophilaの1種だけである。さらにこの菌はスクアレンから先の代謝系をほとんど発達させていない。
この結果はphytoene合成が先に機能を始め、この反応を触媒するphytoene synthaseの遺伝子が重複後、一方の遺伝子が本来の基質であるGGPPと構造的によく似たFPPを認識してスクアレン生合成を触媒する方向に進化したことを示唆している。この推論はphytoeneにはじまるカロテノイドの生合成がステロイドの生合成に先行して起こっていたことを意味するであろう。Brocks らの報告にあるようにステロイドの生合成が27億年前に始まっていたならば、それよりさらに前にカロテノイドの生合成が成立していたに違いない。考えてみれば、古い時代の形質を維持してきたと思われる好熱性古細菌の膜脂質も、テルペンを脂質部分として持つエーテル脂質であった。(図7-9)
ちなみに、リコペンとはトマトに含まれる赤色色素であり、我々の生活と遠い世界の話ではない。
歴史生物学 生合成から見たアブシジン酸 10 に続く